第2話

「なんだよ小姑みたいにうるさいな」

 後日、ため池に向かう道で景虎かげとら香奈美かなみに向かって小蝿を追い払うような仕草をした。

 あれから二人の仲は険悪とは言わないまでも、良好とは言い難かった。

「考えてみてよ、景虎。輝夜かぐやに告白しても誰も幸せにならない」

「君に何が分かる」

 ことの異常は誰にだって分かるだろう。

「あんたの親友なんだから分かるよ」

「じゃあ応援してくれてもいいのにな。どうしたんだよ?」

 突然立ち止まった香奈美を景虎は振り返る。

「景虎、私と付き合おう」

 香奈美は真っ直ぐ景虎の目を見つめた。耳が火照って熱い。恥ずかしくて逃げ出したかった。

 もっと女々しい言い方も出来ただろうが、これが精一杯だった。

「香奈美、お前……」

 二人の間に気まずい空気が流れた直後。景虎はそれを一掃するように笑い声を上げた。

「ハハハ、くだらないな! 君は親友だろ? どうして親友と付き合えって言うんだ。第一君は俺のことが好きなのか?」

 好きです付き合って下さい、と言えばいいのだろうか? 香奈美は逡巡した。

「ああ、そうだよ」

「嘘だね。それは人間として尊敬してるという意味だろ」

 カチンと来た。景虎はやっぱりおかしい。

 誰かに自分を否定されたくないばかりに彼は我を見失っているようだった。

 こんな思い上がりをする彼は嫌いだ。

「尊敬だなんて思い上がりだよ」

「なんだよ、じゃあ俺が君を親友だと思っていたのも思い上がりだったんだな! とんだ馬鹿野郎じゃないか!」

 景虎は怒りに任せて声を上げた。

「そこまで言ってないよ」

「ふん、もういいよ。俺の言うこと全てに相槌を打ってくれた君はどこに行ったんだろうね」

 景虎が遠くなっていく感覚がした。私の知ってる景虎はもう戻って来ない。景虎が私を信頼して打ち明けてくれたから、私の知らない景虎を知ってしまった。

 どうして私を受け入れてくれないのだろう。香奈美は悲しくて堪らなかった。

 でももう突き放してしまうのがいいのだろう。それが一番なんだ、きっと。

「あんたの話、もうつまんない」

「そうか、そんなこと言う香奈美はもういらないよ」

 チクリと胸が痛んだ。決定的な言葉。それは景虎と香奈美の間を繋ぐ友情を途絶えさせるのに十分だった。ああ、もう私たちは戻れないんだ。香奈美は涙を堪えた。

「私もだよ。もう絶交するしかないね」

「ああそうだな。俺もちょうどそれを考えてたところだ」

 その時、ちょうどため池に到着した。ここで別れるのが一番だろう。香奈美は意を決した。

「私知ってるからね。あんたが輝夜に何をしたか」

 景虎の表情がギクリとした。

「これは……これは俺と輝夜の問題だ。お前は口を出すな」

 こんな怖い景虎は初めてだ。とうとう引き返せないところまで来てしまった。

「じゃあ最後に一つだけ言わせて」

「ああ、なんでもどうぞ」

 さようなら、景虎。

「あんた相当気持ち悪いよ」

 二人の間に沈黙が流れる。風が池の水面を揺らす音が聞こえて来そうな程静かな時間が過ぎた。そして——


 *


 その年の夏、東景虎は忽然と姿を消した。

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