ようこそこれが復讐: 累と京吾の視点 ⑤


 累は未だに玲亜のペースから抜け出せないままだった。

 体は痛むばかりで、素早く動いたりこちらから仕掛けたりすることもできず、的確に急所を狙う玲亜のナイフさばきを前に防戦一方となる。徐々に追い詰められていく累の様子に玲亜はさらなる快感を覚えては、挑発するように刃物を振るい、何度か彼の腕に切り傷を負わせていた。

ガスの雲は段々と晴れてきている。それでも彼女は、ナイフで直接息の根を止めてやることに執着していた。すでに累の銃は弾き落とされており、アスファルトの地面に転がっている。

玲亜は、時折ふらつきながらも必死に追撃をかわす累を見て、その残虐な本性を燃やす。少し距離を置くと、笑みを浮かべながら口を開いた。

「ねえル―二―。私は…あの人を殺したってことについては、貴方を恨んじゃいないわ」

まだ累は赤羽の身に何があったかを告げていなかったが、無事に2人が逃げていたのを見て、玲亜はすでに彼が殺されたと察してたようだった。肩で息をする累を見ながら、玲亜は話を続ける。

「散々『殺し』をやっておいて自分の番になったら気が触れるなんて、虫が良すぎるでしょう?私も、復讐だなんて安っぽい動機で貴方を殺すわけじゃないし、赤羽もそんなこと望んでない」

累を見つめる玲亜が言葉をかけるが、累は一言も返さず片膝を着いて、呼吸することに必死だった。玲亜はそれを気にしない様子で、ナイフを遊ばせながら話し続ける。

「ただ貴方は…一族のルールを破った。そして今も、九院寺の名に平気な顔をして唾を吐いてる。だから私も、赤羽も、一族も、貴方を何としてもぶち殺してやらないといけないのよ」

ようやく彼女の言葉に反応したように、ゼーゼーと荒い呼吸を漏らしながらも、累は顔を上げる。玲亜を睨み上げる目には憎悪の炎が灯っており、玲亜も彼の怒りを察知した。

「ルール?それって…僕の大事な人を肉の塊に変えやがった、脳みそにカビが生えた連中のバカげた迷信のこと?」

「らしくないわね、随分と感情的になって」

「復讐なんて安っぽいだって?…言っとくけど僕には、その安っぽい復讐だけが、今の生きる目的なんだ!アンタの思ってる通りだよ!今僕が考えてるのは、お前らクソッタレ一族を1人残らずあの世に送って!地獄の底に突き落としてやるってことだけだ!」

 累が語気を荒げる中、玲亜は鋭い光を目に宿したまま笑った。

活力や感情が溢れる誰かをズタズタに痛めつけて二度と動けない肉塊に堕としてやることは、彼女の興味を最もそそらせてくれる、言うならば最高の好物だった。怒りに揺れる累の心をどうへし折ってやろうかと考えれば残忍な衝動が疼き、一瞬九院寺の名を引く者としての使命を忘れそうになる。

 ズキズキと痛みが響く脚の震えを抑えながらもナイフを強く握り、累は立ち上がる。玲亜も彼に向けて歩き出した。

 「アンタも赤羽も大嫌いだ!昔からずっと!」

 今度は累が先に仕掛ける。

右腕を引き、突風のような勢いでパンチを繰り出す。玲亜が右に避けると、次は身体をひねって、逆手に持ったナイフで追撃する。刃は玲亜の頬をかすめて切り傷を残した。

 傷から血が垂れるより早く、玲亜の方も反撃に出た。片足立ちで構えると鋭い蹴りを放ち、累のみぞおちにヒールを突き刺す。直撃は避けられたが、累の表情が歪めば彼の襟首を掴み、胸元を目掛けてナイフを振りかざした。

累は切り裂かれる寸前で地面を蹴って退き、玲亜の腕から辛うじて離れる。体は仰向けに倒れ込んだ。そのまま両足で玲亜の左足首を挟むと、丁度自分がかけられた技をやり返し、足をかけてひねるようにして玲亜を地面に倒した。

累が再び距離を置くと、2人は互いに睨みを交える。玲亜と累の交戦は、油断を見せればそれが致命傷へと直結する、一瞬の隙の付き合いとなった。

傷が痛んだままである累の方が不利な状況下だったが、玲亜からの攻撃は休まることを知らない。時折息をつく間を持ちながらも、まだ霧がかかっている道路の上で、幾度となく殺気がナイフとともにぶつかり合っていた。

 だがついに、累に限界が迫ってきた。

一度膝から崩れ落ちてしまうと、力が入らず立つことができなくなる。玲亜はしばらく様子を伺うが、反響するような痛みに歯を食いしばる累は、辛うじて片膝を立たせることが限界なようだった。

ナイフを握る手の包帯がゆるみ、陶器の欠片で切った傷から血が溢れて、彼の手首までを染める。少量だが毒ガスを吸ってしまったこともあり、意識も朦朧となりかけていた。

 玲亜の表情から笑みが消える。

彼女の興味を引き付けることとは、生気にあふれる大鷲から羽をむしり取ってやり、ゆっくりと絶望の色に染め上げていくことである。すでに地に落ちた死にかけの小鳥を目にすることは、彼女にとってはその楽しみが失せてしまったも同然だった。

 「これ以上やってもつまらないわね。息をするだけで精一杯でしょ?」

 玲亜はそう言うとナイフを雑に地面に放り投げ、赤羽が持っていたものと同じモデルの銃を取り出す。

彼女の目の色は冷ややかなままだったが、累の喉に刃物を突き立ててやろうと殺意を抱いていた数秒前とは違う。代わりに、鶏の首でも跳ねようとしているかの如く、何の感情も感じられない冷酷さを浮かべている。

 「旦那様が貴方に会いたがってたけど、この場で殺しておくことにするわ。どうせ遥もすぐに捕まる。これで全て、無意味な戦いは終わり」

 そう言うと玲亜は累に照準を合わせた。

累は半開きの目で玲亜を見つめる。その目にもほとんど力はこもっていなかったが、まだ彼は諦めたわけではなかった。累がおもむろにジャケットから何かを取り出したのを見れば、玲亜の動きが止まった。

 累が手にしていたのは筒状のガス弾。赤羽が車の中に備えていたもので、玲亜たちが投げ込んだものとは異なり、起動すれば爆発を起こしてガスを散布する、爆弾に近いものだった。玲亜がそれを認識するのとほぼ同時に、累はピンを引き抜いた。

 「じゃあ、道連れだ」

 累はかすれ声で言い放つ。そして、ガス弾を地面に叩きつけるように振り下ろした。

 「....死にぞこないが!」

 玲亜は反射的に飛び退いた。もはや手遅れであることを察すれば、身体を反転させて、累から離れようとする。爆発が起こるより早く、1歩でも遠くに離れて衝撃を避けようと、玲亜は必死になった。

 地面にガス弾が叩きつけられれば、カーンカーンという金属音が響く。起動を告げる警告音がガス弾から鳴らされ、赤く光るランプも点滅し始める。起爆が迫ると、電子音が無慈悲に加速していく。累は仰向けに崩れ落ちた。

 ついに音が鳴りやむ。玲亜は地面に滑り込むように伏せた。

 数秒の静寂が2人を包む。木の葉が揺れ、遠くで鳥が鳴く声や、風が吹いてはどこかに去っていく音もした。ガス弾はカラカラと道路を転がる。しかしながら、爆発が聞こえることはなかった。

 不発?いや、違う!

 罠だと察した玲亜は振り向こうとしたが、背後からの銃声が、彼女の思考を遮った。

銃弾は彼女の左脚を貫通した。電撃のような衝撃と痛みが玲亜の体を走る。玲亜は再びうずくまり、酷く呼吸を荒げながら、ゆっくりと累の方に目を向けた。

 依然累は、今にも気を失いそうな弱々しい様子だった。だがその手には、地面から拾い上げた銃が握られており、玲亜の方を向く銃口からは煙が上がっている。手が震えて急所は外してしまったが、震えたままの腕で発砲した銃弾は、玲亜の脚を撃ち抜いていた。

 立ち上がろうとする玲亜だが、体の痙攣と突き刺さるような激痛は、彼女から力を奪った。両手で出血を抑えながら上半身を起こし、累に目線を返す。撃たれて衝撃で落としてしまった銃まではほんの2m程だったが、もはや玲亜は、それだけの距離を地を這って動くことすらできなくなっていた。

 「…やるじゃない、ル―二―」

 玲亜にそう言われても、累の意識ははっきりしないままである。彼女の言葉もほとんど聞き取れていなかった。ただ、胸に抱いた殺意は、彼の体をねじまきのように動かし続ける。

累は何とか立ち上がって不安定な一歩を踏み出す。玲亜の方は完全に敗北を認めたようで、死への恐怖や焦りすら見せる様子はなかった。

 「仕方ないことね。貴方は一手先を読んだ」

 累は何も返さず、ふらふらと玲亜に近づく。力のない表情ではあったが、今何としても彼女を殺さなければならないという執念にかられているように、もう一度無言で銃を構えた。

自分の頬を叩いて息を整え、玲亜の頭部に向け銃の先を合わせる。玲亜は何の抵抗も見せず、ただ黙ってその目を閉ざした。

 不吉な光が銃身に反射する。累は引き金に指をかけ、今にもとどめを刺そうとした。しかし、不意に飛んできた声が、彼の動きを止めた。

 「...て、待て!銃を下ろせ!」

 声の主は京吾だった。いつの間に2人の間に割って入ったのか、大声で呼びかけながら累の前に立ちふさがると、銃を下ろさせるよう手を伸ばしてきたのだ。

累は怪訝な表情を浮かべる。背後から様子を見る玲亜も同様だった。

 「な...何を言ってるのさ...?そこ、どいてよ」

 累の言葉に京吾は首を横に振る。遠くを見ると車が動かされており、その近くでは明夫が倒れていた。

 「あの爺さんを殺したの?」

 「ば、馬鹿言うんじゃねえ!酷い怪我はさせちまったが...今まで介抱してやってたとこだ」

 「...何のために?...まあいいや。じゃあ僕が殺してやるから」

 累は淡々とつぶやくと、再び銃を握って京吾の横をスッと通る。そのまま躊躇いもなく引き金を引こうとしたため、慌てて京吾は累の肩を掴んだ。

 「オイオイオイ待てと言ってんだろうが!コイツはもう十分すぎるほど重傷だ、何も殺してやる必要はねえだろ?」

 脚を抑えてうずくまる玲亜を指しながら、京吾は銃を下ろせと促して累の腕を掴む。

累は睨みつけるように京吾を見上げては溜息をつき、力を入れて銃を手放さないようにした。

 「この期に及んでまだそんなことを言ってるの?これは殺し合いなんだ。僕たちだって殺されかけた」

 「んなことは百も承知だ!だがもうコイツらは立ち上がることもできねえ。命まで奪わなくなっていいはずだ」 

 「...連中は僕の首を取りたがってる。一緒にいるアンタのこともだ。ここで逃がせば、僕らの動きを奴らに知らせることになる」

 「だからって殺すことはねえ。サツにでも捕まえてもらえばいい話だ」

 「何を甘いことを言ってるんだよ!ここで僕が、今!息の根を止めるべきなんだ!アンタはまだ何もわかってないんだ!」

 「わかってねえのはお前だ!」

 不意に京吾が語気を強める。銃の先を抑えて無理やり下ろさせると、一歩累に近づいた。

何を必死になって、こんな奴らを助けようとしてるんだ?

累は鋭い目つきを向けながらも、京吾の気が高ぶっている理由がわからず混乱する。今まで見せたことのない彼の様子に少しの戸惑いも覚えていた。京吾は累の肩に手をかけて言葉をぶつけた。

 「お前、何て言ってた?『僕はアイツらとは違う』って言ってたじゃねえか。テメーをよく見てみやがれ!そうやってまた殺しをやろうとしてるお前と、一族の連中とで何が違うんだ!?まだお前は、血生臭い人殺しのままなんじゃねえのか!」

 京吾の言葉に、累の目は揺らいだ。

累は返す言葉を見失う。赤羽を刺し、義理の姉に銃を撃った自分の手と、傷跡を抑えながらも虫の息になりつつある玲亜を見比べた。

復讐のためと考えれば当然とも思えた。だが一方で、何としても命の灯を消してやろうと躍起になっていた数秒前の自分が、赤羽をはじめとする一族の面々の姿と重なり、今まで1度として触れたことがない、自分自身への恐怖を感じるようになった。

 累を揺さぶる京吾も、自分が理屈の通らないことを言っていると自覚していた。誘拐に手を染めておきながら道徳的な説教を垂れることがそもそも大それたことだとも理解している。だがとにかく、京吾には、何故か今ここで累を止めねばならないという感情が芽生えていたのだ。

どん底に堕ちた彼だからこそ、引き返せなくなる程血に染まる前に、累に自分を思い出させようとしたのかもしれない。しかし今の京吾には、そんな理由まで考えている余裕はなかった。

「腑抜けたことを言ってる状況じゃないってことくらい、俺にだってわかる。屑な身分で偉そうなことを言ってることも承知だが…お前が本当に、奴らと違うって言うんなら!行動で示してみろ!…死なせなくてもいい奴をわざわざ殺したいならそうすればいいぜ。だがな、お前は一生、その手についた血を拭えることはねぇんだ。そんな手で弟の手を握ってやれるのか?」

累は何か口にしようとしながらも、口を閉ざして京吾を見返すことしかできなかった。

彼を待つ遥の姿が頭に浮かぶ。同時に、無惨に殺された充の亡骸も思い起こされ、一族への復讐を果たそうとする衝動に板挟みにされる。先ほどまでは玲亜や明夫を殺すことに一片の迷いもなかったが、今では自分がどうするべきかわからなくなっていた。

 京吾の正体も知らなければ2人が何を言い争っていたのかもわからない玲亜は、困惑しながらも黙って累たちのやり取りを観ていた。

撃たれた傷から激痛が響き続けると脚を抑えることもできなくなり、今では呼吸も浅い。彼女の異変に気付いた京吾は累が握る銃から手を放し、一歩一歩と引いていく。

 「俺は間抜けだ。たとえ俺たちを殺そうとしてきた女でも、みすみす目の前で死なせてやる気にはなれねえ。手遅れかもしれねえが……応急処置くらいはしてやる。その前にお前がトドメを刺すっていうなら好きにしろ。それを止めるつもりも、権利もねえからな」

 そう言うと京吾は累に背を向けて、気を失いかけている玲亜に近づき、背負っていた医療キットを地面に置く。着ていたジャケットも被せながら傷口を抑え、何か使えるものはないかと探しながら止血を始めた。

累は迷いを振り払うことができないまま、もう一度銃を玲亜に向ける。

彼にとって引き金を引くことは簡単なはずだった。だが、どこから来ているのかもわからない奇妙な震えが、指を動かすこともできないほどに、彼の体から自由を奪うのである。何度も指に力を入れるが、結局銃を撃つことができず、再び銃口を下ろしてしまった。

 チンピラ上がり故に応急処置には詳しいのか、京吾は器用に玲亜の止血を助けていく。依然立ち上がることもできず呼吸も荒い玲亜は、2人の行動に戸惑っていた。うっすらと青く染まりつつある空を見上げて、気付いたときには、浅い眠りに落ちてしまっていた。

重症ではあったが、すぐに助けが来れば死にはしないだろうと、京吾はゆっくりと立ち上がった。

振り向いて累の方に目をやる。累は未だに、自分がどうしたいのかわからないといった様子で、銃を手にしたまま表情を歪ませていた。

しばらくは何も言えないまま京吾を見ていたが、糸が切れたように息をつくと、銃をしまい込んで道路に座り込んだ。京吾は何も聞かず、隣に近寄って累にも簡単な手当てをしてやった。

 「すぐ誰かが来たっておかしくないぜ。早いとこここを離れねえと」

 「...僕を置いて逃げればいいじゃない。もう『人質』なんて必要ないでしょ?」

 累は疲弊しきっていたが、それでも少しは落ち着き始めたのか、少しは彼らしい口調に戻っていた。京吾は今更になって自分の立場を思い出したが、このような数奇な事態に陥った以上、一人で逃げることなど到底考えられなかった。

 「馬鹿ばかり言うんじゃねえ。お前こそ『人質』なら、逃げようとしていいんだぜ。動けるか?」

 京吾に肩を貸されながら累は車に乗った。運転席に座ったのは京吾の方だったが、手錠や鎖がなくとも、累は逃げようとする素振りも見せなることはなかった。

次第に他の車が道路を通るようになり、荒れた林道を見て何事かと数台が急停止した。車から降りたドライバーたちは倒れている玲亜や明夫に気付くと、事情も知らずに彼女らに駆け寄る。もはやじっとしている猶予はなく、京吾は累に不安げな目を向けながらも、大急ぎで車を走らせた。

 累は窓にもたれかかって、包帯を巻きなおした自分の両手をジッと見ていた。

声をかけようとする京吾だが、どうもまとまらず言葉を詰まらせてしまった。舗装の荒い道路がタイヤをガタガタと鳴らす音だけが、しばらくの間空気を揺らす。ようやく玲亜たちの車が見えなくなった頃、累の方が、先に沈黙を破った。

 「結局、僕は変わらないんだ」

 京吾に話しかけるようでもなく、かといって自分に言い聞かせるようでもなく、独り言のように累はつぶやく。

あれ程連中と自分は違うと言い聞かせていたにも関わらず、復讐心にかられては自分を見失ってしていた。未だに頭の中には、制御できない凶暴さが眠っているんだ。そう思い返せば自分が恐ろしくなって、不意に言葉を口にしていたのだ。

 「だがお前は、選べたじゃねえか。少なくとも今のお前は、アイツら皆々殺してやるぜ!って顔じゃないぜ」

 京吾が言葉を返すと、累は彼の方を向いて片方の眉を上げた。「そう思う?」と聞くと、京吾は冗談混じりに、

 「まあまだ、サイコなのは変わらないけどな」

と返した。

累は少し微笑み、運転席側の窓に写る自分の顔を見つめる。どさくさにまぎれてダッシュボードに隠されていたケースを引き出し、その中に入っていたコカインらしき粉を掴んだが、京吾に止められた。

 「あー、お前の家じゃ、皆それを持ち運んでるのか?」

 累が袋を引き出すのを見て京吾はやめさせようとするが、累はニヤりと笑った口を見せると、袋を後部座席の方に投げ捨てた。

 「安心してよ。僕にはもう必要ないから」

 横目使いでそう言われると京吾は目を丸くしながらも、不器用な笑みを作って返した。

だが累が「ごめんやっぱ要るわ」とつぶやいて後部座席に身を乗り出そうとしたので、オイオイ待て待てと慌てて右腕で抑える。からかっただけだったのか、累はすぐに体を引っ込めてシートに座り直した。

京吾はため息をつきながらも、累の様子に安堵した。一族への憎悪をむき出しにして、頭の中が怒りに燃えたぎっていたようではあったが、まだマトモな精神はしっかりと残っていると実感できたからだ。

 一方で累は、あと一歩で玲亜を撃ち殺すことができたにも関わらず、妙な感情に葛藤していたあの瞬間を思い返していた。

もしまたあんな状況になっても、命だけは助けてやるなんて真似ができるのだろうかと、一片の不安も頭に浮かんでいる。顔を上げ、もう一度京吾の方に目をやった。

 あの時は、奴らなんかにわずかな情けもかけてやるかって思ってた。だけどアンタの言葉を聞いて、遥だけじゃなく彼の顔も浮かんできた。そして、銃を握る僕の手を掴むんだ。今だって、一族なんて大嫌いだ。アイツらなんてぶっ殺してやりたいって本気に思ってる。

でも..充が好きになってくれたのは、そんな九院寺累じゃないに決まってる。だから、もう手遅れかもだけど、もう少しだけ本当の自分がどっちか試してやることにするよ。

累は心の中でそうつぶやくと、車の窓の方に寄りかかりながら目を閉じた。

 「ごめん、ちょっと眠るよ」

 「そのままポックリ逝ったりしねえだろうな」

 京吾の下手な冗談に「多分ね」とだけ返して、累は数秒の内に眠りに落ちる。静けさに満ちる森の中を、2人を乗せた車だけが走り抜けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る