人喰い男事件: 黒間警部の視点 ①

1997年10月末、茨城県虻内市(あぶちし)。凍えるような冬が訪れつつあろうとも、この街の賑やかさは健在だった。

街の大半は森林や山の自然で覆われているが、最近では1部がリゾート地として再開発されつつあり、かつての穏やかな雰囲気とは違った明るさが街に芽生え始めている。まもなく11月を終えようとしている中、観光客の流れは当分途絶えそうにない。

街の治安も決して悪くはない。だが最近の虻内市では、怪奇的な事件が、住民や警察の頭を悩ませていた。 

街の名前を悪い意味で有名にしてしまった怪事件は、殺害されたであろう死体が各地で次々と見つかったことを契機に、世間に知れ渡った。不気味なことに全ての死体には肉をかじり取られたかのような傷跡が残っており、一連の事件は街の伝承になぞらえて『人喰い男事件』と呼ばれている。今では事件は、街や県の境を超えたビッグニュースとなっているのだ。

遺体が見つかった場所を記す地図を見ながら、黒間警部は煙草に火を付ける。痒みを覚えた右手の甲を逆の手で掻いて、一度紙巻を吹かすと、椅子に深く座り直した。

彼は今年の夏より、人喰い男事件を担当する班のチーム長を務めている。しかしチーム依然として犯人の動向を掴めずにおり、今まで逮捕に至った容疑者は数人いたが、どの人物も証拠不十分で釈放されている。

「結局、例の学生たちはダメだったんですか」

彼の部下である大鳥が、シュークリームの箱を抱えながらオフィスに顔を出した。またしても捜査が仕切り直しになったことを聞いたのか、不機嫌そうに豪快な一口でシュークリームを頬張っている。

数日前、未発見死体の写真を持っていた地元の大学生数人が逮捕された。だが結局のところ、酒に酔っての散歩中に偶然死体を見つけただけにすぎず、当然ながら捜査も骨折り損に終わってしまった。大鳥もその話を聞かされたらしい。

「まあ、あんな連中が犯人だなんて誰も思ってなかったさ」

黒間は地図から目を離してつぶやく。大鳥はボードに書かれていた学生たちの名前に斜線を引いて、『やり直し!』と下に書き加えた。

「しかしこの『人喰い男』の影響力は凄いですね。今朝の新聞を見ましたか?」

「見たさ。世間からすれば、殺人鬼ってのは随分とチャーミングに見えるらしいな。こっちの苦労も知らずに...」

黒間の机に置かれた新聞には、殺人鬼がマンガの敵役のようにキャラクター化されていることを報じた記事が掲載されている。人喰い男を題材にしたシャツやアート作品、楽曲まで作られている始末だった。

殺人の被害者が犯罪者、特に違法ドラッグの売人に集中している点も、人喰い男をこれだけ人気にしている要因に違いなかった。殺人の動機は不明だが、一部の人々にとって人喰い男は、ある種の義賊やヒーローのように見えるのかもしれない。

「金を抱えて飛行機から飛んだダン・クーパーって男に似てますね。彼も一躍有名人になったらしいですが、人殺しを祭り上げるような動きには腹が立ちます」

そう言う大鳥は苛立っているようで、ただでさえ甘いシュークリームに大量に砂糖をまぶしている。

「アートにされる分にはまだいいが。上は、人喰い男の模倣犯が出ることを何より警戒しているようだ。奴らの影響力はそれほどに大きくなっている」

そう話して新聞を開こうとする黒間だが、デスクの電話が鳴り出すと手を止め、煙草を灰皿に押し付けた。

「模倣犯ですか……この街の天気も、荒れてくるんでしょうかね」

「さあ、わからないな」

黒間は火の消えた紙巻きを手にしたまま電話に出る。内容はいいニュースではなく、別の場所で新たな被害者が見つかったという報告だった。

「大鳥。すぐに出る準備を始めろ」

名前を呼ばれると、大鳥はシュークリームを食すのをやめて紙ナプキンで手を拭く。

「まさか、また?」

黒間はただ頷き、真剣な表情を作りながら、電話口で語られる被害者の情報に耳を貸す。複数箇所に傷を負った若い男が市内の農園で見つかったという報告だった。その生死については言うまでもない。

すぐに現場に向かうようにと命令され、黒間は帽子を被る。大鳥は車を準備するためにオフィスを飛び出した。同じく外へ出た黒間だったが、ふと思い出したように携帯電話を開くと、家族当てに一通のメッセージを書いた。

「……よし、急ぐとするか」

メッセージを送った黒間も車に飛び乗ると、連絡から数分もしない内に2人は署を離れる。少しずつ降り始めた雨が、猛スピードで走る車のフロントガラスを濡らしていた。

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