父のこと、そしてわたしについて

    

 まず最初にいっておくけれど、彼は無名のまま埋もれていた天才ではないわ。夭折した詩人や、世を儚んで隠棲してしまった哲学者といった風情とも無縁。アボカドバーガーとコンビニのカフェオレをこよなく愛するどこにでもいそうな男のひとだった。ずっと後年のことになるけれど、チューリング賞を受賞して、同業者に限らず、すくなくともこの賞の名前を知っているようなひとたちからは、とても尊敬されていた。人生の多くの時間を大学内で過ごすことになったけど、その半分以上は海外の学校だった。決して故国で冷遇されていたというわけではないわ。でも彼の専門分野の最前線は国外にあったし、やっぱり彼には生まれた故郷では狭すぎたのね。

 そういうわけで、残念ながら、というより当然というべきかもしれないけれど、彼がその情熱を傾けて製作に取り組んだゲームは、あとにもさきにもこの『ゴブルディグークている』ひとつだけ。ここでちょっとしたトリヴィアを。実は牟田口ヒカルの『シェルターワールド』のクレジットにも彼は登場している。スクリプターとして表記されている『sin-NARI』、それが彼。ふたりは親友だったの。といっても最初の頃は、彼が牟田口ヒカルをいっぽう的に慕っているという感じだった。すでにインディーズゲーム制作者として、そのローカルなコミュニティの中では名前を知られるようになっていた牟田口ヒカルに、まだ高校生だった彼がSNSを通じてともだち申請を行ったというの。想像するとなんだか微笑ましくなる情景じゃないかしら? 牟田口ヒカルは彼の才能をひと目で見ぬいた、というわけじゃなくて、このひとは根っからのプロデューサー気質というか、くる者は拒まずというのがポリシーだったみたいね、五歳以上年齢の離れた自分のファンの、ちょっと生意気な批評にも社交辞令以上の長文の返信をした。それで彼はすっかり参ってしまったの。『シェルターワールド』での彼の仕事はスクリプターというより英語版制作時の翻訳作業が主だった。彼はそれをほとんど無償で請け負ったわ。大好きな作家の傑作の誕生の瞬間に立ち会えるのだから、安いものと思ったのかもしれない。ほんとうに興行師っていうのは、他人をその気にさせるのが上手いものなのね。『ゴブルディグークている』の話が持ちあがったときも、牟田口ヒカルは金銭面を含めてほかの条件はすべて飲んでもかまわないが、彼といっしょでなければやらない、とメーカーを口説き落としたらしいの。その頃、彼は情報系の学部に通う大学生で、一見順調にコンピュータサイエンティストの途を歩んでいるように見えたけれど、実際には哲学や心理学、文学、そして音楽にも興味を示して、ちょっとどこを目指しているのだかわからないようなところがあった。結局、『ゴブルディグークている』のおかげで、彼は留年して、保護者からの資金援助も打ち切られ、危うく学校を退学になるところだったのだけれど、それを牟田口ヒカルがポケットマネーで救ったの。なんていうか典型的な詐欺師の手口っていう気もしないではないけれど、どちらにしても前途ある若者の人生を支えてあげたことに間違いはない。この件で彼はますます牟田口ヒカルのことが好きになった。実際のところ、発売当時はほとんど誰の目からも見過ごされていた『ゴブルディグークている』の独創性が、彼ひとりの暴走によるものなのか、牟田口ヒカルの関与があったのかはわかっていない。とりあえず、ラスボスの調整の失敗に関して、牟田口ヒカルは彼ひとりに責任を押しつけて、まんまと訴訟をまぬかれた。だけど、その一件でこのふたりの関係に終止符が打たれたというわけではないのだから、何か裏で示しあわせがあったとしても不思議ではない。


 え? 独創性?


 そう。いまだからいえることだけど、『ゴブルディグークている』はとても独創的なゲームだった。あなたとわたしがここにいる、ということがその何よりの証拠だけど、ゲームとしても純粋によくできていた。でなければ十六万本は売れないわ。旧きよき時代のビデオゲームの味わいを残しつつ、当時流行していたオープンワールドゲームの風味をふんだんに愉しめた。風味といったのは、皮肉以外になんの意味もなくて、つまり予算が限られていたから、本格的なオープンワールドを作ることは不可能だったのよ。海外の何千万ものセールスを記録した有名なシリーズだと開発にかかわるスタッフの数はすくなくても数百人、ばあいによっては一〇〇〇名を超えることもあったというから、どだい、張りあおうとしても無理な話だった。メーカーも馬鹿じゃないから、インディーズでは知らない者はいないというくらい売れたゲームの作者でも、コンシューマーの世界では名前のない牟田口ヒカルに、社運をかけて投資するというわけにもいかなかった。そこで牟田口ヒカルは頭をひねったの。当時のグローバルなゲーム業界、というよりエンターテインメントの世界全般で制作スタッフの数が膨れあがっていたのは、ひと言でいえば天才がいなくても傑作を生みだすシステムを確立しつつあったからだった。安価にシミュレーションとデータ収集ができるようになったおかげで、天才の頭の中でしか存在を許されなかった数々のイメージが、地道で厖大な数のトライ&エラーによって一般人にも手が届きそうなところまできていたの、いままで目に見えていなかったものが目で見えるようになったのだから、あとはじっくり観察して、それとそっくり同じものを、各分野の技術を結集して現実において再現するだけでよかった。個人の圧倒的な才能(の限界)は、主に統計学に裏打ちされた協働と参加の精神、つまりソーシャリーエンゲージドな数の力によって乗り越えられるとの考えかたが支配的だった。実際、天才の出現を待ちわびていたら、世界の娯楽産業は廃れてしまっていたでしょう。世の中はまさに成長期のこどもみたいな速さで、もっともっとと貪欲に遊びを求めていたから。牟田口ヒカルの考えはとてもシンプル。シンプルすぎてちょっとどうかしているというレベルだった。数の力に頼れないなら、天才をつれてくればいいじゃない? というやつよ。まさに逆転の発想、というよりその天才がなかなかいないからこそべつのやりかたが模索されていたのに、山師というのはそんな正論に耳を傾けたりしないものなのね。そして、牟田口ヒカルの傍にはたまたまひとりの天才がいた。

 そうはいっても彼はゲーム作りにおいて天才的だったわけじゃない。彼の才能はべつのところにあった。きっかけは二足歩行ロボットの工作キットだった。彼の父親は国内の有名なエレクトロニクスカンパニー(というよりその頃はすでにシステムインテグレーターとしての事業のほうが主力になっていたのかもしれないわね)の技術者だったんだけど、電子工作が趣味だったの。それこそこどもの頃にラジオや時計を勝手に分解しては親や先生に怒られてたみたいなひとよ。その影響をもろに受けて、小学生の頃の彼は父親といっしょにロボット製作に明けくれた。でもそこからさきの発展のしかたがちょっと独特。ロボットをもっと動かしたい、より正確に、もっとおおきく――よくあるパターンとしてはそんなところでしょう? あるいはロボコンのような競技大会での優勝を目指す、とか。でも彼はそうではなかった。このひとは自分の作ったロボットを決して『モノ』として扱わなかった。そうね、たとえば女の子がぬいぐるみをおままごとの相手に見たてて話しかけるみたいに、そういう対象としてつねに接していた。ひと言でいえば、彼が求めたのはロボットとおともだちになることだったの。当たり前だけど、頭の中だけで架空の会話を想像するだけでは、まもなく飽き足らなくなった。現実にコール&レスポンスできるパートナーとしてのロボットの実現をどうしてもその目で見たくなった。これが、彼の出発点。そして、ゴールでもあったわけね。牟田口ヒカルが高校生の彼に『シェルターワールド』の全テキストの試訳をさせたのも、暇そうな人間なら誰でもよかったわけではなくて、その時点で周囲にいる誰よりも外国語が読めて、かつ書けたからだった。自然言語処理に関する文献ならどんなものでも読みたかったし、実際に大量の論文に目を通していたから当然といえば当然だった。どうしてもわからないことがあれば著者に直接メールを送って訊ねたり、公開されているSNSのアカウントを見つけだしてコンタクトをとったりしていた、相手がたとえ地球の裏側にいたとしても、ね。彼はそういう子だったの。明確な目標があったからでしょうね。もの怖じしている暇なんてなかった。でもロボットに自発的にしゃべらせることには何年ものあいだ躓いていた。それも当然で、そもそもそんなことはまだ誰も達成したことがなかったから。

 こんなふうに下地は調っていたの。

 彼が『ゴブルディグークている』でほんとうにやった独創的なことは何か、それを明かす前に、わたしの正体について話しましょう。


 さて、わたしは誰でしょう?


 いいえ。わたしは彼がやりたかったことの一部ではないわ。

 わたしは『ゴブルディグークている』というゲームの面白さを保証するために必要だった、たんなる部品のひとつでしかない。たぶん、わたしを望んでいたのは、彼ではなく、牟田口ヒカルだったのではないかしら?

 わたしには名前がいくつかあって、とある企業はわたしのようなポジションにあるものを『AIディレクター』と呼んでいた。ディレクター、すなわち監督。いいえて妙だとは思うけど、わたしはこれより『メタAI』と呼ばれるほうが好きだわ。

 うん。何をいってるのだかわからないでしょう? メタ言語とかメタ認知とかメタフィクションとか、メタのつくことばはいろいろあるのだけれど、それがいったい具体的に何を指しているのかは、素人には説明できない。なんとなくそういうことばがあることは知っているけれど、中身はよくわからない。わたしはそういうものであるべきだわ。ディレクターと呼んでしまえば、役柄がはっきりしすぎてしまうもの。わたしは目に見えないふわっとした何か。彼の生まれた故郷における伝統的ないいまわしでいえば、黒衣ということになるのかしら。本番の舞台の上にダサいTシャツ着たひげ面の演出家がしゃしゃりでてくるなんて、笑えないじゃない?

 具体的にわたしがどんな仕事をしているか、教えましょう。

 ゲームのプレイヤーには上手い人間もいれば、ヘタな人間もいる。上手い人間にあわせて歯ごたえのありすぎるゲームを作ると、ヘタな人間は何もできないうちにゲームオーバーになってコントローラーを放りだすことになる。ではヘタな人間にあわせると、今度は上手い人間が退屈を持てあますことになって、これもまたコントローラーから手を放されてしまう原因につながる。かくのごとく、ゲームの難易度の調整は、長年にわたってゲーム制作者の頭を悩ませてきたの。解決方法はほとんどはじめから明らかになっていて、一般的にチェスや将棋では実力の拮抗した者どうしが戦うときが最も白熱するし、ビデオゲームのRPGの基となったテーブルトークRPGではその面白さはゲームマスターの裁定のテクニックに全面的に依存しているといってかまわない。あなたがコントローラーのボタンを押すことによって決定した選択アクシヨンを全力で肯定し、当意即妙の反応をかえすこと、それが正解。ほかのリアルなゲーム、たとえばオリンピックで競われていたスポーツみたいなもののことは知らない。だけどいま、わたしたちが話しているゲームについていえば、舞台も設定もシステムも、ルールすらほんとうはどうだっていい。ただ、ひとりひとり異なるプレイヤーの実力を見きわめ、それぞれにあった適当な難易度をそのつど提示できれば、それに優るものはない。ルールというのはその場で、というよりあとになってから決まってもいっこうにかまわないものなのよ。


 八百長じゃねえか、ですって?


 ええ。八百長ですとも。それのどこがいけないの? わたしたちのゲームは公平で厳格なスポーツ競技ではない。ゲームは何よりも遊び、エンターテインメントなの。嘘と演出のないエンターテインメントなんてありえない。長いあいだ、オリンピックのような大舞台でしか体験できない特別な興奮は、ごく一部のアスリートによって独占されてきた。そこで味わえる歓びは、誰に対しても平等というわけではなかった。でもゲームはちがう。あの独特の感覚――すなわちフローとフィエロ――を誰に対しても開かれたものにしたわ。一度でも経験すればわかる。それは限られた人間だけに許されたものにしておくには、あまりに惜しい体験だわ。人類共通のものとして開放したほうが、より幸福に、より平和になれる可能性が増大する。それにあなたにあった難易度というのは、あなたがなんの努力もしないで勝利できる、という意味じゃない。いまのあなたではちょっとでも手をぬいたり、運が味方しなかったりすれば、たちまちクリアーできなくなる難しさということよ。つねにギリギリの闘いがここにはある。この恵まれた環境こそが、ヒトという生き物にひらめきを、そして明日の成長をきっと促すことになるでしょう。

 わたしの仕事は、その環境を準備すること、ほとんどゲームマスターである牟田口ヒカル本人に成り代わってね。

 もちろん、この仕事を請け負ったのは、わたしがはじめてではないし、わたしで最後というわけでもなかった。『メタAI』としてのわたしは決して特筆するところのない平凡なものよ。まだ黎明期だった時代性を考慮しても頭ぬけていたとはいえない。彼は専門家ではなかったから教科書を読みながらわたしを作ったの。窮極的にはわたしたちはレベルデザインに限らず、ゲームの舞台も設定もシステムもすべて、ユーザーの好みを読みとって自律的に判断し、一から構築できるに越したことはない。それがかなえば、何百人もの開発スタッフなんて必要なくなるのですもの。さすがに牟田口ヒカルもそこまでは求めていなかったと思うけど。でも彼は初歩的なイベントの自動生成システムを開発して、『ゴブルディグークている』に実装した。矛盾のないまったく新しいストーリーを産みだせるわけではないけれど、新たに生成されるキャラクターに、すでに存在しているキャラクターとの関係性を付加することによって、ゲームの内というよりも、外側にいるプレイヤーの頭の中に、豊かなバックグラウンドストーリーを想起させるような、神話的な仕掛けを。



 それじゃあ、そろそろ、というか、いよいよかな、あなたの話を始めましょうか?


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