#11 村娘マリナが聖女になるまで

『聖女の持つ力は国をも動かしうること、突飛で無謀な行動は慎むこと、この二つを肝に銘じておけ』


 ガルベナードとアルメーネが去り、再び一人になった魔王城の客間。魔王が去り際に告げた一言は、今でもマリナの頭の中で反響し続けている。


「聖女の、チカラ…………」


 マリナは客間のソファに腰かけたまま、自身の手のひらを見つめながらつぶやく。思えばマリナが今クランドル正教の聖女という地位にいるのも、さらに言えば自分がクロシスの大聖堂へ行くことになったのも、自身が聖女としての力を持っていたからに他ならない。もっとも大聖堂へ移ってきた当時はマリナもまだ幼かったので、はっきり覚えているわけではないのだが。




 マリナが生まれ育ったのは、周囲を森に囲まれた貧しい村だった。村人全員を養えるだけの作物を収穫することができず、毎年のように飢えで亡くなる人間がいた。


 そんな時、クランドル正教の司教たちが村を訪れた。彼らは聖都クロシスへ向かう旅の途中だったそうだが、幼いマリナの手の甲にクランドル正教の紋章が現れているのに気が付き、彼女を聖女としてクロシスへ連れて行くと言い出した。村としても養うべき人間の数が減るのは都合がよかったため、マリナはそのまま司教たちの旅に同行することになった。



 そうして村を旅立って数日後の日暮れ。聖都に通じる街道の脇で一行が野営の準備をしていた時、マリナ達は魔物に襲われた。相手はダークフォグ。実体のない体を霧のように周囲に広げ、相手の視界を奪って攻撃する魔物である。普段であれば街道沿いに出現する魔物ではないし、並の司教が撃退できるような相手でもない。キャンプは瞬く間にダークフォグに覆われてしまい、一行が助かる可能性は限りなく低かった。


 そんな窮地を救ったのは、この場にいる中で最年少のマリナだった。彼女が恐怖のあまり両目をぎゅっと閉じ、顔の前で両手を組んで攻撃が当たらないよう祈りのポーズを取った途端、彼女の手の甲にある紋章からまばゆい光が放たれた。光を嫌う性質のあるダークフォグはあっという間に雲散霧消し、キャンプ地は再び黄昏の光に包まれる。司教たちは女神クラディアに感謝の祈りを捧げ、その晩は幼い聖女を讃えるささやかな宴が催されたという。

 マリナはここで初めて、自分が特別な力を持っていると自覚したのだった。



 聖都クロシスに着いてからの日々は、言ってしまえば変化に乏しく退屈だった。


 朝は日の出前に起床し、司教たちとともに主神である女神クラディアに祈りを捧げる。礼拝の後は朝食を食べ、午前中は大聖堂を訪れた人たちをもてなす。昼食後は聖典を読み、クランドル正教の教義について理解を深める。そして日が沈むころに夕食を食べ、入浴を済ませたら速やかに眠る。毎日がこれの繰り返しで、幼子だからと言って特例扱いされることもほとんどなかった。


 そのような生活を送る中で、いったいどれほどの月日が流れただろう。マリナが実際に数えたわけではないが、少なくとも十年以上はクロシスで過ごしてきた気がする。村に残してきた人たちを心配に思ったことだって、一度や二度ではなかった。


 しかし長年の習慣が染み付いてしまったのか、マリナは自身が過ごす日々を大変だとは思わなかった。内容が質素とはいえ日に三度の食事はきっちり食べられるし、寝床が雨風にさらされることもない。そして何より、聖女の奇跡によって怪我や病気から解放された人たちの笑顔が、マリナに生きる活力を与えてくれた。




 そのような聖女としての穏やかな日常は、理不尽なことにたった一日でひっくり返ってしまった。今の彼女にできるのは、一日でも早くクロシスに戻れるよう、女神クラディアに祈りを捧げることだけだった。


 マリナはそっと目を閉じ、両手を合わせて黙祷する。悠久にも思えるような時間が、魔王城の客間に流れる。




「マリナ様ー、夕食の準備ができましたので食堂にいらしてください」


 廊下からアルメーネの声が聞こえる。一時的とはいえ魔王城で暮らす以上、マリナは魔族のしきたりに従わなければならない。彼女は声の主に返事をし、廊下のほうへ歩いていくのだった。

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