#34 黄泉返りの研究員

「こ、こんなところに二人だけで来て本当に大丈夫なのでしょうか……?」

「ベルクには木材の加工を頼んじまったし、アルメーネとフレットはトレムリーの補習で出かけたから仕方ない。あいつも強制的に動きを止めると記憶が混乱しちまうから困ったもんだ」

(それを動きを止めた当事者自ら『困った』と言ってしまうのですね……)


 トレムリーの無理難題をトンチでかわし、マリナとフレットの顔合わせを済ませた次の日、ガルベナードはマリナを連れて魔王城の地下階段を下っていた。魔王は聖女が怪我をしないように手をつなぎ、彼女の半歩後ろをついていく形で進んでいたが、マリナのほうは恐る恐る階段を降りている。


(しかもトレムリーさん以上に魔王様の実力行使が多いと言っていたような気がしますが、果たしてどんな御方なのでしょう……)


 彼女が手にしたランタンの灯りも、持ち主の恐怖心を表すかのようにゆらゆらと揺れていた。


「ここの部屋だ。この奥に、魔軍六座のメンバーのひとりがいる」

 ガルベナードとマリナは階段を降りきった先、石造りの扉の前で立ち止まる。扉には紫色のほのかな光を放つ魔法陣が刻まれており、いかにも怪しげな雰囲気を醸し出している。


「俺だ。開けるぞ」

 ガルベナードは扉を三度ノックした後そう言い、扉を開けて中に入る。魔王城の客間くらいの広さがある部屋は魔法の天井照明によって明るく照らされ、壁際の棚には奇妙な実験器具が数多く収められている。窓のない地下室でこれほど明るい部屋を見たことのないマリナにとっては新鮮に映った。


 そんな部屋の中央に配置された机には、瓶に入った様々な液体が並んでいる。そこにローブを着た青い髪の青年が座り、液体同士を混ぜ合わせて薬品の調合らしき作業を行っていた。


「ちょっとお前に紹介したい相手がいる。時間を借りるぞ」

「ボス……? 新しい彼女を紹介するのにわざわざ小生の部屋に来るなんて、悪いものでも食べたりしてません……?」


 ローブの青年は声掛けの主であるガルベナードのほうを向き、見知らぬ女性の姿を確認するなり冗談を口にする。同時に彼の右目のモノクルがマリナの持つランタンの灯りを反射し、不思議な輝きを放った。


「んな訳あるか。こいつはマリナ、クランドル正教の聖女だ」


 ふざけ調子の青年にも動じず、ガルベナードは聖女との顔合わせを進める。


「聖女ねぇ……小生はデネクス、魔王城ここで研究員と魔軍六座をさせてもらっているよ。よろしく」


 デネクスと名乗るローブ姿の飄々とした青年は、自己紹介すると同時にマリナに近寄り握手を求める。しかし、差し出された彼の手がすべて骨だったため、マリナは思わず身震いし、彼の手を握り返すことを躊躇ってしまう。そのようにマリナがおびえていたため、


「デネクス。あらかじめ忠告しておくが、彼女にかすり傷一つでも負わせたら人間共に殺されると思え」


 と、ガルベナードはデネクスの周囲をゆっくり歩き回りながら部下に釘を刺す。


「えっ、それを既に死んでいる小生に言います……? それに聖女なんて城の転送装置を使えばすぐに送り返せるんじゃ――」


 デネクスは上司の忠告も気にせずのらりくらりと会話を続ける。すると次の瞬間、ガルベナードはデネクスを部屋の壁際に追い詰め、壁に手をついて逃げ道を塞ぐ。いわゆる「壁ドン」と呼ばれるもので、国や時代が違えばパワハラ呼ばわりされかねない行為だが、あいにく魔王軍にそんな概念は存在しない。


「その転送装置をこの間お前が壊しちまったんだろうが。おかげで魔王軍こっちは聖女を預かるという前代未聞のタスクを課されているんだ」


 ガルベナードはそう言い、デネクスに圧をかける。背中の翼を大きく広げ、部下の顔面に文字通り影を落とす魔王に恋愛感情などなく、ただ怒りのみが彼の台詞から滲み出ている。


「あ、あれも経年劣化が激しかったし、小生が動作確認の時に誤作動で壊れたから許してくださいって。それにボスが小生なんかに壁ドンしても喜ぶ輩なんてごく一部しかいませんよ?」

「男同士の壁ドンに需要が少ないのは俺も承知済みだ。ただお前の場合蹴りも拳もすり抜けちまうから実力行使が大体壁ドンになっちまうだけだ」

「はいはい」


 ガルベナードとデネクスの言い合いは止まらず、険悪なムードが地下室に漂う。そんな状況を覆すことになったのは、


「あの……デネクスさんって一体何者なんですか? 既に死んでいるとか、拳をすり抜けると聞こえてきたのですが……」


 というマリナの質問だった。彼女としては深い考えなどはなく、ただ純粋に気になったことを訊いただけだったのだが。


「奴はもともと人間の魔法使いだったが、死んだ後にアンデッドとして蘇った。顔は魔法でカモフラージュしてるが、ローブの中身は実体のない骨だけだ」


 ガルベナードが質問に答える。先程の壁ドンの時と違い、彼の口調はいつも通りに戻っていた。


「ボスやマリナ君だって、甘いものを甘いと感じられなかったら悲しいでしょ? 小生もこんな姿になって百年くらい経つんだけど、今は消えちゃった味覚を取り戻すために研究を続けてて――」

「自分語りはそれくらいにしとけ。あと俺はマグマペッパーがあれば十分だ」


 なお、デネクスの方は勝手に話題を変えようとして上司に止められた模様。


「話を戻すが、聖女こいつが城に来た時に屋根が壊れて、今は穴が空いた状態になっている。そこでデネクスには屋根の塗料を作ってほしい」


 ガルベナードは改めてデネクスのほうを向き、真面目な顔で指令を下す。


「小生に塗料づくりねぇ……それってまたトレムリー君に頼もうとして、逆に面倒な頼み事を押し付けられたからですよね?」

「残念ながらその通りだ。材料は今から運び込むから待っていろ」


 デネクスは気難しそうな顔をするが、上司の命令には逆らえない。彼は渋々と机の上に並んだ奇妙な薬を保存用の瓶に移し、棚にしまって作業スペースを確保する。


「あの、私はどうしましょう……?」

「マリナ君は別の部屋で休んでるといいよ。荷運びみたいな力仕事を女の子にやらせるわけにはいかないからね」


 マリナの問いに対してデネクスはそう答える。一見聖女を気遣ったように見えるが、この手の人物は裏で良からぬことを画策しているのがお約束である。ガルベナードは部屋の扉に手をかけると同時に一瞬だけデネクスの顔を睨み、マリナを連れて地下室を後にしていった。

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