※残虐描写あり 少し前の夜: 彼の視点

 鎖の冷たい感触にうなされる中、彼はゆっくりと目を開けた。

しばらくは視界がぼやけたままだったが、今の状況を少しずつ把握するうちに、徐々に意識がはっきりしていく。彼は窓ひとつない石造りの部屋の中、骸骨のような形をしたランタンの光のみに照らされ、鉄製の椅子に縛り付けられていた。

あらゆる関節を拘束されているようで、息をする振動だけで金属が体に食い込み、猛烈な苦痛に襲われる。 痛みに耐えながらゆっくりと顔を上げる、彼はようやく、奇妙な一団が周りを囲んでいることに気付いた。

一団は赤い羊のような模様が描かれた黒装束に身を包み、カルト教団的な不気味さを放ちながら、黙って彼に視線を集めている。全員顔を隠しているため、自分が知る誰かの集まりなのか、それとも見知らぬ集団なのか、一団の正体はわからない。だが吸い込まれそうな暗黒と静寂に、彼はあっという間に恐怖の底へと突き落とされてしまった。

背筋はザワザワと凍りつき、心臓の鼓動は激しさを増し続ける。身の毛がよだつ冷たさを覚えながらも、胸の辺りは、押しつぶされそうな不安感で熱くなっていく。呼吸の仕方すら不器用になった。

「…アンタ達は何だ?」

 彼は恐る恐る声を振り絞る。闇と静けさに食われてしまいそうな震え声で尋ねたが、一団はたったの一言も答えず、ただ彼の方を見続けるだけである。その沈黙は、恐らくはどんな言葉よりも、不吉な予感を覚えさせた。

そんな中部屋のどこかから、何か生々しい音が聞こえてきた。

それは鳥が獣の死骸をつついている音にも、ボロ布をハサミで切り刻んでいる音にも聞こえる。とにかく何か硬さのあるものを切って潰すような音が部屋の中央辺りから鳴らされ、彼の頭の中でも何重にも反響した。 

目の前にいた大柄の黒装束がおもむろに体を動かす。その結果彼は、その音の正体を知ることとなった。

音の主は鳥でも獣でもなく、肉を潰していたのはくちばしでもハサミでもなかった。彼の丁度正面で肉の塊に食らいついていたのは、ローブで顔の半分を覆った、細身な少年だったのだ。少年はその歯で肉を引きちぎっては、ゴム片を噛んでいるかのように荒々しく咀嚼している。

彼の動脈を凍てつく恐怖で満たしたのは、その奇妙な行為を目にすることではなく、食われている肉の形を目にすることだった。

言葉を失いつつ観察していると、少年がかじる肉の塊が、どこか見覚えのある形をしていることに気付かされる。気味の悪いミミズ色に変色していたものの、筋や大きさ、何より指のような形をした数本の出っ張りを認識していく中、彼は次第に、食われているものが何であったかを察知した。

その肉は間違いなく、人間の右手だったのである。

「お…お前、何を食っているんだ」

彼がそう口にしても、誰も何も答えはしない。ただ黙々と肉を喰らう音だけが部屋を包む。

「何を食っているかと聞いてるんだ!」

震えを誤魔化すように声を荒らげたが、やはり黒装束達は無言のままでいる。しかし答える代わりに、先程体を動かした男が、椅子に縛られたままの体を指でさした。彼は息を荒くしながら、指の先が示す方向に目を向ける。その先にあるのは彼の右腕だ。

ただし、その腕は右手を失っていた。

綺麗に切り落とされたかように手首から先は消えてしまっており、包帯できつく縛られていた。しばらくは脳が理解を拒む。だが彼は、ついに食われている手がかつて誰の手であったのかを知り、絶叫した。

彼が陥った状況は理解できる限りを遥かに超えたものだった。嗚咽にも悲鳴にも似た声を吐き出しながら、必死に足掻いて拘束を解こうとする。だが鎖は固く縛られており決して外れることはない。 

これは悪い夢だ。昨日飲んだ、変な味の酒のせいだ。

何度自分に言い聞かせても、暴れる心臓と荒い息遣い、噛み付くように食い込む鎖の触感が、この恐怖が真に現実であることを実感させる。気付けば、悪寒に襲われながら不安定な息を漏らすことしかできなくなっていた。

そんな彼の様子を見るとやっと黒装束達は動き出し、大柄の男は長い刃渡りのナイフを取り出した。彼の脳内を恐ろしい想像が駆け巡り、それをかき消そうとする度に体が震えた。

『やめてくれ。何をするつもりだ』

許しを求めようとするが、体の痙攣は彼に喋ることすら許さない。あわあわと口を動かしながら、呂律の回らないうなり声を吐くだけである。

大柄の男が彼に近づき、右胸部にナイフを突き立てる。そして一切の躊躇も震えもない極めて繊細な動作で、ゆっくりと刃を刺し込んだ。

金属が肉を裂きながら侵入してくるのを感じれば、彼は叫び声を上げる。喉奥からは血が吹き出し、目の前の世界が黒く濁っていく。それでもナイフが止まることはない。

何かが潰されたような感覚が、内側から彼の体を襲った。溢れ出た赤黒い液体が、シャツをぬり潰すほど大量に垂れ流される。それが自分の血液であると気付くより早く、彼の意識はどこかへ行ってしまった。

 痙攣を繰り返す彼を見ても黒装束らは動じず、ただ静かに作業を続けていた。

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