※残虐描写あり 反抗: 累と京吾の視点③
僕の家には、世に決して知られてはならない家業と風習があった。『殺し』と『祝福』だ。
初めて『殺し』に参加したのは9歳の頃だった。
暑い夏の夜、家族に連れられて、ある富豪が住む屋敷の中に忍び込まされた。そこで、兄が男性の首を絞めて殺すのを観た。
殺された男は、ある組織の金を横領していたのがバレてしまったという資産家だ。見せしめ代わりに殺して欲しいというのが、僕らの一族が受けた依頼だったらしい。彼の最期が、自分の行いを悔やむことすらできないほどに苦しい瞬間だったことは、初めて殺しを見た僕にも容易に想像できた。
家には厄介な伝統と闇の家業があって、記憶もほとんど残っていない子どもの頃から、僕は度々狩りや刃物の使い方を教わった。銃の持ち方も教えられたし、学校が終われば、軍人志望でもないのに毎日のように闘う訓練を受けさせられた。解剖や人体についてもいやになるほど勉強した。僕が弱音を吐くと、両親は半透明な筒に詰められた煙を吸わせて、目を開けろと命令した。逃げ出したいはずなのに、その煙を嗅ぐと奇妙なほど気分が舞い上がって、苦痛が全部どこかに消える。快感すら感じられて身体が動くようになった。
僕にとってはそんな家の環境が普通だったし、おかしいなんて思ったことは一度もなかった。というか、生じた疑問は全部、あの煙を吸えばどうでもよくなった。
そして『殺し』に参加したあの日、初めて僕は、今まで受けてきた教育の意味を理解した。
僕はただ見ているだけだったけど、兄は慣れた手つきで男性の右脚を撃ち抜くと、ナイフで耳を沿いだり、指をおかしな方向に曲げたり、男性の身体で粘土遊びでもするかのようにその猟奇的な興味を満たすと、最後は首を絞めつけてその命を奪った。親は僕の肩を掴んで、例の煙を吸わせながら、目の前で起こされる惨劇から目を逸らさせないようにしていた。
僕の家は殺し屋だったんだ。依頼を受ければ、ときには楽しみさえしながら誰かを殺して回る。それは九院寺家の家業であり、同時に、一族に伝わる風習でもあった。
「貴方も兄のようになるのよ」
母の言葉に、僕は何の恐れも驚きも抱いていなかった。ただ、残酷に一人の人間の命を奪った兄の姿と自分の未来を重ねて、それが自分の行く末なんだと、何の疑問もなく受け入れていた。
『殺し』が終われば、次は死体を外に運び出すのを手伝わされた。
夜が明けない内に運び出された死体は鉄製の箱の中に詰められて、一族が所有する、祭壇が設置された広場に連れて行かれた。一族に代々伝わる、『祝福』の儀式にたね使われる聖殿のような場所だ。
幼い頃から、『祝福』の儀式には度々参加させられてきた。
儀式には一族の人間のほとんどが集まって、小さい子どももいれば、歩くこともできない年寄りまで姿を見せる。まだ月が高く昇っている真夜中の空の下、儀式に集う者はまっ黒な装束に身を包むんだ。装束を着るのは悪くなかった。星とか三日月みたいな模様が描かれてて結構小洒落てたから。
でも儀式はひたすらに奇妙な行為が続くだけで、皆で焚火を囲んでは、長ったらしい伝承の語りに耳を傾けたり、何語かもわからない奇妙な歌を合唱したり、火を付けた十字架を回しながら青色のお香を炊いたりしてた。お香は普段家で触れる煙とは異なる品種らしく、一際濃くて刺激も強い薬だった。
あのお香の煙は本当に嫌いだった。砂糖を溶かしたバターみたいな甘ったるい匂いで嗅ぐと頭がクラクラするのに、段々と脳が内側から暖かくなってくるような妙な高揚感が広がってくる。気付けば、何も面白くないのに笑いが止まらなくなるくらい『楽しい』みたいな気分になるんだ。
でもそれが続くのは夜の間だけ。楽しさが過ぎた後は酷い頭痛と吐き気に襲われ、手足も痺れて、しばらくの間は身体を起こすのも苦痛だった。それでも家族は、先祖への儀礼、必要な儀式だからと、あの煙を僕に吸わせたがった。
わかってる。それのどこが『祝福』なんだって聴きたいんでしょ?ここからがお祝いなんだ。
儀式の最後には晩餐の時間が儲けられている。その間はずっとハイなわけだから覚えてない部分もあるけど、確か最初に、一族の長が何か合図を鳴らすんだ。すると祭壇にともされた焚火の中から、鉄の箱が引きずりだされる。男性の亡骸が詰められてたあの箱だよ。2メートル半くらいある細長い形状で、ところどころに穴が開けられてる。箱の中にはラベンダーの花も敷き詰められてて、箱自体が溶けることはないけど、炎の中に放り込まれればじわじわと内側だけ燃えいく。木製の枠も内側に備え付けられ、余すことなく火が伝わる作りになっていた。
黒焦げになるまで熱された箱からは、灰すら残さず燃え尽きた花は薫ってこない。代わりに、焼けたゴムみたいな気持ちの悪い臭いが漂う。子どもの頃の僕は箱の中身が何だったか知らなかった。けど、『殺し』を観てからようやく、大人たちが肉と呼ぶそれが何だったか理解した。
箱が開けられて、こうもり傘みたいに崩壊した肉の塊が露になると、大人たちは祝杯でもするようにワインを注いで歓声を上げる。そして長がナイフで肉を切り分けると、葉を沿えた皿の上に乗せて、僕たちに差し出した。
当然僕は食べたくないと言う。気持ちが悪いに決まってる。でも兄は僕の頭を叩いて「食え」と命令しては、あの煙をもっと吸わせた。気付けば僕も、はっきりしない意識の中、あの肉を食べていた。
一族は家業で殺しをやっていて、被害者の肉体は、呪術的な儀式のために使っていた。対価に見合う大金を積まれれば、誰からだって命を奪う。 人喰いの風習は、人間として一つ上の段階の進むための儀礼ということらしい。強い生気を宿していた肉体を食した者は精神を浄化できるとかいう伝承を、意味がわからないまま聞かされたこともある。
殺されてその肉を食われた人間は、聖人が歩く道に薔薇の絨毯を引くような栄誉ある『祝福』となるとかどうとか。父親に何度もその話をされたけど、全く理解はできてない。というより、そもそも理屈や理由なんて考えたこともなかった。何より当時の僕は、何故か、その儀式を当然のものとして受け入れていたんだ。
あの肉を口にすることも、嚙みちぎることも、飲み込むことも、なんてことのない当たり前のしきたりだった。 逆らえば何度も殴られるし、あの煙も吸わされる。今思えば僕の中の世界は、一族にとって都合がいい歪んだ色に染め上げられていた。
初めての『殺し』と本当の意味での『祝福』を終えた後、家に新しい子がやってきた。まだ5歳くらいの男の子で、名前を遥といった。
お前はこの子の兄になるんだと言われて、僕は自分の役目を理解した。赤羽が僕にそうしてきたように、僕が面倒を見て、彼の前で『殺し』をしてみせてやるその日まで、一族の人間として教育していかないといけないんだと。そうやって次から次へと一族の名を増やしていくことが、遥か昔から残る伝統だった。
初めて遥を見たときのことは忘れられない。彼は、モルディブの透き通った海のような、凄く綺麗な目をしていた。今考えてみれば、薬漬けにされた僕でも正気を取り戻せたのは、彼のおかげだったのかもしれない。
あの綺麗すぎる目が、僕に心のどこかで、「守らなきゃ」と思わせてくれたのかもしれない。今なら、そう思える。
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「じゃあ、結局お前が…『人喰い』なのか?」
夜明け前の道を走る車の中で一通りの話を聞いた京吾は、心にかかっていた疑念の霧を払おうとするように、ようやくその質問を口にした。
ハンドルを握っているのは累方だった。一応は銃を向けられて脅された上で運転しているという体(てい)で、随分慣れた様子で薄暗い田舎道に車を走らせている。
「僕というより、『僕たち』がだよ。金を貰えば人を殺して、殺した肉は儀式で食う。九院寺家のイカれた闇の顔さ」
累がそう答えると、京吾は吸いきったタバコを携帯灰皿にしまい込んで窓の外に視線を移した。
さしずめ人喰い一族と言ったところか。単なる金持ちではないと薄々勘づいてはいたが、その裏の顔が殺し屋にしてカニバリストの集団だなんて、とても信じ難い話だった。だが赤羽と累のやり取りを見た後の京吾であれば、辛うじて納得できなくもない。少なくとも、ただの学生やビジネスマンがあんな殺陣とやり取りを繰り広げられるわけがなかった。
累の横顔からはすでに、赤羽を殺したときのような血走った目の色は消えている。少し疲れているようではあったが、今では落ち着きを取り戻して、手の震えも止まったようだった。
「どうやったかはわからないけど、アイツら、もう僕の居場所を知ってる。赤羽が死んだことだってすぐにバレるよ。今はただ、逃げるしかない」
累はそうつぶやくと、ラジオのスイッチを入れた。京吾が用意した車は細工されたのか動かなくなってしまっていたため、現在2人は赤羽の車を奪って使っている。小型ではあったが、目立ちづらい紺色で静かに走ってくれる、逃走向きの車だった。
時間帯もあってか、ラジオからは音楽が流れてくるだけで、誘拐や事件に関する報道は一切されていなかった。そもそも殺しをやってる連中が警察の助けを借りるとは考えられず、累の疾走がニュースになっていないことは、今逃げている場所を知らせないという意味でも好都合だった。
2人とも何も口にしない中、ラジオが70年代の楽曲を流し始める。鬱陶しいと感じて局を変えようとする京吾だったが、累に止められた。
「待って。この曲好きなんだ」
追い詰められている状況ではあったが、累はそう言うとようやく羽を伸ばせたかのように口角を上げて、ハミングしながら曲を聴き始めた。
流れているのは20年ほど前にヒットしていた音楽グループの『ウィ・スティル・ガッタ・ウォーク(それでも歩かなくちゃね)』という曲で、追い詰められたムードには不向きなほどにポップな曲調である。
「ほら、聴いたことない?有名だし、名曲でしょ?」
「知らねぇな」
京吾にとっては耳にしたこともない曲だったが、累に微笑みかけられると変える気にならず、京吾はしぶしぶ手を引っ込めた。
一昔前のディスコソングらしく、随分とポジティブな歌詞を軽快なリズムに乗せて歌っている。余程気に入っている曲なのか、累もラジオに合わせて歌い始めさえしていた。笑みをこぼしながら歌う様子と、獣のような目で赤羽を滅多刺しにした光景を重ねると、京吾は不可解な感情を振り払えなくなる。
「信じられねぇ話だ」
「確かに、前向きすぎる歌詞かもね」
「そっちじゃねぇよ。お前が…殺しをやったってことがだ」
京吾の言葉に、一瞬累の表情が固まる。異常な事態を終えた2人はもはや運命共同体であり、警戒はすでに解けていたが、車内に少しの緊張が走った。
「他の奴らも、お前が殺したのか?それに…」
累は何も答えず、ディスコソングだけが冷えきった空気を揺らす。人の肉ってのは美味いのか?とも付け足そうとした京吾だったが、まだそこまで踏み込む勇気は出ず、黙って累を横から見つめた。
「……この手で殺ったのは、さっきが初めてだよ。本当に」
そう答える累はまっすぐ道だけを見つめている。京吾はそれ以上何も聞くことができず、目線を逸らして窓に向ける。ちょうどその時曲も終わった。
「...あ、終わっちゃった。なんだよ、またかけてくれないかな」
「随分古い曲を聴いてんだな。20年は前だろ」
「まあね。好きだった人が、好きだった曲」
意味ありげな累の言葉に、京吾は彼の鞄に入っていた数枚の写真を思い出す。死体の写真ばかりだったが、何枚かはまだ学生らしい、街中や出かけ先らしい場所で撮られた写真も入っていた。そのほとんどで累と並んで写っていたのは、例の赤毛の青年だ。
「随分仲が良かったみたいだな、アイツと……あー、ミノルみたいな名前の…」
「充だよ!……遥と同じで、僕を救ってくれた人さ」
そう言う累に向き直ると、京吾は怪訝な目をする。充という名の青年は、つい昨日の朝、フィルフォールズ市内にて遺体で発見されている。その一軒と累との間に何か繋がりがあることは明確だった。 視線に気付いた累は少しため息をつきながらも、しょうがないな、と言うような顔で口を開いた。
「わかった、話すよ。曲も終わったし…」
曲に耳を傾けながらも、累は充と彼との間に何があったかを話し始める。
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一族による徹底した教育を受けてきた累だったが、彼の精神は辛うじて、一族の思い通りに染まる一歩手前で踏みとどまっていた。家族に反抗することはできなかったものの、少なくとも遥と過ごすようになってからは、一族の蛮行に違和感を覚えることが何度かあった。その支えとなっていたのが遥、そして充の2人だったのである。
「なんで?ねえ、ル―二―。なんでなの?」
累に一族の教えを聞かされる中、遥が度々口にした言葉だ。
本来であれば、一族の教えを知る上では、その背景だとか道理だとかは何の意味も成すことはない。暴力とドラッグという強力かつ長期的な洗脳材が、少しずつ教えを聴く者の心をすり減らし、ただ一族の意向に従うマシーンへと変えてしまうからである。
「なんでって…ほら、皆がそうと言ってるし、本にも書いてあるだろ?」
「なんで?誰かが言ったり、何かに書いてあったりしたら、絶対そうしなきゃいけないの?」
遥の問いに何も返すことができないことは度々あった。赤羽であれば、うるさい、余計なことを考えるなと一蹴して、薬を嗅がせては無理やりに教育を進めていただろう。だが累にはそれができなかった。
遥は、『ル―二―』とあだ名をつけて呼ぶほどに、累のことを親しく思っていた。家族の中でまともに話せる相手が累しかいないのだから、年頃の子どもであればそうなるのが当然である。それ故累はどうしても、血みどろな道を歩くであろう自分を慕う遥に、自分が味わい続けてきた恐怖を覚えさせることができなかったのだ。彼が人としての理性を保つことができたのは、遥を教育しようとすることが、むしろ自分自身に一族への疑問を何度も抱かせることとなったからでもあった。
だが当然、一族の目がそのような甘ったれた考えを許すことはない。
「ねえ『ル―二―』。遥の教育は進んでいるのかしら?」
妙に親しげな兄弟の姿を見て、一族の人間が疑うように声をかける。その度にごまかしては薬の瓶を手に『今日もこれからです』と答えていた累だが、瓶の中身は全て、彼自身が体に鞭を打って使い果たしていた。
累は板挟みになっていた。遥に教えを覚えさせなければ、一族の色に染まりきっていないと判断され、再び恐ろしい『教育』を受けさせられることになる。だが遥に酷い仕打ちをすることは、自分自身がどうしても許さない。一族の外との繋がりをコントロールされていたこともあり、誰にも打ち明けることができない深い闇を抱えた累は、今まで以上にドラッグに溺れた。
何もかも消えてしまえ。そして、自分も消えてしまいたい。何度もそう思っては、半ば自殺を図るつもりで、意識が飛ぶほどにハイになることが多くなっていた。
そんな累が彼と出会ったのは、倒れるほどにドラックを浴びて、虻内市のバーの前でぐったりと寝ていたある夜のことだった。
「オイ、大丈夫かよ?」
声をかけられて目を開けると、虹色のヒッピー風な服を着た赤い巻き髪の青年が、累の肩をさすっていた。その彼こそが、累より一回り年上で、別のハイスクールに通う学生だった充である。
「これは酷いな。どれだけ飲んだらこうなるんだ?」
酔い潰れてしまっているのだと勘違いした充は、累を近くのベンチにまで連れていった。意識が飛ぶほどに薬を入れた累は夢遊病とでも言える状態になり、何も覚えがないまま街まで歩いては、バーの前で寝転がっていたらしかった。
「ほら。指、何本に見える?」
「わー、おててが三本もある」
「ヨシ!重症だな!」
充は時折ぐったりする累のそばから離れず、酔いに効くんだぜと言ってボトルに入った茶まで差し出して累を介抱した。本来であれば警察を呼ぶべきだが、2人とも学生であったために、余計なトラブルは避けたいよな?と話して、介抱以外には何もしなかった。
「てかお前何歳だ?そんなに酔っぱらって大丈夫かよ?」
「ばっか野郎、これくらいふらふらにならないと生きていけないんだ。次のサラダ持ってきてよ!」
めちゃくちゃを言う累を落ち着かせながらも、充は何となく、ここまで酷い状態に堕ちた裏には何か事情があったのだろうと察していた。そしてバーに行こうとする累の腕を掴むと、少しは優しく接してやった。
「仕上がってんなあ。仕方がない…そんなときにはこれだ」
そう言って充が取り出したのは古い音楽プレイヤー。片方のイヤフォンを累に貸して、これを聴きながら深呼吸しなと指示を出した。累はぼんやりしながらも彼に従う。
「これは瞑想だ。ぐわんぐわんになった心を落ち着かせるにはこれに限る。ほら、集中しな」
そしてしばらく、騒がしいバーの近くのベンチで、2人は静かに70年代のバブルガム・ポップを聴いていた。段々とハイさが抜けてきた累は、目を開けて充の方を見た。
「なんかこの曲、好きかも」
累がそう言うと、充は良かったと言うように微笑んだ。累は、『この人はなんで、僕にこんなことをしてくるんだろう』と、不思議な気持ちを持つようになった。
「僕なんかに近づかない方がいいよ」
不意に累がつぶやくが、充は目をつぶって瞑想のポーズをしたまま返事をした。
「どうしてだ?」
「だって…見ればわかるでしょ?僕って危ない奴なんだ」
深いくまを作って時折目をギラギラと光らせる累の言葉には説得力があった。だが充は気にしない様子で、
「どうでもいいな。それより、次の曲が最高だぜ?」
と返すだけである。
黙って曲を聴く中で累の意識ははっきりとした状態に戻ったが、ハイな感覚に代わって、別の妙な感覚が胸の辺りに生まれていた。数曲聴き終わったところで累が少しはまともな顔色に戻ったのを見ると、充はイヤホンを外した。
「もう歩けるな?一応、タクシーでも呼んどくよ」
「あ、ありがとう…ところで、その、また会ってもいい?」
感じた想いを思わず口に出してしまった累は、言い終わってから我に返り、自分の口を塞いだ。薬が入っていたのもあったが、本当に無意識に言葉をこぼしてしまったのである。充は片方の眉を上げたが、累が続けて何を言うべきかわからず迷っているのを見ると、すぐに笑顔を見せた。
「『会ってもいい?』だなんて、随分おかしな質問だ。ほぼ毎日この辺にいるから、また聴きに来なよ」
充の言葉に、累の心は弾んだ。
改めて考えてみると、僕って大分軽かったなと、累は充との出会いを思い返す。だがとにかく、その日から彼が、累が心を許して話せる唯一の相手になった。累は距離感を掴むのが不慣れではあったが、充もすぐに累のことを受け入れ、夜の内は少しだけ長い時間を一緒に過ごすようになった。
することと言えば夜の街をあてもなく歩き回ったり、充が好きなサイケデリックな音楽を聴いたり、フードトラックで売られているチープな軽食を食べることくらいである。だが彼と過ごす時間の中では、累は、薬でハイになることとは比べ物にならないほど思いっきり笑うことができたのだ。
そして気付いたときには、彼にある種の特別な好意を持つようになっていた。呪いのような環境で生きてきた彼にとって、隣にいさせてくれる誰かとは、何よりも大切な存在だったのである。誰とも関わることを許されて来なかったからか、胸の高鳴りや手をつなぎたい気持ちだとかが、少し遅れて彼の心情に現れたのかもしれなかった。
充も、そんな累の不器用な想いに気が付いていた。そして同時に、奇妙な雰囲気を持つ累に惹かれるようにもなった。時間が流れていくとともに、2人は、ただの友人以上に深い感情を互いに抱くようになったのである。
累には今でも忘れられない時間がある。夜の散歩の果てにたどり着いた高台で、2人で花火を見た晩の記憶だった。
はじめて見た花火は、累にとっては綺麗というよりも圧巻だった。途中で雨が降り出しためにあっという間に終わってしまったものの、あの時間だけは、ずっと背後にまとわりついていた呪縛やしがらみも、全てを忘れることができた。言葉を失うほどの景色を、遥にも見せてやりたいとも思った。
あの夜びしょ濡れのまま撮った写真を、累は今でも、肌身離さず持ち歩いている。累にとって充は、本当に特別で、かけがえのない人間だったのだ。
累の話が終わると、車の中にまたしばらくの沈黙が帰ってきた。
「…じゃあなんで、アイツの死体の写真なんかも持ってんだ」
話を聴いてますます混乱した京吾は、窓の景色を眺めながら、累に疑問を投げかける。
充のことを回想している間の累は、過去を懐かしんでいるように、うっすらとした笑みを浮かべていた。よほど彼をを好いていたようだったが、ならば尚更、親しそうに肩を並べているスナップショットとともに死体の写真を持っていた道理が理解できなかった。
答えづらそうにする累だったが、視線をまっすぐ前にを向けたまま口を開く。
「充を殺したのは、僕の家族だ。ついこの間のことさ...僕のせいで殺されたんだ」
2人を乗せた車が走る道を見つめるままではあったものの、そう話す累の脳裏には、忘れることのできない光景が映し出されていた。
早急にと言われて家に帰ってくると、何故か屋敷には充がいた。いたというよりもぐったりと倒れていたという方が正しく、一族の面々に囲まれて、床に寝かされていたのである。家族は皆『祝福』の際に使う衣装や道具を手にしている。
『この男は踏み込みすぎた』
声を失う累に父親が言い放つ。その言葉が何を意味するか、累には容易に理解できた。そして同時に、心が必死に理解を拒もうとしていたことも、彼は認識していた。
「おい、大丈夫かよ?」
かすかに手を震わせる累に京吾は言葉をかける。大丈夫と言うようにミラー越しに相手の目を見ると、累は話を続けた。
「僕らの関係は一族にとって...邪魔だったんだ」
「邪魔?」
「一族の家業は『殺し』だ。他の誰かにそれを知られれば面倒なことになる。だから一族の人間は、無関係な人間が家に近づくことを嫌ってた。まして儀式のことなんて…一族以外の誰にも漏らせない話ってわけさ」
ハンドルを握る力を少し強めながら、累は、一族の異常な本性を語り続ける。
一族の人間と密な関係を持つことができるのは、ごく一部の『都合がいい』人間に限られた。ここでいう都合の良さとは、九院寺家が持つ表の顔も裏の顔も全てを受け入れ、それでも一族に加わりたいとする程のマインドコントロールが可能かどうかという精神の弱さ、または異質さを意味する。
実際、子を残し一族の名を継がせるためには外の男女を引き込むことが必用となるが、その対象として認められる者は皆『殺し』と『祝福』を経験し、九院寺の名を継ぐに相応しいと受け入れられた人間のみに限られていた。一族の名とともにその闇を継承し血を絶やさせないことが、後継として求められる何よりの条件だった。
累は充に対して心を開き、それは充も同様で、時間が過ぎると共に2人の仲は親密なものになった。故にその関係は一族にとって、到底許せるものではなかったのだ。彼らを遠ざけるばかりか、見せしめによって累の目を覚まさせようとさえした一族は、その決別の儀式として、充を祝福へと誘ったのだった。
「じゃあお前は...その...」
「食ったよ。彼の肉を」
言葉を詰まらせる京吾に、累は言い放つ。その声は、怒りを孕んでいるようにも、トラウマを思い返しているようにも聞こえた。
自分で話しながら累は、忘れることのできない感触が蘇ってくるのを感じ、吐き気を覚えれば体もビクッと震えた。
「酷く苦んで助けを求める彼を見ても…僕には何もできなかった。ただひたすら、儀式を続けてた。僕が死なせたも同然だ」
その仕打ちは累の淡い夢を粉々に破壊するには十分すぎるショックであり、一族の非情さを改めて思い知らされた教育でもあった。累に何か言葉をかけようとする京吾だったが、ただ黙って外を見ることしかできなかった。
「でも…もうあんなことは、二度と起こさせない。あのクソッタレな連中を、皆殺しにしてやるって決めたから」
決意に満ちた目をしながら累がつぶやいた。トラウマに苛まれているかと思っていた京吾は、「何?」と聞き返しながら彼を見直す。累の瞳には強い意志の力が宿っていた。
一族の思惑とは裏腹に、充を奪われたことが、累に一族の洗脳を振り払わせることになった。
大好きな人を殺され上にその肉を食わされさえしたが、根ざした感情は恐怖ではなく、一族に対して生まれて初めて抱いた、根強い怒りと憎しみだった。離れることのない感触が口や喉の中に残り続けるとともに、自分は異常だ、そして、この一族はもっと狂っているんだと、ようやく自分の目を覚まさせることができたのだった。
充の死から二日後、累は一族の目を盗み、遥を逃亡させることとなる。
幸いにも充の遺体を隠しにいっている間に監視の目が放れため、あらかじめ手配していた電車に弟を乗せることができた。遥は現在譜亜島(ふあじま)という離島に逃げ込んでいるはずであり、一族の追手を撒いた後に、累が彼を迎えに行って国外に逃げる。そのまま一族のしがらみからも解放されてやろうという計画だった。
「お前の兄貴が話してた奴だな?その遥ってのは」
赤羽との会話を思い出した京吾に問われれば累は頷く。
「弟はまだ家業に参加したことはないし、『祝福』のときも…僕が周りの目を盗んで、出される肉を食べさせないようにしてた。一族で唯一、まともなままでいれてる人間なんだ。戸惑ってはいたけど…自分の運命を狂わせちゃいけないって言い聞かせて、何とか行かせることができたんだよ」
「お前を信じて逃げてくれたってことだろ?なんでお前は、一緒に逃げなかったんだ?」
「遥を逃がすには、他の奴らの目を何としても離させないといけなかったんだよ。だから僕が連中の前から姿を消すわけにはいかなかった」
累はあの晩のことを思いだしなら、彼が京吾に誘拐されるに至った経緯を話し始める。
遥の姿が消えたという電話が彼らの父親にかかってきたのは、充の遺体を角宇野原農園に隠した後、真っ黒な夜道を移動している最中のことだった。その電話が合図となり、累は兄からバイクを奪って、その場を走り去ろうとした。
当然揉み合いになり、赤羽も父親も、弟の逃亡を手助けしたのが誰か察知した。取り押さえられそうになったときに脚を切り付けられたが、何とか追手を振り払い、累はバイクを走らせて夜の闇に飛び込んだ。
脚の怪我を気にしている余裕はなかった。とにかく何とか遥に再会しようと必死になっていたからだ。追っ手を離せるよう、あちこちをジグザグに回って、バイクも別のものに乗り換えた。だが精神的に参っていたこともあり、ほんの一瞬休もうと気を緩めたわずかな時間の間に、つい意識を失ってしまった。
その直後、偶然にも母親を助けるため計画の実行を決めた京吾に見つかり、累は楽々誘拐されてしまったのである。
『このチンピラが、よくも計画を台無しにしてくれたな』とはじめは思っていた累だが、京吾が一族に雇われた追っ手ではないとわかると、恐るべき偶然に我が身を助けられていたことを理解した。あのまま眠っていれば、一族の誰かにすぐに身柄を押えられていた可能性も十分にあったからだ。
現在の累は、受けた傷が酷く痛み、走ることも難しい状態に陥っている。その点、『仲間』と呼ぶには奇妙な関係ではあったが、ひとまず協力者を確保できたことは幸運だったのかもしれない。
「つまりお前は...殺し屋一族に生まれたが、好きになった人を殺されたんで家族を恨み、逃げたい。ついでに、まだ手の汚れてない弟も助け出したいってことか?」
「まあ、そんな感じだね」
「そんなぶっ飛んだ話があるか!?俺はただ金がもらえればなんでも良かったのによ…なんでこうなっちまったんだ、畜生…」
京吾の方は、何とか状況を知りつつも理解が追いついていないという様子で、何度もため息を漏らしていた。
無理もない現状ではあったが、今はとりあえず累の言う通り、ひたすら虻内市から距離をとるしかない。累曰く『一族の財産の隠し場所』を彼が握っているとのことなので、とりあえず遥に再開するまでは彼に協力し、京吾の方も報酬を得てから逃げようという話に落ち着いたのだ。
累は口を閉ざして、運転に集中を戻す。京吾はようやく累の魂胆を把握したが、どうしても気がかりなことが一つだけあり、躊躇いながらも言葉をつぶやいた。
「お前の家庭の事情はわかった。だがな…お前の兄貴、赤羽とか言ったか?…何も死ぬまでめった刺しにしなくたってよかったじゃねぇかよ」
京吾にそう言われれば、累はハンドルを握ったまま、ミラー越しに鋭い視線を向ける。
「何だって?」
「だからよー…経緯はどうあれ、お前は人を殺したんだぜ?それも自分の家族をだ」
「僕はほとんど殺されかけてたんだよ?それに、アイツはもう家族なんかじゃない!」
「だとしても殺す必要はなかったんじゃねえのか!」
京吾は声を荒らげる。彼も大切な人を無惨にも奪われたトラウマを抱えており、累が感じている憤りを理解することくらいはできた。だが逆に、家族を殺された京吾だからこそ、自分の家族を殺害した累に一言言わずにはいられなかったのである。
「…アンタは何でそんなにヘタレなんだ!じゃあこっちも1つだけ言わせてもらおうか!」
不意に車を停めると、累は京吾の襟首を掴んで、無理やり自分を見させる。京吾は何も言わず、戸惑った様子で累の目を見つめた。
「一族の話に巻き込まれたことは気の毒だと思ってる。だけど、偶然とは言え僕を誘拐したのは、アンタ自身なんだ。こうなったからにはもうその運命を受け入れるしかないんだよ。命を奪うなとか、そんな悠長なことを言ってる場合じゃないって自覚するべきだ」
累が言ったことは正論に近かったが、京吾には認め難かった。だがとにかく、京吾をこの騒動に巻き込んだ張本人は、京吾自身にほかならない。強い口調で放たれた累の言葉に反論できず、
「そういう話じゃねぇんだよ…」
とだけつぶやくと、京吾は再び目を逸らしてしまった。
累も襟首から手を離してアクセルを踏み込んだ。沈黙が続く中、車内に響くのは軽快なディスコソングだけだ。外では太陽が、薄明かりとともに姿を見せ始めている。
「もう夜明けか。思ったよりも進めなかったな」
「アンタが余計な休憩なんてとったからだ」
「ありゃお前のための休息だぜ!?誰が足の傷を見てやったと思ってんだ!」
傷の具合を見させろと言う京吾の説得を聞いて途中で休んだこともあってか、2人は十分に長い距離を走れなかった。しかしをいくつかの街を渡って、車通りの少ない林道に出ることはできた。現在車は、茨城県北西部の布世町(ふせまち)を走っている。相変わらず何のニュースも流されておらず、一族側は累の失踪を公にして探すつもりはないらしい。
「霧がかってきたな」
辺りを見ながら京吾がつぶやく。夜明けを迎えるうちに、段々と霧が濃くなりつつあった。そんな道に車を走らせる中、ふと道路の先に人影が見えたように感じると、累は速度を緩めた。
京吾も同じく、2人の車が走る先の車線を塞ぐように置かれた2台の車と、そこから離れて何かを手に降っている人の姿に気付く。警察の検問かと警戒したが、パトカーやランプの灯りは見られない。どうやら偶然、今起きたばかりの事故の現場に遭遇してしまったようだった。
累はゆっくりと車を近づける。スリップか何かで車線を外れた車が反対から来た別の車両と接触したのか、ちょうど斜めに並べられるような形で、2台の車が停車していた。若干腰の曲がった老人らしき男が振っていたのは赤く光る発煙筒らしい。
「ありゃ事故か?まあ、この季節なら珍しくもないな」
「わかってるだろうけど、助ける余裕なんてないよ?やばいのはこっちも同じなんだから」
「言わずもがなだ。気の毒だが素通りさせてもらえ」
京吾がそう言うと、累はアクセルを踏み、事故現場の真横を通過しようと車を走らせる。
必死に車を止めようとしているのか老人は続けて発煙筒を振るが、京吾は「悪ぃな」とでも言うように手を上げて、その場を過ぎ去らせようとした。老人の後ろでは若い女が車から降りて姿を現したが、何の反応も見せることなく、京吾たちを見つめている。
先に違和感に気付いたのは累の方だった。
女が別の発煙筒を取り出して老人に手渡したのを見ると、あの女、どこかで見たシルエットだと、不意に記憶が巻き戻ったのだ。不信に思った累は再び速度を緩めようとする。だがそれより先に、何故か老人は発煙筒を横に持ち直し、ホースを構えるような姿勢で、筒の先端を京吾たちの方に突き出した。
その様子を見て、累はやっと状況を理解する。老人が手にしていた赤い筒は、事故を知らせるための発煙筒などではなかった。
「ちょっと待てあれは…やばい、やばいぞ!」
累が言葉を漏らすのと同時に、老人が手にした筒の先から、火の玉のような弾が発射された。
弾はネズミ花火のように道路を素早く這うと、あっという間に車の下に潜り込んだ。京吾は一瞬何だ?と制止するが、累は慌ててハンドルを切る。だがその直後に、轟音をともなう炎と爆発が、車の下から吹き上がった。
数秒の間車体が浮き上がり、ハンドルはコントロールを失う。振動と衝撃に2人の意識が飛びかけそうになる中、車はめちゃくちゃな方向へと進んでいき、道を外れてガードレールに追突する。ギャリギャリと金属が削れる音を立てながら、2人を乗せた車は横転した。
激しく燃え上がった炎が車体を包む。ランチャーを下ろした老人と女性は何も言わず、ゆっくりと車の方に歩いて、炎上する車体を見つめている。
一瞬の襲撃が終わった。鳥のさえずりや雲の隙間から差し込む朝日は、まるで何事もなかったかのように、一日の始まりを穏やかに告げていた。
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