第3話 7月1日
彼女はその後も三日に一度くらいの頻度で、いつもの場所に現れた。
訊きそびれていた名前を尋ねると、彼女は「片瀬 咲良」と名乗った。
「”花咲く良い子” で ”咲良” だよ」
というセンスのかけらもないような自己紹介が妙に印象に残っている。
そして、僕と同じ腰越生で一つ上の三年生であることも判明した。
「学校で会っても無視するから、探さないでね」
と、彼女らしい冗談を軽く聞き流しつつ、今度学校で見かけたら全力で手を振ってやろう、と思ったりもした。
気付けば七月になった。
今日も今日とて彼女は現れる。
「おー、長谷くんじゃん。偶然だね。元気?」
夕方の海岸通りを背景に、彼女は毎回の如く一芝居打つ。
特段優しくもない、というか、それに対応する技術のない僕は、それを適当にスルーしながら答える。
「あんまり。進路調査書埋められなくて」
それを聞いた彼女が「どこに行くの?」と尋ねるので、僕は「東京とか?」と答える。すると、「へぇー」と感心したような反応をされて、どこかむず痒く感じた僕は質問を返す。
「そういう片瀬先輩は? 三年なんだから、進路とか大体決まってるんだろ?」
「ん-、まあね。私、多分遠くに行くの」
「遠く? 北海道とか?」
「ううん。もっと遠く。ずっとずっと遠くだよ」
海外だろうか。
ともかく、そうやって自分の行きたいところに行けるのは、心底羨ましい。
思わず、そう口を滑らしてしまった。
それを耳にした彼女は、笑おうとしているのか泣き出しそうなのか、どっちつかずの表情で、遥か彼方の水平線を見つめていた。
やってしまった、と思った次の瞬間には、いつもの調子で、
「東京に行って何するの? スーパー大学生になるの?」
と無邪気に笑う彼女がそこにいた。
「スーパー大学生って何だよ」と、同じ調子で返しながら、僕は胸を撫で下ろす。
彼女は時折、何かを諦めたような表情を見せることがある。その時は、決まって大人びて見えるのだ。単に一つ年上、という意味ではなく、気付いたらどこかに行ってしまう、そんな儚さを彼女から感じる。
いつもの底なしの明るさとのギャップも相まって、僕はその表情を、美しいと思うと同時に、どこか空恐ろしくも思えるのだ。
「進路の相談ならいくらでも乗るからさ。また今度聞かせてね」
そう言って彼女は去っていった。
……東京行き、どうするか決めないとな。
橙色の光に包まれる彼女の背中を思い出しながら、僕も家路につく。
―――その日を境に、彼女は、いつもの場所に現れることはなかった。
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