#9 魔王城は広い、でも廊下を走ってはいけない

「戻りました」

「アルメーネか。案内ご苦労だったな」


 ガルベーナードの部屋の前で、アルメーネは扉をノックして中に入る。天蓋付きのベッドや、いかにも高級そうな装飾の丸テーブルと椅子が並んだその部屋に、魔王の姿は見られない。


「自室の掃除は終わったのですね」

「ああ。今は隣の執務室で作戦を練っている」


 ガルベナードの返事が、隣の部屋から返ってくる。留守になった魔王の私室は綺麗に片付けられており、客人を呼んでも恥ずかしくないような内装になっていた――あくまで見かけ上の話ではあるが。


(ガルベナード様は部屋の掃除を終えられたようですが、この様子ですとおそらく散らばったものをまとめて棚に押し込んでいるのでしょうね……)


 魔王の私室に設置されている、折れ戸式のクローゼット。その扉が完全に締まりきっておらず、少しだけ山形に膨らんでいるのを見て、アルメーネは苦々しい表情を浮かべる。クローゼットの隣に置かれた洋箪笥だんすも、よく見ると引き出しのうちの一つが小指の幅の分だけ前にせり出している。

 しかし、これ以上ガルベナードを叱っても彼が落ち込むだけだと判断したアルメーネは、これらの些細なほころびについては黙っておくことにした。


「失礼しますわ」


 アルメーネは魔王の私室と行き来できるように配置された通用口から、隣の執務室へ入る。その執務室でガルベナードは机の上に魔王城建設当時の設計図を広げ、今後の方針を考えていた。


「こうしてみると、やっぱり魔王城って広いのですね。部屋も沢山ありますし」


 アルメーネは魔王の座る机に近寄り、上から設計図をのぞき込む。そこには魔王城を象徴する玉座の間や、一階に大きく設けられた食堂、防衛のために曲がり角を増やした廊下と、そこに沿うように配置された個室などが記されている。魔族には人間よりも体躯が大きい者もいるので、城の設備やそれぞれの個室は人間領の建物よりも大きく設定されているのが特徴だ。


「そうだな――やはり魔王の威厳を知らしめるためには、このくらいの大きさの城が必要になってくる。それに魔王軍の幹部それぞれに個室を与えたのも、建物が大きくなった理由の一つだろう。今は六人だから『魔軍六座まぐんろくざ』と呼んでいるが、親父の代ではもっと人数の多い『魔軍十六座まぐんじゅうろくざ』だったからな」


 ガルベナードはおもむろにアルメーネのほうを向きながらつぶやく。


「今では幹部の部屋はほとんど使われないせいで、罠の張られた空き部屋になっていますものね……ところで、先代の幹部は何故十六名だったのでしょう? こういう時はキリの良い数を使うことが多いように思えるのですが……」

「別に16もキリが悪い数じゃない。二進数だと10000になるし、何なら十六進数という考え方もあるからな」

「にしん、すう……? 難しい考え方ですわ」


 部下の疑問に対して、彼女のほうを向いて真顔で答えるガルベナード。しかしアルメーネは上司の言葉の意味が理解できず、頭上に疑問符を浮かべる。


「それを考えると今の『魔軍六座』もキリが良くないだろうと言い出す輩もいそうだが……勇者に侵攻されて、魔王軍に所属する多くの魔族がたおされた中で、生き残った有力な奴らをかき集めて結成したから仕方ないだろうな。勿論そこから今日までに代替わりなんかもあったが」


 ガルベナードは頬杖をつき、反対の手で地図を指さして話を続ける。


「そんなわけで、今の魔王城が大きさの割に住人が少ないのにはそれなりの理由がある。だが、このままでは何かの拍子に聖女に怪我を負わせてしまうかもしれない。それを防ぐには城内の改装作業が急務となるが、そこに時間と人手の問題がつきまとうのが世の常だ」

「たしかに、現在の魔王城の作業員といえば魔力で動くゴーレムがほとんどですからね。彼らは清掃などの単純な業務なら任せられるのですが、エビルヴァインのような罠を取り除く作業は果たして可能なのでしょうか……?」


 上司の聞き役に徹していたアルメーネも、自身の見解を述べる。


「そのあたりは作り主に聞くのが早いだろう――ちょっと待った、城内から不穏な気配がする」


 ガルベナードも言葉を返すが、邪気を感じ取ったことで椅子から立ち上がり、すたすたと歩いて執務室の外へ出る。


「この方向だとおそらく客間が発生源だろう。マリナを守りに行くぞ」

「『行く』って、まさか……」


 上司の発言を聞いて、嫌な予感がアルメーネの頭によぎる。そんな部下のことなどお構いなしに、ガルベナードは廊下のど真ん中でクラウチングスタートの構えを取り、



「アクセラレーション!」



 スタートと同時に加速の呪文を唱え、目にも止まらぬ速さで魔王城の廊下を疾走する。人によっては、走っている彼の残像が青いハリネズミのように見えるかもしれない。


(やっぱりこうなったぁぁぁぁ!)


 一方で、悪い予感が的中してしまったアルメーネは頬に両手を当て、心の中で悲鳴を上げる。


「ガルベナード様! 廊下を走ってはいけないとブレマー様に教わったのではないのですか!?」

「大丈夫だ、ちゃんと城を壊さないようにスピードは制御しているし、そもそもこんなガラ空きの城内で誰かとぶつかることもないはずだ」


 アルメーネの𠮟責に、ガルベナードは走りながら返事をする。城内の廊下は防衛のために曲がり角がいくつも配置されているはずなのだが、魔王は全速力でもぶつかることなく進路に沿って走っていく。


(そういう問題ではないのですが……とにかくわたくしも急がなければ)


 アルメーネは呆れながらも心の中でそうつぶやき、がルベナードの後を追って小走りで客間へと向かうのだった。

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