第5話 7月13日

 学校の先輩だと思っていた彼女が、実は学校に在籍すらしていなかったことが判明してから数日が経った。

名前しか知らない彼女ともう会うことはないのか、とぼんやり考えながら放課後の海岸通りを歩いていたのは週の半ばの水曜日。


 確かその日は水平線に沈む夕陽が特に綺麗だったんだっけ。

頭上の空と目下の海面がオレンジ一色で埋め尽くされ、まるで世界が橙色のドレスに着替えたみたいだった。


―――そんな世界の境界線に、いつもの防波堤の灯台の麓に彼女が居た。


 そう言えばあの人と言えば橙色だったよな、と思いつつ、不思議なくらい落ち着いたまま声をかけた。


「片瀬先輩」


 彼女がゆっくり振り返る。まるで最初から僕が来ることがわかっていたみたいに。


「やあ、少年。久しぶりだね」

「その〔少年〕っていうのやめてってば。一個違いだろ?」

「じゃあ君も〔先輩〕って呼ばないで。私はあなたの先輩でも何でもないでしょ」

「いや、同じ越高の先輩じゃないか」

「嘘ばっかり。もうとっくに気が付いているくせに。私は越高生じゃない」


なんだ、僕が調べたってこと知ってたのか。

口の中だけで、そっとため息をつく。


「じゃあ何て呼べばいいの?」

「ふっっ。何だかナンパされているみたい」

今日初めての笑顔だった。内容はいただけないが。


僕は赤面しながら言葉を紡ぐ。

「いや、真面目に聞いてるんだけど!?」

「別に何でもいいよ。咲良様でも、咲良お嬢様でも」

「何で全部身分高めの設定なんだよ」


僕も今日初めて笑った。ああ見えて久しぶりに会う彼女に意外と緊張していたのかもしれない。


「じゃあ普通に〔咲良さん〕でいいや。一応・・年上だし」

「うわー。生意気な後輩だなあ。じゃあ私も〔海人〕でいいや」

「え? 君とかつけてくれないの?」

「いやいや、海人は呼び捨てで十分でしょ」


終始彼女のペースである。

僕はやれやれと肩をすくめながら、隣に腰を下ろした。




「それで? 最近全然来てなかったけど、どうしてたの?」

「えー、もう彼氏面ぁー?」

茶化すんじゃない。


「うそうそ。ちょっと体調崩してたんだ。でももう平気。今日は快闊祝いに本を読みにね。」

そう言って彼女は一冊の本を顔の横に掲げた。


「本好きなんだ。どんな話?」

「病気がちなヒロインがそのことを主人公に隠しながら生活してたんだけど、ふとした事でそれがばれちゃうの。それである日体調が悪化しちゃうんだけど、なんかよくわからない奇跡が起きて彼女は救われ、最後に二人が結ばれてめでたしめでたし、みたいな話」


すんごいありがちな話じゃん。今日日そんな鉄板ネタみたいな感動話も珍しいだろ。

そんなことを口にすると、彼女は眉を寄せながら反論した。


「いいんだよ。本の中くらいは優しい世界であって欲しいじゃん」

「それに、他の話もそう。ミステリー系なら人が死なない話。恋愛系とか感動系なら最後に奇跡が起きて皆が幸せになる話。こんな感じのが良いの」


「へー。それってつまり…」

「そう、私、ハッピーエンドが好きなの」

夕陽を背景に彼女が微笑む。


「ふーん。そんな結末がわかりきった予定調和な話ばっかりで飽きないの?」

「うわー。最低だね。それ斜に構えるってやつ? すごくかっこ悪いからやめな?」

「ちょっ、なんか言い過ぎじゃない? ダメージ大きいんだけど」


目線は沈みゆく夕陽に向けながら、言葉は僕の方へ届けられる。

「言ったでしょ? 本の中くらい優しい世界であって欲しいの。現実じゃ、誰しもがハッピーエンドを迎えられるわけじゃないんだよ」


妙に説得力のある彼女の言葉に、僕はただ黙って聴くことしかできなかった。


「それで、聞かないの?」

「何を?」

「私が越高生だって嘘をついてた理由とか諸々のこと」


「あぁー。別にいいよ」

「君は片瀬咲良って名前で、ハッピーエンドな話が好きで、気分屋でたまにひどいことを言う人。これだけ知ってればもう別によくない?」


彼女が夕陽から目を離してこちらを向く。

「へぇー。そんなこと言えるんだ。最後のは余計だけど」


「まあ、話したくなったら言えばいいよ」

「うわ。やっぱり生意気だ」



すくっと彼女は立ち上がる。

「はあー、今日はいい日になったよ。ありがとう。また今度ね」

「今日は私の話をしたんだから、次は君の番だからね」


「え?」

「悩み、あるんでしょ?」



そう言って彼女は、身を翻して橙色の世界へと消えて行った。


「悩み、かぁ」

そう独り言ちた僕を見下ろすように、頭上にはトビが弧を描いて飛んでいた。





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