#35 戦火の記憶

「これで材料は全部だ。無駄遣いは許さんからな」

「分かってますって。あと出来上がった塗料はその辺の空き缶に入れて大丈夫ですかね?」

「塗料が変質しないなら問題はない。くれぐれも頼んだぞ」


 ガルベナードは魔王城の地下室に材料を運び終え、いよいよ塗料作りが始まる。と言っても、彼には他の業務があるので実際に作業するのはデネクスひとりになるのだが。


「……今思ったんすけど、魔王城の屋根をふき替えるのって『あの時』以来で間違ってませんよね?」

「言われてみればそうなるな。俺が魔王になる時、戴冠式に合わせて城中を綺麗にのは覚えてる」


 デネクスは塗料の素材を大釜に放り込みながら、他愛のない会話を始める。それに答える上司は部屋の壁に寄りかかり、懐から取り出した羊皮紙を見ながら今後の予定を確認している。


「あの頃は戦争直後でごたごたしてましたもんねぇ。先代のボスとか、小生の同僚もみんな討ち取られちゃって。それで人手が足りないから――」


 大釜に火を入れた後もデネクスは中身をかき混ぜながら話を続けるが、一瞬ギラリと目を光らせたガルベナードと視線が合う。先程まで淡々としていた上司だったが、その表情は険しいものへと変わっていた。


「あれっ……もしかして小生、ボスの地雷踏んじゃいました……?」

「分かってるなら口より手を動かせ。これ以上ふざけたら部屋を没収するぞ」


 ガルベナードはどうにも口が軽い部下に、これまた険しい口調で忠告する。デネクスは「はいはい」と軽く受け流しながら、マイペースに調合を進めていく。

 そういった不穏な空気の中、ふたりは個別に過去の出来事に思いを巡らせる。この地下室はガルベナードの来歴――もとい忌まわしい記憶と深い関わりがあった。




 今からおよそ百年前、人間の治める国として最大の勢力を保持していたクランドル皇国は、更なる領土拡大と土地の浄化を目的として魔族領に侵攻していった。十万を超える規模の軍勢に魔王軍も応戦したが、皇国軍は魔物たちを蹴散らし破竹の勢いで進軍していった。


 当時人間だったデネクスも、魔軍十六座として戦いに参加した。しかし女神クラディアの加護を受けた皇国軍の武具の前では、彼ら幹部でさえも有象無象の如く次々と倒されていった。


 そうして魔族領全域を巻き込んだ戦争は、ガルベナードの父である魔王ガルベリオスが討ち取られたことで区切りを迎え、人間による土地の整備が始まった。ところが、戦争がなくなったことで武具から女神の加護が失われ、魔族領の瘴気の影響で心身に異常をきたし、そのまま命を落とす者が続出したのである。皇国軍はやむを得ず魔族領から撤退し、国同士の勢力図は変わることなく双方の戦力が削がれる結果となった。


 ガルベナードはこの戦争の間、城の地下室に隠れて皇国軍の魔の手から逃れるよう父から言い渡された。当時のガルベナードにも皇国軍と戦うだけの力はあったのかもしれないが、魔族領の王位継承者を失うわけにもいかなかったのだ。


『こうやってお前と話せる時が再び来るかどうかは分からない。しかしガルベナードなら、父さんにも引けを取らない立派な魔王になれると信じているぞ』


 その言葉と共に戦場へと向かっていく父の背中を、ガルベナードは昨日のことのように覚えている。開戦と同時に地下室への扉は魔法で閉ざされ、排気口の向こう側からは剣の交わる音や魔法の放たれる音、戦士の断末魔などが連日のように聞こえてきた。魔族は人間よりも少ない食糧で生き延びることができ、また地下室にはアルメーネとお目付け役のブレマーが同伴していたところで、戦争の恐ろしさを掻き消すことはできなかった。


 そのように耐え難い日々が続いたある日、皇国軍の兵士たちが撤退したという知らせが入った。命の危機が去ったガルベナードは地下室を出て、アルメーネやブレマーと共に地上の様子を見に行った。

 しかし久方ぶりにみる魔族領の土地は荒れ果て、人間と魔族の屍が入り乱れるように放置され死臭を放っていた。このような光景は見るに堪えず、ガルベナードは父が統治していた頃の秩序ある魔族領を取り戻したいと願った。


 そういった思いから、ガルベナードは魔王の座に就いて以降魔族領の再興に力を入れてきた。その過程でこれ以上戦力を失わないことを重視してきたが、代償として(魔族の中では相対的に)命を奪う行為に抵抗を持つようにもなってしまった。


 一方のデネクスは皇国軍との戦争で命を落とし、魔族領から皇国兵が撤退しきった頃にアンデッドとして蘇った。戦死した幹部の中で彼だけが復活した理由は不明だが、生前の強い執念から亡霊になった説が有力である。デネクスはアンデッド化に際して味覚などを失っていたが、戦死者が多く深刻な人手不足に悩んでいた魔王軍で引き続き幹部の仕事を任されることとなった。



(まさかボスも未だに父親の戦死を引きずってたとはね……だからこそ人間との戦争は起こしたくないし、マリナ君も完全な状態で引き渡したいって訳か)


 デネクスは大鍋をかき混ぜながら、無言でそうつぶやく。彼が過去の戦争について一通り振り返ったころにはガルベナードの怒りは収まり、不穏な雰囲気も元通りになっていた。


「さてと、俺は別の仕事を片付けてくる」

「あっ待ってくださいボス」


 予定表を懐にしまい退室しようとするガルベナードを、デネクスが呼び止める。


「小生の部屋にマリナ君を呼ぶのは最低限でお願いしますよ。でないと小生、下手したら蒸発しちゃうんで」


 デネクスは今後の注意事項を上司に伝える。しかし、


「蒸発……それは鍛えることで改善できないのか?」

「無理無理無理無理! 小生みたいなアンデッドは聖なる力に弱いって相場が決まってるんですよぉ!」

「……まあ、せいぜい死なないように気をつけるんだな」


 聖女の力で自分が消滅しかねないことを説明しても、上司にはいまひとつ伝わらなかった。デネクスは引き続き大鍋をかき混ぜながら、地下室を去っていくガルベナードを期待外れそうな顔で見送るのだった。

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