累の一件: 奴らの視点

 苛立ちを隠すことのない足取りのまま、男は乱暴に扉を押し開けて部屋に入る。一族の面々の視線が集まるが、気にする素振りも見せずにシルクのスーツについた埃を払うと、自分の席に着いた。

「随分遅かったじゃないかね。一刻を争う事態だというのに」

「存じてますよ。ですが私も暇じゃないんです。一晩でここまで来ただけでも上出来だ。そもそも…ここに顔を出すこと自体、望ましくないことです」

不機嫌そうに返答する男の名は九院寺統一郎。スポーツマン体型の大柄な男で、殺し屋である。

彼がいつになく不満を募らせているのは、累とその弟が姿をくらませ、未だに見つかっていないという話を耳にしたからだった。ビジネスのため南部を訪れている最中だったが統一郎だが、じっとしておられず虻内市の邸宅に飛ぶように戻ってきたのである。

統一郎以外にも、一族の人間たちが屋敷に集まっている。儀式の際以外にはほとんど見合わすことのない顔ぶれだったが、前代未聞の事態であることもあってか大勢が集結し、部屋の中は騒がしくなっている。

昔より累は有望な子として注目され、義理の兄弟に当たる血縁であった統一郎も彼のことを目にかけていた。彼に近づいたという不審人物を始末した一件以降累の中の何が切れていたことに統一郎は気付いていたが、ここまでの大事になるとは、一族の誰も予測していなかったらしい。

 「ですから、何も殺す必要はないと忠告したんです。引き離すだけで十分だった」

「そう簡単な話ではないだろう。あの男は我々の聖域に足を踏み入れようとしていたのだぞ。それに累は強情だ。ただ引き離すだけで諦める奴なら苦労はしない」

「そんな性格なら尚更、彼を不必要に刺激するようなマネは避けるべきだった!最初から赤羽義兄さんに頼んでおけば、今頃彼を再教育できていたでしょうね」

部屋のどこかから言葉が投げかけられたが、統一郎は一蹴する。

「どうするんです!我々の聖域が一片でも外の目に触れられれば、取り返しがつかなくなる!」

統一郎は大声を出しながら部屋を見回す。周囲の者が静まり返ってしまいば、自分を落ち着かせるように襟を正して座りなおした。

一族は儀式と風習を重んじているが、同時に、彼らの価値観が現代社会の基本的なそれを逸脱していることも理解していた。故に彼らは、一族の本性が公になることを絶対に許さない。

累は全ての儀式を経験し、九院寺家の秘密も多く握る人物である。今までの犯行を世間に知られてしまう事態になれば、一族の存続さえも危うくなることは明白だった。未だに動向が掴めない累に、一族の面々は焦っていた。

「とにかく、誰にも知られてはならない。家業のことも、『祝福』のことも…」

一族の面々の誰かがつぶやく。

他者を殺める『殺し』の仕事と、カニバリズムに則った『祝福』は、一族の者に幸福をもたらすための神聖な風習として根付いていた。

そこに道理や理論の類は存在しない。そもそも信仰には理屈など不要である。一族の者は、数十年の時を越えて継承された教えこそが正しいと信じて、ほんのわずかに疑うこともしない。

一族に伝わる教えのみが真理だと数世代に渡って教えられ、数世代に渡って教え続けている。盲目的なほどに根強い信仰心を持つ彼らにとって、殺し屋として生きること、そして人としての道徳や倫理を破ることなど、道に落ちた虫を意味もなく踏み潰すことのように容易だったのだ。

 「大事なのはアンタらだけじゃないんだぜ。お坊ちゃまさんよ」

柄の悪そうな口調でそうつぶやいたかと思えば、部屋の端に佇んでいた数名の男たちが前に出た。

男たちは一族の人間ではなく、虻内市を含む複数の拠点で活動している、ドラッグ密売団の構成員だった。本来であれば一族以外の者が屋敷の敷居をまたぐことは許されていないが、例を見ない緊急事態であったため、数名のみが例外的に集会への参加を認められていた。

ただし一族の儀式については、彼らも何も知らされてはいない。ここにいる密売団たちが把握しているのは、あくまでも殺し屋としての一族の顔だけである。

「秘密が漏れちゃ困るのはウチらも同じだ。一連の騒動の裏に俺たちがいると知られれば、かなりの厄介ごとになっちまう」

「そんなことは承知してます。だからこうして、あなた方にも協力を頼んでいるでしょう」

冷静に話す統一郎だったが、その目には鬱陶しいものを見るような、不愉快な表情が現れている。密売団と言えど統一郎にとっては、その他の『肉』の塊と何ら変わらないのである。

「アンタらの仕事には感謝はしてるぜ。おかげ様で、俺たちの敵だった連中はほとんどが傘下に回ったからよ」

 そう口にすると、密売団の男は笑みを浮かべる。

関東を中心に莫大な利益を上げていた密売団だったが、他の地方から勢力を伸ばした他の密売グループが活動を始めたために、ドラッグを売りさばくエリアを失いかけていた。特に、一部の売人が密売団を裏切ってドラッグや金を他の組織に横流しし始めたために、密売団の勢力は弱まりつつあった。

だが彼らも一枚岩ではなかった。組織を裏切った者たちへの見せしめと、関東への進出を目論む他の密売組織への脅しとして、敵となった密売人たちを皆殺しにすることを決めたのだ。その際協力を依頼したのが、かねてより犯罪組織と関係を持っていた九院寺家だった。

「厄介な連中は消えて、ヤクもやっと売れるようになった。本当にありがたい話だ。『人喰い男』は随分とビッグネームになったみたいだが…絶対にバレないって契約だったよな?しかし今や裏切り者のせいでピンチってのは一体どういうことだ。いくら金を払ってやったと思ってんだ!」

スキンヘッドに巨体で目元に痛々しい傷跡を持つ男が、統一郎の方に歩を進めて罵声を浴びせる。しかし統一郎は動じず、目を合わせることもしなかった。

一連の人喰い男事件は、裏切り者を粛清したかった密売団と、その工作を手助けした上で儀式を行っていた九院寺によって引き起こされていたのである。桜野充の一件は例外であり、累への教育を目的した一族のみによる犯行だった。

「もし万が一、その累とかいうガキが一連のウラをバラしちまうようなことがあったら…被害が俺らだけに収まると思うんじゃねぇぞ?俺たちは、お前らの秘密を全部握ってる。それを忘れんじゃねえ!」

スキンヘッドの男が声を荒らげ、一族の面々に威嚇するような視線をぶつける。だが、彼らの表情が変わることはなく、黙っていた統一郎のみがゆっくりと立ち上がった。

「握られてるのはあなた方の方でしょう」

「あ?」

脅しを踏まえた凄みのある声にも統一郎はひるまず、密売団の男よりも人周り大きな背丈から彼らを見下ろす。

「そんな安っぽい脅しが通じるとは思わないことです。我々は、社会の裏と色々なパイプを持っている。この度の依頼にあたり、あなた方の組織の弱みも全て知り尽くしています。あなた方もそれを忘れないことだ。わかったらその口を閉じて、座ってろ」

冷淡でありながら重みのある口調で統一郎は言い放つ。何か言い返そうとするスキンヘッドの男だったが、不意に襟首を掴まれればその圧に硬直し、脅し文句すら吐けなくなった。銃を出そうとする部下を制止して渋々引き下がると、用意された椅子に腰を下ろした。

統一郎は部屋の中央に戻り、一層苛立ちを隠さなくなった。

「そもそも、金のために連中に手を貸したのが大きな間違いでした…累の行方はまだわからないんですか!」

「累の捜索については、赤羽が発信機を追っています。次いで、玲亜と明夫の2人も応戦に向かわれました」

一族の中でも年配な男がそう答えると統一郎は少しだけ冷静さを取り戻すが、依然として現状に不満を抱いていることに変わりはなかった。

「応戦ですって?随分と大掛かりだ。誰かに知られたらどうするんですか。赤羽義兄さんがいれば十分でしょう」

「統一郎。旦那様の決断が不服ですか?」

突然窓際から空気を切り裂くような声がすると、部屋の中に緊張が走った。

ずっと窓の外を見つめていたその声の主だったが、ゆっくりと歩き部屋の灯りに照らされて姿が露になると、統一郎は慌てて彼女に向けて一礼する。

「これは…喜代美様。いらしていたとは…」

喜代美と呼ばれる人物は、顔に仮面を付けた女だった。スレンダーな長身を真っ白なドレスローブに包んでいる。彼女は一族を束ねる族長の付き人である女だったが、訳あって族長が姿を隠すことになった数年前からは、彼の指示を受ける役割でありつつも実質的な一族のトップとなっていた。

「ええ、いましたよ。初めから。旦那様への敬意が欠けた発言は慎みなさい。貴方が思っている以上に、事態は悪化を続けているのです」

「し、失礼致しました…私も状況は理解しています。ですが、累が逃げた先が明らかで赤羽義兄さんまで向かったのなら…不必要に追っ手を出すこともないかと」

「そのはずでしたわ。ですが2つ程、不和が生じているんです」

そう話しながら統一郎に席に戻るように指示すると、喜代美は再び、屋敷の外に広がる庭園を一望できる大きな窓に歩みを進める。

「本来であれば、今頃赤羽が累を抑えているところでした。ですが累には…協力者がいたのです。それが1つ目の不和です」

「協力者ですって?」

統一郎に聞き返されても、窓の外を見つめ続けたまま、喜代美は話を続けた。

「どのような目論見かは知りませんが…その者は逃走中の累を匿い、行動をともにしているのです。考えられるのは累の身柄を抑えた他の密売団員か、我々の動向を探ろうとしている者なのか…まだ今のところは、協力者の正体は不明のままです」

「俺たちは何も手を貸しちゃいねえぞ!」

密売団の男が口を挟むが、喜代美たちはそんなことはわかっていると言うように一瞥した。

「そして2つ目の不和ですが…これは旦那様にも伝えたばかりのことです。赤羽からの連絡が途絶えました」

喜代美の言葉に統一郎は耳を疑った。まだ誰にも知らされていなかったのか、部屋のあちこちからもざわめきが起こる。

赤羽は、表の顔として麻薬取締局に真っ当に所属できるほどに頭が切れ、体術にも優れた男である。加えて、弟に情けをかけるような性格でもない。累もそれなりに切れ者ではあったが、彼1人で赤羽を止められるとは考えられなかった。

「そんな馬鹿な…では、玲亜たちが向かった応援と言うのは…」

「恐らく、赤羽からの連絡はもう来ません。旦那様はこれを、累からの決別の意。そして一族への宣戦布告と受け取りました。玲亜さんたちは追撃のため、逃走経路を把握の上で待ち構えているのです」

どよめく声が止むことはなく、統一郎も頭を悩ます。

追っ手として駆り出された九院寺玲亜もまた、赤羽に負けじと優秀な殺し屋である。特にその凶暴性については、一族の誰にも引けを取らない。彼女を呼び出すくらいなのだから、本当に追い詰められた事態であるのだと、統一郎は改めて理解する。

「その協力者とは、何者なんだ!」

部屋の中で誰かがそう声を挙げる。喜代美は青い瞳を庭園に向けたまま、ガラスに写る統一郎たちを見つめていた。

「未だ謎です。ですがとにかく、累の逃走を手助けでき、赤羽ほどの殺し屋も返り討ちにできる人間…何かしらの力を持った者であるに違いありません」

ゆっくりと顔を見せた太陽が、夜の色だった空を照らす。明るく染まりつつある景色とは対照的に、屋敷の外では、不吉な空気が漂い始めていた。

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