メッセージ: 黒間警部の視点③

 カチ、カチと時計の針が動く音が響く。取調室の中は、居心地の悪い沈黙に包まれていた。

 中央の机には肥満体に白髭の男が頭を抱えながら座っている。少し離れた壁際に置かれた椅子には黒間が腰かけており、時折手にしている手帳を見ながら、男の方に蛇のような目線を送り続けていた。

 取り調べを受けている男の名は青野谷。例の桜野充の遺体が発見された、角宇野原農園の管理者を務めている男だった。

青野谷は何度も重たいため息をついては、「どうしてこうなったんだ」だとか、「畜生」だとかブツブツとつぶやいている。黒間は立ち上がり、まだ優しさを残している声色で声をかけた。

 「落ち着いたか?疲れてるなら、コーヒーと昼食くらいなら出してやる」

 そう言われれば青野谷は顔を上げる。その顔つきは、今にも不安に押しつぶされそうな様子だった。

 「結構だ!何も話せることはないと言っているだろう!これ以上の拘束は不当だ!」

 「不当というのは、答えるべき質問に沈黙し続けることを言うんだ」

 青野谷とは正反対な落ち着き払った態度で黒間は言い返し、机を挟んで反対側の椅子に座り直す。文句ばかりで一言も質問に返すことのない青野谷に対し多少の苛立ちも覚えていたが、黒間は右手の痒みを抑えながら、険しい目つきを彼ぶつけた。

黙り込んでいた青野谷もいよいよ精神的に追い詰められてきたのか、冷や汗をかいて体をゆすりながら、一層落ち着かない様子になっていた。

 青野谷をはじめとする農園の関係者は、桜野充の死体を隠すことを手伝ったとして、複数名が身柄を拘束されている。

充の所持品である数枚の写真が農業用のトラックから見つかったことが逮捕に踏み切った要因だった。すでに何名かが自供しており、ドラッグ絡みの仕事だったとも証言している。

しかしながら農園側の指示役であった青野谷は、何時間に渡ってもその口を割ることはなかった。まだ確実となる証拠は見つかっておらず、殺人鬼と密売人たちの繋がりに目をつけた上層部の指示を受けて、捜査チームは青野谷を喋らせることに躍起になっていた。

 「『人喰い男』が単独犯じゃないってことくらい、警察側にも検討はついている。問題は、真犯人に手を貸している協力者の存在だ」

「…何度も言っているだろう!俺たちは殺人鬼とも密売人とも、何の関わりも持っていない!」

「ならばこれはどういうことだ?」

黒間は隠しカメラから撮影された写真のファイルを取り出し、数枚を机の上に並べる。写真にはコートを着た男たちが農園の一角に車を停めて集まっている様子が写っていた。

「写っているのは『レモン』の売人たちだ。連中はお前の農園で取引を行っていたらしいな。場所代で相当儲けてたんじゃないのか?」

青野谷は何かを返そうとするが、結局何も言えずに口を閉ざしてしまう。角宇野原農園には、密売組織がヤクや銃器を売りさばくマーケットとして機能していた裏の顔があった。農園側はあくまでも土地や建物を貸していただけにすぎないが、それによって得られる礼金は莫大だった。

「密売団と関わっていた貴方たちにはずっと目をつけていた。『人喰い男』についても、何か知っているんだろう?」

黒間の言葉に、青野谷は大きく首を横に振る。

「そ、そんなわけがないだろう!それに俺たちは密売団の仲間なんかじゃない!死体を捨てられたおかげで生産が止まっちまったのを知ってるだろう?」

「知っている。そしてそれが、お前たちの自作自演であることも知っている。自分で死体を捨てさせておいて、『死体を捨てられる場所に偶然選ばれたのだ!』だなんて演技に踏み切るとは、よく考えたものだ」

青野谷は再び口を閉ざしてしまい、黒間に目を合わせることもしなくなった。

 青野谷をはじめとする農園の管理者たちは、『被害者』側に立つことで捜査の目を誤魔化そうとしていた。一部の者が遺棄を手伝った上であえて何も知らない従業員に死体を発見させ、捜査を惑乱させようと計画したのである。

明確な被害者としての立場を手に入れることができるだけでなく、生産がストップすれば市からの助成金が受け取れることもあり、計画は彼らにとって好都合だったのかもしれない。しかし結果としては墓穴を掘ることとなり、青野谷は憤った様子で何度も肩を落としている。

彼の姿には焦りや後悔も表れていたが、視点が定まっていない不審な挙動も見られた。丁度、薬物中毒者が衝動に耐えきれなくなったような、血色が悪く、冷静さのない顔色を見せているのだ。

 「報酬はヤクか?貴方には元より局からの通報があった。違法薬物を所持している、とな」

 図星だったのか、青野谷は少し怯えた様子になり、とうとう黙って頷いた。神経衰弱な彼の表情に、黒間は続けて言葉をかける。

 「誰からの指示だった?やはり密売団か?」

 はじめはブツブツと何かをつぶやいているだけだったが、青野谷は顔を下げて答えをごまかそうとした。

 「そ、それを言うことはできん...俺も、家族も、消されてしまう...!」

 「黙ったままでは、どの道家族は殺されるかもしれないな。だが捜査に手を貸すならば安全を保証しよう。知っていることも、貴方の関係者も、全てここで話すんだ」

 黒間の言葉に青野谷は揺らぐ様子を見せる。だがやはり、苦悶しながらも首を縦には降らなかった。

 「話せるものなら話すとも!だが…俺だって、奴らの正体は知らない!影のような連中なんだアイツらは!...一つだけ言わせてもらいたい。俺たちはハメられたんだ。今思えば、全ては俺たちを切り捨てるための策略だったんだ!」

 「そんなことはどうでもいい!」

 黒間は机を叩き、落ち着きを保った口調ではありつつも語気を強めていく。

 「我々は何としても、あの男が何者か突き止めないといけないんだ。事件に関わった全ての人間を洗い出すには、十分な時間は残されていない。故にだ。どんな小さな情報でも、全て吐いてもらわざるを得ない」

 机に手をついて黒間は青野谷に近づく。再び質問をぶつけようとしたが、突然取調室のドアが開けられてしまい、2人の会話は遮られた。

部屋に飛び込んで来たのは大鳥だった。何かあったのか慌てた様子で、壁に手をかけて呼吸を整え直している。

黒間が「どうした」と声をかける。大鳥は深呼吸した後、青野谷を指さしながら頭を左右に振った。どうやらここでは話せない事態らしく、黒間は「休憩だ」とだけ青野谷告げると、大鳥とともに部屋を出た。

 「妙な電話があったんです。それも、人喰い男絡みで」

 「またガセじゃないのか」

 大鳥はポケットからメモを取り出して話を続ける。

 「3名を乗せた車が何者かに襲撃され、乗っていた青年が一人誘拐されたと通報があったんです。犯人は同乗者二名にも重傷を追わせ逃走。目撃者もいます。青年の家族には、『人喰い男』を名乗る犯人からメッセージが送られて来たという話で...黒間さんに取り次いだ方がいいかと」

 大鳥から通報の内容を書き写したメモを渡されれば、黒間はそれを読みながら速足で廊下を歩く。大鳥も手にしていたコーヒーを慌てて飲み干してカップをゴミ箱に投げ入れると、黒間の後ろに続いた。

 「確かに今朝、事故とも事件ともわからない現場から重傷者が二名出てたな。それとの繋がり?」

 黒間の言葉に大鳥が「まさにそれです」と返す。メモには一連の騒動の被害者の名前が書かれていた。

現場で発見された重傷者は二名。九院寺玲亜という名の女と、九院寺明夫という名の老人だった。襲撃の後に誘拐された青年の名前は九院寺累。犯人とともに事件の現場より姿を消し、現在も行方不明となっているとメモには書かれていた。

「誘拐犯からの連絡もしばらく途絶えたままです。大方、累さんは家族で同じ車に乗っていたところで強盗に遭い、そのまま身代金目的で拉致されてしまったのかと」

大鳥は上の推察を伝えて、自分が手にしている方のメモを見せる。小さくプリントされた被害者たちの写真が貼られていた。

 「それにしても、九院寺、と言えば...」

 「奇妙な一致だが、北関東なら結構よく見る苗字だ」

そう言うと黒間は、二枚目のメモと写真も大鳥から受け取った。

 メモには九院寺累についての情報も書かれていた。特に強調されていたのは、先日発見された桜野充との関係だった。歳の差はあれど2人が通っていた高校はそれぞれ近く、一緒に写る写真を充が所持していたこともあって、かなり親しい仲だったかもしれないと指摘されている。

黒間の横に追いついた大鳥もメモを指さす。

 「そう!ここなんですよ!誘拐された九院寺累と、殺された充には繋がりがある!これは、単なる偶然とは思えんのですよ!」

 黒間はメモにクリップで取り付けられた累の写真を見ながら、何かを考えているようだった。大鳥はそのまま考察を語る。

 「私が思うに、充は無差別に選ばれたわけじゃない。何か理由があって命を狙われていた。そして九院寺累は、人喰い男が充を狙った背景と、何らかの関わりを持っている!だから誘拐されたんです!」

 ようやく事件の動きがあったからか、大鳥はいつになく興奮している様子だった。

 「なるほど。だがそもそも…累を拐った犯人が本物の人喰い男だって言うなら、何故今になって誘拐なんて真似をする必要がある?急に金欠にでもなったのか?」

 「そ、それはわかりませんが...少なくともこの誘拐犯は、単なる模倣犯なんかじゃないはずです!」

 黒間の問いに対しては曖昧な答えになっているものの、大鳥は今こそが事件の節目だとでも言うように、思いついた可能性をありったけ書きなぐっていた。ゴチャゴチャすぎてほとんど解読不可能な程だったが、とにかく今度こそ人喰い男を捕まえてやると燃えているらしい。

黒間は2枚のメモを手にしていたはいるものの、彼の目は、九院寺累の名が書かれた方のみに向けられていた。

 「もちろん、人質を助けることは最優先です。ですがこれは好機でもある!犯人の尻尾を掴むチャンスだ!」

 強気な口調でそう話す大鳥に、黒間は「そうだな」と返す。メモだけをジャケットにしまい込み、累の写真をしばらく見つめると、不意に握りつぶすかのように力を込めた。

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