#10 世間知らずでも一人で悪霊退治できますか?

(それにしても、この部屋には色々なものが置いてあるのですね……)


 魔王城の客間。マリナは部屋の調度品が気になるのか、アルメーネが去った後も相変わらず部屋の中を見渡しては気になったものを間近で眺めている。


(これは……タンスでしょうか? 聖都クロシスの宿舎だけでなく魔王城にもあるとは意外でしたわ……)


 そんな中でマリナの目に留まったのは、美しい木目が特徴の洋服箪笥だんすだった。タンスには全部で五段の引き出しがあり、そのうち最上段のものは二つに分割されている。


(中に何か入っているのでしょうか……?)


 マリナは興味本位でタンスの引き出しをひとつ開けてみる。すると、引き出しの中から黒いもやのような物体が一斉に吹き出し、人間の上半身を模したような形を作る。マリナの前に現れたのは、5体のトリックシャドウ。幽霊のように実体のない身体を持ち、廃墟の家具などに潜んで人を驚かせることや不意打ちをすることが得意な魔物だ。


(ま、魔物!? 完全に気を抜いていました……!)


 マリナは驚きのあまり後方に下がろうとするが、足を踏み外して尻餅をついてしまう。彼女が床に座ったまま後ずさりしている間にも、トリックシャドウ達はフォーメーションを組みながらマリナとの間合いを詰めていく。魔物のうち3体は壁を作るようにマリナの前に立ちはだかり、残る2体は後方で呪文の詠唱をしている。そうしているうちに、マリナは壁際まで追い詰められてしまった。


(魔王様であればこの魔物も簡単に倒せるのでしょうけれど、彼の到着を待っていたら私も無事では済まないかもしれない……ここは一か八か、私が対処しなければ……!)


 マリナは意を決して、壁伝いにゆっくりと立ち上がり、詠唱の構えを取る。


「光司りし博愛の女神クラディアよ……我が魂の呼びかけに応え、不浄なる敵を打ち払い給え――」


 マリナは両手で印を組み、呪文を唱え始める。彼女の左手にあるクランドル正教の紋章も、詠唱に応じて淡く輝き始めた。途中でトリックシャドウが放った呪文が彼女の腕をかすめるが、マリナは気にすることなく詠唱を続ける。

そして、


「セイントレイ!」


 マリナがそう唱えると同時に光り輝く魔法陣が現れ、レーザーのような光の柱がトリックシャドウ達を次々と貫いていく。光の攻撃を受けた魔物たちは断末魔をあげながら、虚空へと消えていった。


(はぁ、はぁ…………私一人でもなんとかなりました……)


 襲い掛かる魔物をすべて倒したマリナは安堵し、よろめきながらも客間のソファへと歩を進め、そのまま座り込む。これまでも大聖堂に入り込んだ悪霊を倒したことはあったが、その際には司教たちも一緒だったので、マリナ一人での悪霊退治はこれが初めてだった。

 そんな中、


「何やら不穏な気配がしたから駆けつけてきたが、どうやら俺が相手をするまでもなかったようだな」

「ガルベナード様……今度から城の廊下は走らないでくださいませ……」


 と、客間の入り口のほうから男女のしゃべり声が聞こえてくる。マリナが声のするほうを振り返ってみると、そこには威厳あるたたずまいのガルベナードと、上司に振り回されて困り果てた表情を浮かべるアルメーネの姿があった。


「お……お二人とも、一体いつからそこにいらしたのですか……?」

「お前が呪文を唱えていたあたりからだな。何なら俺が今ここで復唱してやろうか?」

「ガルベナード様、余計な真似はおやめください」


 マリナからの質問に、ガルベナードは余裕ある表情で答える。彼はついでに冗談を言ってみせるが、アルメーネの一言で正気に戻されてしまう。


「話を戻すとしよう。さっきの戦いで怪我はなかったか?」

「私は大丈夫で――あっ」


 ガルベナードに話題を振られたことで、マリナは改めて自分が怪我をしていることに気づく。先ほどのトリックシャドウの襲撃で魔法を受けた部位は真っ赤にただれ、周囲が黒いあざのようなものに囲まれていた。


 しかし、マリナが患部に左手を当てて静かに念じると、先ほど受けた傷はみるみるうちにふさがっていき、あっという間に傷一つない元通りの姿になっていった。クランドル正教において「聖女の奇跡」と呼ばれた御業が、魔王城で披露された瞬間だった。


「聖女マリナよ。お前が魔族の力を借りなくても悪霊を退けられることは、先ほどの戦いで証明された。だが聖女おまえが何らかの原因で傷を負ったとなれば、人間どもはそれを魔族の仕業と断定し、ここを攻め滅ぼしに来る可能性も否定できない。聖女の持つ力は国をも動かしうること、突飛で無謀な行動は慎むこと、この二つを肝に銘じておけ」


 聖女の奇跡を目の当たりにしたガルベナードは魔王の威厳そのままに、マリナに向けて忠告する。彼の双眸に射すくめられた聖女は初め戸惑ったような表情を見せるが、しばしの沈黙の後、


「……わかりました」


 と返事を返す。


(……正直なところ、ガルベナード様も突飛で無謀な行動は慎めていないので、忠告されてもいまいち信ぴょう性に欠けるのが現実なんですけどね……)


 一方、アルメーネは苦笑いするのを必死にこらえながら、心の中でそうつぶやく。


「俺からは以上だ」


 ガルベナードはその一言で会話を締めくくると、きびすを返して廊下の向こうへと姿を消していった。


「突然お邪魔してしまってすみません。今から夕食を作り始めますので、用意ができたらまたお呼びしますね」


 アルメーネもそう言い、客間を後にしていく。再び一人になったマリナは、自身の手の甲にあるクランドル正教の紋章をしばらくの間見つめていた。

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