第2話 6月26日②
「忘れないだろう」というのは、あくまでも現時点での僕の感想だ。
当時の僕としてはただ単にびっくりした。
だってそうだろ? 誰もいないと思っていたら、突然後ろに誰かいるんだから。
「……っっ⁉」
声にならない声が出た。
ああ、人って本当に驚いたときは声が出ないんだな、なんて場違いなことを考えながら僕は飛び上がる。
「びっくりさせちゃった? ごめんごめん」
橙色に染まった彼女はそう言って、何が楽しいのかクスクス笑っている。
「やあ少年。君はこんな所で何してるの?」
「いや、少年って……。ていうか誰?なんですかいきなり」
「質問に質問で返さないの! 私のことはいいから、ほら答えて」
逆ギレされたんだが?
「……別に、考え事してただけですけど」
「なるほどなるほど。つまりあれだ、黄昏てるんだ? いいじゃん思春期っぽくて」
何がなるほどだ。そしてドヤ顔をするな。
ため息をついて落ち着いて見てみると、彼女は見知った制服を着ていた。僕が通う腰越高校のだ。ここら辺の学校はそこしかないし、女子の制服は今時珍しいセーラー服だから見間違うはずがない。二年生の階では見かけたことはなかったので、きっと後輩か先輩だろう。
「あなたこそ、こんな所で何をしてるんですか? 学校帰りですか?」
「んー、まあそんなとこ。歩いてたら、遠くに黄昏てる人が見えたからつい、ね」
「いや、だから黄昏てないって」
「まあ、何にせよ悩めることはそれだけで幸せなことなんだよ?」
彼女はそれまでの言動に似合わず、どこか諦観したような大人っぽい顔で言った。
「へえー」
「あっ、今適当に返事したな? よくないぞ黄昏くん」
「誰だよ、黄昏くんって」
……前言撤回。こいつ多分年下だ。
「うそうそ。それで、君はいつもここにいるの?」
「まあ、放課後暇なときはよく来てるけど」
「そっかそっか」
そう言うと、彼女はフンフンと頷く。
それから、初対面の彼女と他愛もない話をした。
内容はもう覚えていないようなくだらない話だった。
けれど、不思議と初めて話したような感じはしなかった。それだけは覚えている。
どれくらい話しただろか、不意に彼女が立ち上がって言う。
「じゃあそろそろ行くね。またね、ハセカイトくん」
「……は? 何で僕の名前知って」
彼女は走り出す。長い髪を揺らしながら、橙色の空に吸い込まれるようにあっという間に視界から遠ざかっていく。
ふと自転車のサドル部分に貼られたシールに目が留まる。
<腰越高校 長谷 海人>
校則で貼るよう定められている名前シールだ。
手品でも、魔法でも何でもない。彼女が僕の名前を知っていたのはこれを見たからだろう。
世の中には偶然も、奇跡も、存在しない。予定調和な毎日がただ続いていくだけ。
きっと僕の将来だって……。
「はあ、なんだったんだあいつは」
無理やり嫌な思考を振り切って立ち上がる。
東の空が段々と紺色に滲んできた。
沢山の不安と、橙色の彼女のことを考えながら、僕は家路につく。
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これが出会いで始まり。
忘れられない出会い。
忘れられるはずがない始まり。
彼女と僕の、物語が静かに幕を開けた。
――――――――――――――――――――――――――
「……あ、名前聞いてない」
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