第5話 コンプライアンスすずめ

 昔々、個人情報保護の為、詳細は省きますがあるところに、世間的には人の良いおじいさんとあまり世間的には評判の良くないおばあさんがいました。人付き合いの苦手なおばあさんは何かと誤解を招きやすく、どうしても自分を理解されないイライラからさらに悪評の立つような行動をしてしまうのです。

 ある時、おじいさんが怪我をしたスズメを拾ってきました。しかし、野生の鳥獣は怪我をしていると言っても個人で捕獲したりしては行けない決まりなのです。おばあさんはそれとなくおじいさんを嗜めましたがおじいさんは怪我をしているのに可哀想だと言って聞きません。

「でも、決まりは決まりですから」

「しかしなぁ……」

 いくら言っても聞かないおじいさんに日々おばあさんのイライラは募ります。一方、スズメはおじいさんの手厚い看護もあり、少しずつですが元気になっていきます。

 流石におばあさんも諦め、スズメが元気になるまではと譲ることにしました。しかし、おじいさんはスズメが飛べるようになっても外へ放つ素振りを見せません。それどころかチッチという名前を付けて、今まで以上に可愛がっています。

「おじいさん、あまり可愛がると放す時辛いですよ。それに、このスズメも野性を失ってしまいます」

 おばあさんは流石に見過ごせず、ある日おじいさんに苦言を呈しました。

「うーん、そうだなあ」

 事ここに至ってもおじいさんはスズメを見て目を細めるばかりでおばあさんの言うことは右から左です。

「貴方は優しさでそのスズメを救ったのかもしれませんけれども、スズメにはスズメの生き方があるのですよ!」

「しかし、このチッチは……」

「名前なんて付けるから情が湧いてしまうんです! それに見なさい! このスズメは人を恐れなくなっているのですよ!」

 チッチはおじいさんの掌で跳ね回っています。スズメが他の生物を恐れなくなったらいよいよ野生では暮らしていけません。これまでにおばあさんが口を酸っぱくしておじいさんに訴えたにも拘らず、スズメはおじいさんに懐いてしまいました。

「可哀そうだから飼ってやろうじゃないか」

 おばあさんは呆れ果てて声が出ませんでした。こうして、おばあさんはさらに意地悪なおばあさんになってしまいました。



 そんなある日の出来事。おばあさんはいつものように余った米を水で溶いて練り、洗濯用の糊を作っておきました。ところがせっかく出来上がった糊をおじいさんの飼っているチッチが食べつくしてしまったのです。おばあさんはおじいさんへの不満も爆発し、激怒してスズメを追いかけまわしました。おばあさんは怒りのあまり、手に持っていたはさみを振り回してしまい、スズメの口を少し傷つけてしまいました。そして、あまりの剣幕にスズメはおじいさんとおばあさんの家から逃げてしまったのです。

「ああ、なんということだ。チッチが逃げてしまった」

 悲しそうなおじいさんを見て、おばあさんも少しは心を痛めましたが、そうはいってもやはりスズメはスズメ。帰るべき場所へ帰ったのだと、すぐに納得しました。

「ふん、これでいいんですよ」

「チッチ……」

 おじいさんはそれ以来、憔悴してしまい、食事も喉を通りません。

「おじいさん、そろそろ元気を出してください。これでよかったんですよ。でなければあのスズメは早晩、犬や猫にでも噛み殺されていたのですから 」

 しかし、おじいさんはせめて一言、スズメに謝りたいと思いを募らせていました。そしてついにある日、おばあさんに黙ってスズメのチッチを探しに出てしまうのです。

「チッチや、待ってておくれ」

 しかし、野性に還ったスズメ一匹、あてどなく彷徨っても見つかるはずがありません。途方に暮れたおじいさんは、山の神に尋ねることにしました。

「神よ。どうか一目チッチに会わせてくだされ。非道な行いを謝罪したい」

 すると、おじいさんの願いに応えて山の神が現れました。

「翁よ。正直な心根を持つ翁よ。この先にある一本杉を目指すがよい」

 おじいさんは神様の言うとおり一本杉を目指しました。やっとチッチに会えるかと思うと、疲れはてた足にも軽さが戻ります。



 やがて、一本杉の下へ辿り着くとそこには一件の宿がありました。そこはなんとスズメが経営する宿だったのです。

「あなたは、いつぞやのおじいさん!」

 おじいさんの姿を見つけたスズメは大層喜んで、丁重にもてなしました。話を聞いてみると、スズメはあの後、野性に帰ることができず、また、口の傷のせいで餌も満足に捕れない中で神様に出会い、自らの行いを反省することでこの宿と人間と話す力を得たのだそうです。

「考えてみれば、先に家の物を盗んだのは私です。おばあさんが怒るのも無理はありません」

「なんのなんの。チッチが生きていてくれて本当に良かった」

 おじいさんは涙を流して喜びます。スズメは、おじいさんとの再会を祝って、お土産を渡すことにしました。

「さぁさ、おじいさん。お土産にこの大きなつづらと小さなつづら、どちらでも好きな方を持って帰ってください」

「ワシは年だから軽そうなこっちの小さいつづらにするよ」

「では、おじいさん、お達者で。おばあさんにも宜しくお伝えください」

 こうして、おじいさんはスズメに見送られながらもと来た道をえんやらもどりました。

 家に帰ったおじいさんは、おばあさんに訳を話し、お土産にもらったつづらを開けてみました。すると、中から金銀財宝がどっさり。これを見たおばあさんは贈与税がかかると思い、スズメに違った形で恩返しさせようと思いました。

「おじいさん、スズメのお宿へはどう行けばいいんだい? 私も少しやりすぎたよ。チッチに直接謝りたい」

「そうか、そんなら山の一本杉を目指すんじゃ」

 おばあさんはそれを聞いて飛び出すように出ていきました。しかし、山を登れど降れど、一本杉は見えてきません。業を煮やしたおばあさんはおじいさんが場所を教えてもらったという山の神を呼び出すことにしました。

「おーい! 山の神や! おでましくだされ!」

 果たして、おばあさんのもとに山の神は現れました。

「はてさて。お主のような乱暴者がなんのようじゃ」

 山の神は、スズメを傷つけたおばあさんに警戒心を抱いていました。

「わたしは、スズメに対して酷いことをしました。叶うなら直接会って謝りたいのです」

「そうか、それならまず、馬洗いの水を桶一杯飲み干してみよ」

 おばあさんは、これは立場を利用した立派なパワーハラスメントではないかと思いましたが、スズメに会うために我慢して飲み干しました。

「ふむ、次は牛洗いの水じゃ。ほれ」

 おばあさんはここでもまた我慢をしました。山の神とは言えこのようなハラスメント行為が許されるのかと心の中で思いながらも飲み干しました。

「うむ、よかろう。では、あの一本杉を目指すがよい」

 山の神が指差した方向には、今までいくら探しても見つからなかった杉の木が堂々と一本立っていました。おばあさんは喜び駆け出し、あっという間にスズメのお宿に辿り着きます。

「チッチや、チッチ! じい様に大層なお土産をどうもありがとう。私も鳥獣保護法や洗濯糊で目くじらを立てて申し訳なかったよ」

「こちらこそ、あんなによくしていただいたのに恩を仇で返すがごとき振る舞い、お詫び申し上げます」

 お互いが和解しあったところで、おばあさんは例の件を切り出します。

「チッチや、お土産にもらった財宝の数々だが、あの形では贈与税でバッサリ国に持っていかれてもったいない。よければおじいさんと一緒にこの宿の経営を手伝わせてくれないかい?」

「それは何よりです。人手が足りずに困っていたのです」

 それからというもの、おじいさんとおばあさんとチッチは宿の経営で財を成し、幸せに暮らしたということです。


 おっと、欲をかいてお湯の入れ換えを怠ったり、塩素の投入をわざと忘れたりすると山の神に天罰を降されますよ。


 めでたしめでたし。

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