別れのワルツ

カフェオレ

第1話

 東景虎あずまかげとら吉沢香奈美よしざわかなみの親友だった。

 香奈美が彼を知ったのは高校二年で同じクラスになってからのことだった。

 景虎は頭のいい男だった。だが変な男でもあった。彼の言葉は全く訳の分からないものばかりで「好きな食べ物は先天的に決まっているのか、後天的に決まるのか」とか、「順位というのは上位層のためにあるのか、それとも下位層を炙り出すためなのか」とか香奈美にはちっとも興味のない内容だった。クラスメイトの大半もそうだったし、気味が悪いと距離を置く者もいた。しかし香奈美は彼の話を聞くのが大好きだった。話の本質なんてどうでもいい。ただ景虎が話している姿、声が好きだった。二人はよく学校近くのため池のほとりで会い、放課後を潰した。

 景虎も話を聞いてくれる友達が出来てとても嬉しそうだった。

「来いよ、面白い話があるんだ」

 そう言われると香奈美の胸は弾んだ。

 しかし景虎と過ごした日々がいつも穏やかだった訳ではない。感情的になった彼は誰も手が付けられなかった。香奈美が一度酷く景虎をなじった時、カッターを向けられたことがある。振り回す度胸はなかったが流石に肝が冷えた。そんな弱い景虎でも香奈美は嫌いにはなれなかった。

 これは決して愛情とか恋心といったものではない。香奈美はそう自分に言い聞かせた。

 景虎が一人前に人を好きになることはない。だから私も期待してはいけないんだ。

 景虎と一緒にいるのはただなんとなく居心地が良いだけだ。言うなれば暇潰しだ。退屈な授業や同級生の話す訳の分からない「流行りの話題」よりも全然楽しい。それだけだ。

 そんな景虎と仲良くなったきっかけはもう覚えていない。彼と話した内容なんて聞いた側から忘れてしまった。それでも香奈美には景虎と一緒にいたという事実があればそれだけで良かった。


「大事な話があるんだ」

 高校三年の夏。景虎は神妙な面持ちでそう言った。

 今まで面白い話とか、凄い話は聞いたが大事な話なんて初めてだった。彼の真剣な眼差しを思い出すと香奈美はソワソワした。きっと何か刺激的な話題があるんだ。そう思い、いつものため池へと向かった。

 告白? まさかな。私と景虎がそんな関係になるはずがない。景虎がそんなありきたりな男なはずがない。

 なんだろう? 宇宙の法則を理解したのかな? それとも担任の教師のシャツのルーティーンを発見したのかな? 何でもいい。景虎の訳の分からない話が聞けるだけで香奈美は満足だった。それでも彼女は淡い期待を抱かずにはいられなかった。


輝夜かぐやが好きなんだ。俺は本気だ」

 いつものため池で景虎はそう告白した。それに対し、香奈美は絶句した後こう言った。

「……正気じゃないね」

 東輝夜あずまかぐやは景虎の一つ下の実の妹だ。

 香奈美は軽蔑の眼差しを向けた。景虎の話はいつも意味不明だが本気であり、嘘を吐くことはない。きっとこれも本当なんだろう。

「分かってるよ。でも止められないんだ。君女子だよね? なあどうすればいい?」

「あんたおかしいよ」

「そんなこと言うなよ。俺たち親友だろ?」

 景虎の恋愛話に興味がない訳ではない。これまで恋愛の話題なんて毛ほども興味のなかった彼の恋心。しかしこれは普通じゃない。

「輝夜は確かにいい子だけど。そんな、あんた実の妹が好きって。恋愛の方だよね?」

「当たり前だろ! 異性としてしか輝夜を見れない。なんだよその目は」

「気持ち悪いよ景虎」

「なんだよ、君までそんな俗物の言葉を使うとはな! もう一度言ってみろ、どうなるか分からないぞ」

 景虎は自分の言葉を否定されるのを極度に嫌がる。その拒絶反応は凄まじいのを香奈美は何度も目の当たりにしている。特に「気持ち悪い」は何かトラウマがあるのだろう。

「君までって、あんた他の誰かに言ったの?」

「ああ輝夜に一度告白したよ。そしたらあいつ俺のことを、その」

 気持ち悪いと言ったのだろう。

「当たり前だよ。だってそんな」

「とにかく俺は本気だ。絶対にもう一度告白してやるぞ」

「やめた方がいいって」

「ああもういい、もういい。せっかく君に俺の悩みを打ち明けたのに。もう何も言わないでくれ」

 そう言うと景虎はさっさと帰って行った。


 香奈美は胸を締め付けられる痛みを感じた。

 こんなに景虎に拒絶されたのは初めてだった。このままでは取り返しがつかないことになりそうだ。そんな予感がした。

 しかし、気持ち悪いと言った時のあの反応を見ると本気で輝夜が心配になる。これはどうなるか分からない。なんとかしなければ。


 *


「やっぱり香奈美さんには言ったんですね」

 景虎が去った後、香奈美は輝夜を捕まえてため池に連れてきた。元々輝夜はおとなしい性格だが、この日はいつもとは違う、何かに怯えているような印象を抱いた。

「うん、あいつ元からおかしいけど、これは流石にね。なんか目がヤバイ」

「……私お兄ちゃんが怖いんです。次告白して来たら私どんなことを言ってしまうか。そしたらお兄ちゃん手付けれなくなるから」

 輝夜は右手で左肩を押さえた。

「気持ち悪いって言ったみたいだね。それであいつは何かしたの?」

「無理矢理に、その……言いたくありません」

 それを聞いた瞬間、香奈美の内に激しい感情が沸いた。

 景虎に対する明確な嫌悪感。彼にこんな感情を抱いたのは初めてだった。怒りと悲しみを抑えるように香奈美は拳を握りしめた。俗物はどっちだよ。

「最低だな」

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