第一章  津島(3)

 

 

 

 木曾川の支流の一つ、天王川の東岸の家並みが津島の町である。

 そのさらに東の一帯には桑畑をはじめとした耕地が広がるが、ところどころが虫食い状に池や窪地となっている。

 奴野ぬのや城は、こうした池を掘り拡げ、水堀として利用するかたちで築かれていた。

 城とは呼ぶが、堀がなければ長者の屋敷という構えである。

 弓櫓ゆみやぐらこそ備えているものの、塀は一重で出丸はない。

 塀の内には御殿のような母屋と、蔵がいくつか並んでいる。

 蔵の屋根は瓦葺きで、壁は漆喰で塗り固めてある。

 中には年貢として徴収したり買い上げた米や繭玉、青苧あおそが収めてある。ほかに家財の蔵も一つある。

 津島湊に近い、この辺りでは「銭になる」作物の栽培が盛んであった。

 日当たりのよい高台では養蚕のために桑が育てられ、窪地や傾斜地ではからむしが植えられる。

 苧は湿り気のある土地ならどこでも育つ丈夫な植物で、これを細く裂いて繊維化したものが青苧である。

 さらに苧績おうみという工程を経て糸につむげば、麻織物の原料となる。

 いま、奴野城の門は開け放されて、人と牛馬と荷車が出入りしていた。

 人というのは百姓やその女房、職人や商人といった者たちだ。

 腰に大小の刀を差した侍の姿は稀であり、それを見ても城ではなく長者の屋敷のように思われる。

 門の外、出入りする者の邪魔にならぬよう少し離れたところには、それぞれ馬に乗った娘が二人いた。

 一人は年の頃は十四、五、華やかな紅花染めの小袖と紺の小袴を身に着けている。

 いま一人はいくらか若く十二、三で、藍の絞り染めの小袖に緋色の小袴という出で立ち。

 いずれも艶やかな黒髪を組紐で一つに束ねた凛々しい姿だ。

 その傍らには平礼烏帽子ひれえぼしをかぶり脇差を腰にした、いかにも長者の従者という男たちが五人ばかり控えている。

 年長の娘が、近づいて来た吉法師の姿を認め、手を上げてみせた。

 

「吉法師殿!」

「…………」

 

 吉法師は十蔵の腕の中で、うなずいただけである。

 幼い自分のか細い声では、相手まで届かないと承知している。

 吉法師たち一行は、上街道を途中で外れて、奴野へ立ち寄ったのである。

 しばらく待って間近まで来た吉法師に、年長の娘は微笑み、あらためて声をかけてきた。

 

「ようこそいらっしゃい、吉法師殿」

「……姉上」

 

 吉法師は引き結んでいた唇を、ほんの僅かだけ緩める。

 娘は、くらといった。

 吉法師は姉と呼ぶが、実は弾正忠信定の娘であり、備後守信秀の養女となって、この奴野城へ嫁いで来た。

 城のあるじ大橋禅休入道おおはし ぜんきゅうにゅうどうといい、その嫡子である清兵衛せいべえが、蔵の婿である。

 蔵は年下の娘を指し示した。

 

「ご紹介いたしますね。こちらは大橋家と同じ津島十五党の、恒川つねかわ家の姫でナツ殿。本日ご同道させていただきます」

「馬上のまま失礼いたします若君、ナツと申します」

 

 年下の娘は、にっこりと笑顔を見せた。

 吉法師や備後守に通じる色白の美貌である蔵と対照的に、ナツはよく日に焼けている。

 蔵は姫と呼んだが実のところは地侍の娘であり、日頃は領地の百姓の女房たちとともに野外で働く機会が多いのだろう。

 しかし身なりは卑しくはない。

 吉法師との対面のために衣服を改めて来たのだろうけど、それにふさわしい服の用意もあったということだ。

 津島十五党は津島湊の近隣五ヶ村に蟠踞ばんきょする武士集団だが、同時に湊の権益を握る富商としての顔も持っていた。

 それぞれの所領は小さく抱える兵も少ないが、蔵の中には莫大な財貨を蓄えている。

 いざとなれば銭で傭兵を集めることもできるから、弾正忠信定も津島十五党を屈服させて津島を掌中にするには苦心したのだ。

 

「……であるか」

 

 吉法師は、うなずいた。

 ナツの笑顔に屈託はなく、主君の御曹司への追従とは感じない。

 むしろ蔵が身内として向けて来る親愛の情に近いものがある。

 おそらくナツは蔵とごく近しい仲で、蔵の弟であれば──実のところは甥だが──、我が弟も同然と思っているのだろう。

 蔵が言った。

 

「では参りましょう。ここからは、わたくしが先に立ってご案内いたします。よろしいでしょうか?」

 

 最後は十蔵への問いかけだ。

 十蔵は、いつもながらに静かな口調で答えた。

 

「はい、お願いいたします」

 

 

 

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