四話『子供客』後編
「さあ、お客さま。ご飯の準備が出来ましたよ!」
かまくらの中。小雪は小さなこたつの上に、おにぎりとみそ汁。漬物を置いて元気よく答えました。
今日のお味噌汁はわかめと豆腐の味噌汁。手作り味噌が決め手の味噌汁と、甘い大根のお漬物。
そして、ノリも何も巻いていない真っ白なしおむすびです。中身の具は何も入ってません。小雪だって入れたかったのですが、お客様が「これがいい」と言うので仕方が無いでしょう。
こじんまりとした豪勢な食事の前にお客様は大喜びです。
「いただきます」をする前に、その小さな手はおにぎりを鷲掴みにして頬張ってしまいました。
小さなほっぺがパンパンに膨らみます。それを味噌汁で流し込んで、バクバク食べていきます。
小雪は少しだけ安心いたしんした。
何せ、先ほどまでお客様の元気が見て分る程に無くなっていましたから。
お風呂でも大人しく、悲しそうに俯いたままでした。
でも今は違います。嬉しそうにおにぎりを頬張っては「おいしい」と喜びます。
よほどお腹が空いていたんだと、小雪は思いました。
「落ち着いて沢山食べてくださいね!まだまだ沢山お作り致しますから!」
小雪が声を掛けながら隣でおにぎり作っていきます。
5つめのおにぎりを作った頃の事でしょうか?お客様の手がピタリと止まってしまいました。
小雪は不思議そうに顔を覗き込みます。
「どうしましたか?」
声を掛けたと同時です。
お客様の瞳からぽろぽろと大粒の涙が流れ出したのは。
小雪はビックリです。驚いていると、お客様は顔を覆ってわんわん泣き出してしまいました。
泣きながら言います「おかあさん、おかあさん」
これには小雪は驚きを越して、どうする事も出来ません。
耳をペタンと下げて、あわあわと大焦り。
どうしましたか?と聞こうかと思いましたが、御客さまはお母様をご所望なのです。なんで泣いているかなんて分かっているのです。
小雪はお客様の側に膝を付くと、その背を優しく撫で始めました。
おかあさんはどこ?むかえにきてくれないの?
お客様は言います。小雪はそれが無理な事を知っているので、何も言えません。
その間もお客様はわんわん泣きます。その様子に少しだけ目を逸らして、小雪はゆっくりと口を開きます。
「泣かないでくださいお客さま」
小さな頭を撫でながらゆっくり微笑みます。
その後に胸元でぐっと拳を作り言うのです。
「お母さまは今日忙しくて会えないだけです。明日になったら会えますよ!」
……嘘は言ってはいません。
お客様は不安そうに顔を上げました。
ほんとう?この問いに小雪は大きく頷きます。
でもお客様の不安そうな涙は止まりません。
小雪はそんな彼の前で続きを言います。
「でしたら、こうしませんか?」
微笑みながらお客様の頭を撫でます。
「今日1日だけ、私をお姉ちゃんとしてみるっているのは?」
この言葉にお客様は涙でくれた顔を上げて、不思議そうに首を傾げました。
おねえちゃん?
小雪は頷きます。
「小雪はみくりさまのお母さまには到底なれませんが、お姉ちゃんにならなれると思うんです。1日だけです。でも、私に名一杯甘えてください。私と一緒に沢山遊びましょう!」
それは小雪なりの精一杯の配慮と思いやりにございました。
お客様はまじまじと小雪を見上げます。おおきな栗色の瞳が、小雪を映していました。
いっしょにいてくれるの?
「1日だけですが。それでも小雪はみくりさまのお姉ちゃんです!」
約束しますと、小雪は小指を立てます。
少しの間、小さな手がおずおずと小雪に伸びます。
たった1日の約束。指切りげんまん。
お客様はまた太陽のような笑みを浮かべます。
小雪だって同じです。にこにこと温かな笑みで、お客様を見つめるのでした。
それからの時間は実に楽しい物でした。
二人で一緒におにぎりを食べてから、かまくらをでて部屋に移動します。
あそびたいと言うお客様の為に小雪は人生ゲームとトランプを用意しました。
お客様は人生ゲームを知らないと言うので、鼻高々に教えたモノの、小雪は見事に負けてしまいます。
トランプも同じです。
ぶたのしっぽに、ババ抜き。
「うわーん!まけましたぁ」
どれもこれも小雪は敗北です。手加減なんてしてないのに!
それに対してお客様は笑います。おねえちゃんよわすぎ!
無邪気な煽りに小雪はぷくぷくです。
「もう!弱くないですよ!手加減しているだけです!!」
していません。
最初から手加減していません。
でも負けてしまうのです。
さて、次の勝負は何にしましょう。何をしたって小雪の負けでしょう。
数10分後、また小雪の悲鳴とお客様の悲鳴が上がるのです。
「もういいです!もういいですお姉ちゃんの負けです!ほら、みくりさま!今度はお絵描きをしましょう!」
あまりに負けまくりますので、小雪はとうとう心が折れてしまいました。
今度は大きな画用紙をもって小雪は言います。
お客様は「しょうがないなぁ」なんてクレヨンと画用紙を受け取りんした。
勝ち逃げみたいなのもですから、上機嫌でございました。
そんな楽しい時間はあっと言う間。
夜も更け、時間は10時過ぎ。
「みくりさま。もうお休みの時間でございますよ!」
流石に子供のお客様はもう寝る時間にございます。
押し入れから布団を出し、引きながら小雪は言いました。
でもお客様は膨れ面です。まだねたくないと我儘を言います。
そう言いながらもお客様の顔は先程から眠たそうに目をこすっておられるのですが。
仕方がありません。沢山遊びましたから。疲れて当然なのです。
「ダメですよ。明日はお早いですから。では、こうしましょう。みくりさまが眠るまで絵本を読むと言うのは!」
小雪は良い案だと言わんばかりに指を立てて言いました。
この旅館には絵本だってたくさんありますから。
絵本と言う単語に魅力を感じたのでしょう。お客様は寝ぼけ寝ぼけの目をしながらも頷きました。
そうと決まれば小雪は自分の部屋へ一飛び。絵本を数冊もって戻ってきます。
柔らかなふかふかな布団の中で横になる、お客様の隣に座り小雪は絵本を開きます。
今日の物語は男の子が沢山旅して、最後には幸せになるお話です。
「ある所に、ちーくんと言う男の子が居ました――」
有る所に「ちーくん」という男の子が居ました。
ちーくんは何時もお姉ちゃんと一緒。いつでもどこでもお姉ちゃんと一緒。
ちーくんはお姉ちゃんが大好きなんです。
ある日の事です。ちーくんが目を覚ますとお姉ちゃんは何処にもいませんでした。
ちーくんは大慌て――。
ここでお客様が不安そうに問いかけて来ます。
おねえちゃんはどこへいっちゃったの?
「さあ、どこでしょうね?どこにいっちゃったんでしょうか?」
小雪がとぼけると、お客様は頬を膨らまします。
小雪は続けました。
「どこを探してもお姉ちゃんはいません」
こまったちーくん。
でもちーくんは男の子。ここで泣いたりはしません。
『そうだ。おねえちゃんを探しに行けばいいんだ!』
ちーくんは大きく頷いてお姉ちゃんを探す為に家を飛び出したのです。
ここからちーくんの大冒険のはじまりです。
森の中でお腹を空かせた、嫌われ者の熊さんに出会い仲良くなって、お別れして。
青い海の中で怪我をイルカさんに出会って助けて、お礼にお城のある国に連れて貰って。
お城で可愛いお姫様と出会い仲良く遊んで、それでもお姉ちゃんを探しに行くために泣く泣くお別れして。
ちーくんが冒険をするたびにお客様も小雪も悲しくて可笑しくて、楽しくてころころ表情を変えて楽しみます。
2人は寄り添って、それこそ本当の姉弟の様に絵本を読み進んでいきました。
絵本のページは少なくなっていきます。のこり2ページになったのは直ぐの事です。
「疲れ切ったちーくんは家に戻って来ました」
結局お姉ちゃんは見つけることなく家に帰って来たちーくん。
お客様もとても悲しそうです。小さな声で、おねえちゃんはどこ?と小雪の服を掴みます。
悲しそうなお客様の頭を撫でて、小雪は小さく頷きます。
「ちーくんは誰も居ない家をあけて『だたいま』と声をだしました。『おかえりー』そんな声が帰って来たのはその時です」
そう言って小雪が最後のページを開くとビックリ。
絵本のページには抱き合う笑顔のちーくんとお姉ちゃんの姿が描かれていました。
「なんと、ちーくんが家に戻ってくるとお姉ちゃんが笑顔で待っていてくれたのです。ちーくんは嬉しくなって嬉しくなってお姉ちゃんに抱き付きます。『何処へ行っていたの?』『ちーくんの大好きなベリーのパイを作る為に街まで行っていたのよ』。心配したんだからとお姉ちゃんは言います。ちーくんは大喜び。そして、嬉しそうに楽しそうにお話を始めるのです。今日の出来事。お姉ちゃんを探してちーくんが、どんな大冒険をしてい来たか。大好きなお姉ちゃんに沢山お話を聞いてもらいたくて。お姉ちゃんはそんな、ちーくんを前に同じように笑顔で嬉しそうに大きく頷いてしっかりと抱きしめるのでした。――おしまい」
こうして、ちーくんの大冒険のお話は終わります。
めでたし、めでたし。皆幸せのハッピーエンド。
これにはお客様も大喜びです。
ちーくんはおねえちゃんとあえたの?やったー。よかったね。
飛び切りの笑顔で面白かった、もう一回と小雪にせがむのです。
そんなお客様に小雪も優しく笑います。
「分かりました!ではもう一回!」
手に持つ絵本を最初から戻し、また初めから読み返すのです。
大きな布団の中、寄り添ってニコニコと。お客様が眠ってしまう間までの静かな時間にございました。
◇
次の朝。お別れの朝。
小雪は布団の中ですやすや眠るお客様に声を掛けました。
「みくり君、みくり君。朝ですよ」
声を掛けると、お客様は目を擦りながら目を覚まします。
昨日は夜遅くまで楽しかったからか、まだ眠たそうです。
それでも可愛らしい笑顔で、おはよう。お姉ちゃんと声を掛けてくれるのです。
小雪は一瞬寂しい気持ちが溢れましたが、必死の笑顔であいさつのお返し。
「さあ、さあ。みくり君。朝ごはんの準備が出来ていますよ。今日は腕によりをかけて作りました!」
お客様が綺麗に選択され、ほつれた場所を縫われた優しい匂いがする洋服に着替えた後。
小雪は今朝から朝早くに起きて頑張って作ったご飯を持ってきました。
机の上に置いたのは、小さな水色のお弁当箱。ヒヨコの水筒と一緒です。
楽しそうにあけていい?と問いかけてくるお客様に小雪は大きく頷きます。
お客様がお弁当の蓋を開けたと同時。
うわぁ!!
と、とびっきりの歓声を上げたのは次の事。
当たり前です。だって、お客様の目に映ったのは、彩鮮やかなお弁当。
海苔と鮭、薄焼き卵で作られたウサギとヒヨコのおにぎり。
ウインナーはタコさんとカニさんの形で、プチトマトと小さなウズラの卵がタワーの様に重なりピンクの櫛が刺さっています。
ブロッコリーの上には星形のチーズがちょこん。真っ赤なイチゴとパイナップルがキラキラ光っているのです。
「みくり君はおにぎりが良いと言いましたが。……小雪がどうしても作りたくて、作っちゃいました。食べてくれますか?」
首を傾げ、問いかける小雪。
お客様はキラキラした瞳で、とびっきりの笑顔で大きく頷くのです。
手元にあった小さなフォークを掴んで、少しだけ止まって。
いただきまーす!
タコさんウインナーを頬張って更に笑顔を浮かべたのは瞬間の事にございます。
おにぎりを手に持ってパクリ。
卵を頬張ってパクリ。
ブロッコリーもパクリ。
リスの様に、頬を膨らませてお客様は食べ進めていくのです。
小雪はその様子を笑顔で見つめていました。
「おいしいですか?」
その言葉は不要でしょう。
最後まで小雪は笑顔で最後まで見届けるのです。
最後のイチゴ――コレをぱくりと頬張った後。小雪は問いかけます。
「お腹いっぱいになりましたか?」
この問いにお客様はやはり笑顔です。
笑顔で大きく頷います。
小雪は笑顔で「よかった」と一言。
水色の弁当箱を片付けて、そしてお客様を見つめるのです。
「では、みくり様。お時間です……」
お客様は不思議そうな顔で首を傾げました。
――。
大きな門の前。
小雪はお客様と手を繋いで前に立ちます。
お客様は不思議そうに、ずっと首を傾げていました。
どうしたの?不安そうな声が響きます。
小さな、小さなお客様。
小雪はこんなお客様には宿の秘密は喋らないようにしております。
話せば泣いてしまうのが分かっているからです。
最後の瞬間、涙で悲しいお別れなんて絶対に嫌ですから。
それでも、この最後の瞬間だけはどうしようもないのです。
小雪はしゃがむとお客様の目線迄腰を下ろし、口を開きます。
「みくり様。お別れの時間です」
小雪の言葉にお客様は、また一度首を傾げました。
小雪は続けます。
「あの門の向こう。光る道を歩いて行ってください。その先が、貴方の新しいお家となります」
長い間。
お客様は首を縦に振ります。でも、その顔は酷く不安そうです。
そして言うのです。
おねえちゃんも、いっしょにきてくれるんだよね?
小雪は――。
何も言えませんでした。
何も言えなくて、でも嘘を言うことも出来なくて、静かに首を横に振ります。
「小雪はこの先にはいけません。お客様一人で歩いていくのです」
再び、長い間が流れました。
小さな頭が言われたことを必死に理解しようとしているのです。
やだ。
お客様は首を横に振りました。
小雪の手を掴んで、ひっぱって、いっしょにいきたいと今にも泣きそうな声で言いました。
でも、コレばかりは小雪にはどうすることも出来ないのです。
だから、小雪はお客様の頭に手を伸ばし、優しく撫でながら言うのです。
「みくり君。泣かないでください。あの先にお母さんがまっているんですよ」
悲しい、優しい、魔法の言葉を。
お客様は目を大きくさせ小雪を見上げます。
その瞳で、今度は木造の門を見つめます。
ほんとう?
不安そうな、小さな声。
小雪は頷きました。笑顔で頷きました。
「はい。本当ですとも!彼方で、お母さんがずっと待っているんですよ」
真っすぐにお客様を見つめて。
また、長い間がその場に流れました。
わかった。いく。
それでも、お客様がそう言ったのはどれほど経った頃の事でしょうか。
小雪の目にキラキラした決意が籠った瞳が映ります。
小雪の手を掴む小さな手が小雪から離れます。
小さな温もりが無くなったと同時、小雪も立ち上がりました。
自分に背を向けたお客様を見送るべく、真っすぐに見据えます。
おねえちゃん
光の道。
輝く新たな未来の前。最後にお客様が口を開きました。
振り返った彼の顔は何処までも笑顔で、何処までもきらきらと輝いておりました。
ありがとう
またね
だいすきだよ
紅葉のような小さな手で振り切れんばかりで手を振って、それが最後の言葉。
目を覆いたくなるほどの光が辺りを包んだのは次の瞬間。
「……いってらっしゃい、ませ。みくり君――」
小雪の声だけが寂しく、響き渡るのです。
光が無くなって、小雪が顔を上げた時そこには可愛らしい元気いっぱいなお客様の姿は何処にもありません。
有るのは寂しい雪景色。
そこにポツンと小雪だけが取り残されているのです。
小雪はがくりと膝を付きます。
顔を覆って、零れる涙を必死に拭います。
たった一日。
たった数時間の小さな弟はいません。
ここにくる小さなお客様はいつもそう。
いつも、いつも、最後はお母さんを求めて未来へと進んでいくのです。
もう小雪には願う事しか出来ません。
小雪は神さんですが、それでも神様に強く願うのです。
今度の未来。
今度の転生先では、どうか。
あの小さなお客様に何処までも続く幸せな時間が続きますように――。
一人ぼっちの雪化粧の中で。
一人ぼっちの神様さんは人の幸せを願うのです。
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