大凶: 誘拐犯の視点②
これ以上ボロが出るのも困るので、京吾はラジオを付けて、何か報道されてしまうことがないか確かめつつ身代金の連絡を受け取る策について考えていた。過去に起こった誘拐事件について書き留めたメモを参考に、今後の算段を練る。
「畜生、こっからどうすりゃいいんだっけな…もう頭の中が真っ白だぜ」
数分の間は2人が会話を交わすことはなかった。しかししばらくすると、貧乏ゆすりなのか無意識の震えなのかはわからないが、累が体のあちこちを揺らし始めた。どうしても気が散ってしまう京吾はようやくナイフを拾い上げると、檻に迫った。
「おい!鬱陶しいマネはやめろ!」
檻の近くから叫ばれた言葉にも累は動じず、『質問があります』と知らせる生徒のように、わずかに震えたままの片腕を挙げた。おおかた禁断症状か何かだろうが、これ以上の勝手は許せないと思った京吾は、累に力のこもった目を向ける。
「今、何時?というかここは…まだ虻内市なの?」
累は相変わらず、誘拐された被害者としての振る舞いをわきまえない。ごっこ遊びにやる気なく付き合ってあげているかのような態度で、いつ解放してくれるの?と漏らすような視線を向け続けているのである。
我慢できず京吾は扉の鍵を開け、刃先を突きつけた。
「調子に乗るなよ!舐めた態度も大概にしねぇか!お前が大人しくしてりゃあ何もかも上手くいくんだよ!」
京吾には人を殺める度胸も覚悟もない。しかし精一杯の怒気を孕んだ口調でそう言い放ち、声色を荒らげて累に詰め寄った。
日曜日の朝のような振る舞いだった累も流石に動揺したのか、すぐ近くでナイフを向けられると慌てて姿勢を戻し、先程とは違う目線の震えを見せ始めた。
コイツ、からかってんのか?と京吾は思った。だが累が恐れや緊張ともとれる表情の歪みを浮かべて、『もう何もしないよ』と言うように膝をついてじっとするのを見ると、誘拐犯としてのわずかな強みを見せつけるように彼を見下ろした。
「わ、わかった...!わかったからそれ、やめてよ!」
累が恐る恐る声を出す。ジャンキーゆすりは収まったようだが、ナイフを見つめながらびくびく震える累に、京吾は安心したような笑みを浮かべた。
ここまで近くでナイフを向けられればこうなるのも無理はない。肝が据わったガキみたいだが、ようやく蛙になってくれたか。俺が蛇、お前が睨まれた蛙なんだと、累がようやく見せた弱みを突っつくようにナイフを構え続ける。
「なんだ?怖いか?」
「当たり前だろ!それ、やめてってば!もう変なことは言わないから!」
焦りを浮かべながら累は首を左右に振る。ようやく誘拐犯らしくなってきたと少し安堵した京吾は、相手の胸の近くまでナイフを動かす素振りを見せた。
「立場を理解できたか?ナイフでぶっ刺されそうなっちゃあ、さすがのお前もビビっちまうみたいだなぁ!」
切りつけるつもりもないが、あんな客人気分でいられるよりは脅せる内に脅した方がいい。そう感じた京吾はさらに話し方を悪者ぶらせた。
しかし、累が躊躇いつつも口にしたのは、京吾の期待からかなり乖離した言葉だった。
「そ…そう言うことじゃなくて…」
刃先を見ては息を飲む累だったが、相手の様子を伺いながらも、小声で言葉をこぼしたしまった。
「その下手っぴな持ち方をやめろって言ってるんだよ。危なっかしくて、見てられないからさ…」
予想すらしていなかった累の発言に京吾は返す言葉を見失ってしまい、「あ?」と困惑の声を漏らす。累の言葉は、不器用な手つきでハサミを使う子供をたしなめる母親のような、どこか優しげな口調だった。
京吾の腹から、段々と馬鹿にされたような辱めと怒りが込み上がる。心の底にほんの少しだけ残っていたプライドに火がついたようだった。
京吾は下唇を噛み、累の肩を掴んで揺さぶった。
「お前は何でそう生意気なんだ!ナイフの持ち方が何だってんだ!?」
鬱憤をぶちまけるかのようにナイフを振り上げようとする京吾だったが、累は落ち着きを保った様子で、『ああ、この子はわかってないのね』とでも悟るような目つきで京吾を見つめた。
「だから、その持ち方さ…脅し目的なら、それじゃダメだってば…」
「何の話をしてやがる!」
「だから!…そんなビール瓶みたいな持ち方じゃ加減が効かなくて、奥まで刺さって致命傷になっちゃうよ。そこまでいったら脅しにならないだろ?もっとこう…花でも生けるようなリラックスした持ち方じゃないと、ね?」
唐突に累がアドバイスをし始めると、京吾の頭の中はますます混乱した。
な、何を言ってやがるんだ?人質だろう、コイツは。
京吾の様子も気にせず、時折顎で持ち方の指示をしながら、累はレクチャーを続ける。
「まず4本指で握るのをやめなよ。そんな持ち方じゃうっかり落としちゃうかもしれない。三本で重心を支えて、親指と人差し指で...向けたい方に固定するんだ。ほらやってみて」
ついには累は、「何かいい例えがあれば…」とか頭を悩ませながら京吾に修正を促す始末だった。理解し難い状況になりながらも、京吾はナイフの持ち変える。
「添えるなら、首元にゆっくりだよ。相手はスイカじゃないんだから」
どうぞこちらへと示すように首をほんの少し傾けると、累はさらに指示を出した。表情を硬直させながらも、京吾は刃先を、差し出された首に近付ける。刃物を持って脅しをかけているのは自分であるにも関わらず、何故か彼の方が奇妙な緊張感を覚えていた。
「ほら、マシになったでしょ?」
どこか満足そうに累は微笑んだ。その様子に不気味さを覚えた京吾は、思わずナイフを下ろして数歩離れる。というよりも少し引いてしまい、ついさっきまで覚えていた怒りはとっくに冷めてしまった。
コイツは何なんだ?何かのマニアか?座りすぎだろう、肝が。何を考えてるのかさっぱりわからねぇ。
「…は、博識だな。先生さんよ」
またしても調子を無くしてしまい、京吾は引き下がるかのように檻から出てしまった。累は何も返さない。ただ、教え子の成長を見届けた教師にでもなったように、奇怪な優しさを孕んだ微笑みを浮かべるだけである。
京吾は頭を悩ませ、この数分で何回目かもわからない重いため息を漏らした。
そもそも犯罪などそう上手くいくものではない。しかしながらこんなことなら別のやり方を思いつくべきだった、いやそもそも人の道を逸れるべきではなかったのかかと、今になって色々と後悔し始める。気付けば湧き出した涙で視界が濁りそうになった。
何もかも忘れて隠れ家から飛び出してもいいが、今も家のベッドで2人の名前を呼んでいるであろう母親のことを思うと、今更逃げ出すことはできない。それだけではない。性格は随分違いそうではあるものの、累を見ていると『アイツも生きていればこれくらいの歳だったか』と弟のことを思い出してしまい、置き去りにする気にもなれなかったのだ。
もはやどうすればいいかもわからなくなった京吾はひとまず累から離れておこうとラジオに手を伸ばし、天候情報にチャンネルを合わせた。
しばらくは黙ってラジオに耳をかたむけていたが、必要になるであろう『今晩の天気情報』に差し掛かった途端に臨時ニュースが入り、話がストップする。京吾はなんなんだクソッタレ!と机を叩いた。
しかしその内容は、彼にとって助けになるかもしれない一報だった。
『…すが、臨時ニュースです。今日未明、男性の遺体が虻内市市内で発見されました。被害者の状況から見て、人喰い男事件との関連性があると警察は発表しています』
キャスターがそう読み上げると、京吾は顔を上げた。頭の中で思考をフル回転させ、これは救いの神の一声じゃねえか!と最後の希望をすくい上げた。
一応この場ではまだ、俺が殺人鬼だって建前があるんだ。ここで上手く演技すれば、凶悪犯としての脅威を取り戻すことができるかもしれない。この俺が模倣犯だと?(確かにその通りなんだが)そんな生意気なことを思わせなくしてやる。それには、今しかねえ!
京吾はここ数ヶ月練習してきたいかにも悪人らしい笑みを作ると、檻の方を向いた。
「聞いたか?今のニュース。懐かしいもんだぜ。この前殺した野郎がまだ見つかってなかったらしい」
即興でそう演じる京吾だが、累からの反応はない。視線を落としたまま、黙ってラジオから流れるニュースに集中しているようだった。京吾は何か付け足そうとアドリブを考える。
「まだ20にもなってなかったのにな」
不意に累がつぶやいた。京吾が「え?」と聞き返すが、累は口を閉ざし、ラジオはそのまま情報を発し続ける。
『…によると、被害者は10代後半の若い男性で…』
一瞬、京吾に戦慄が走った。
い、今、ラジオより早く…いやいや違う、俺は先に『お前みたいなガキを殺した』と話したじゃねぇか。たまたま当たっただけだ。
累は表情を動かさない。だがやはり発見された遺体について何か知っているのか、その口からは淡々と言葉がつぶやかれていく。
「見つかったのは学生だろ?」
『…から見て被害者は市内の学生であるとされ…』
「名前は充」
『…3日前から行方不明になっていた桜野充さんであるとの…』
「そして遺体は井戸の中」
『…は今朝、農業用の井戸に浮かべられた状態で見つかり…』
累がまた一言、一言とまだ報じられていないはずの遺体について語り、それと全く同じ情報がキャスターの口からも話される。その度に、京吾の鼓動は激しさを増し、呼吸も安定しなくなっていった。
京吾が陥ったのは、地獄へ続く階段を一段、また一段と歩いていく感覚だった。何かに縛られていくかのような圧迫感が胸元を占領していき、意識までもが遠くなっていく。
累は誰かに語りかけるように、殺された学生について言葉を吐き続ける。
「胸元に刺傷、右手首がない」
『…遺体には複数の刺傷があり、さらに右手が切断された状態で…』
「死後2日だっけ?腐敗はそこまで進んでないよね」
『…とし、周辺の調査を進めています』
「…そこまでは言わないか」
床を見つめたまま累は言い放つ。ラジオはそのまま、ニュースを繰り返していた。
一方の京吾は、ふらつく身体を辛うじて支えるように、椅子にドサッと座り直した。ただ呆然となってあらぬ方に目をやっては、過呼吸気味で、ラジオの声すら頭の中に入ってこない。
そんな馬鹿な、ありえねえ。何かのトリックで俺を脅してやがるんだ。
途切れかけた思考を巡らせるが、生放送の最中にニュースが転がり込んできたという事実が、彼のあらゆる仮説をいとも容易く潰していく。京吾が累を誘拐したのはほんの数時間前のこと。ついさっきまで眠っていた累が、今朝見つかった遺体についてどこかから知る手段はない。
もっと早い時点で遺体を見たか、遺体を知る誰かから聞いたのか。全く経緯はわからない。検討もつかないが、とにかく彼は知っていたのだ。
ラジオから『被害者が殺されてからまだ長い時間は経っていない』と追加の情報が流されると、京吾の意識はさらにぐらついたり表情を歪ませながら歯ぎしりして、最悪な可能性を何度も否定しようとするが、全て無駄だった。
コイツは遺体を見ている。
それも井戸に隠された段階で。おそらく、充という男が殺され、その遺体が隠された現場まで見ていた。というより、それを実行したのは…畜生、涙が止まらなくなってきた。
京吾はもはや何も口にすることができない。怯えた目を累に向け、文字通り頭を抱えて髪を引っ張り、動悸を抑えながら呼吸を整え直すことに必死になっていた。
累は閉口したまま、冷酷な視線を京吾に返し続けている。
累の異常なほどの落ち着き具合。鞄や服に仕込まれたドラッグ。やけに詳しいナイフの持ち方。そして、ラジオの報道より早く言い当てた、殺された学生の情報。
様々な疑問に対して現状が示す最悪な答えのみが、京吾の頭の中に何度も叩きつけられる。誘拐犯という身であることを棚に上げて、神よ何とかしてくれと、無意味な祈りを捧げもるほかどうしようもなくなった。気の抜けた態度には、警戒心のなさが表れていたわけじゃない。俺が模倣犯であるととっくのはじめから知っていて、ずっとおちょくっていやがったんだと、京吾はようやく理解する。
殺人鬼のフリをして、この少年を誘拐した。なよっちい、華奢で坊ちゃんなガキとしか考えていなかった。殺人鬼として振舞ったのも、抵抗されないよう十分に怖がらせるため。ただのそれだけ、それだけの理由だったのに。
俺は、本物の殺人鬼を誘拐しちまったのか。
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