襲撃: 累と京吾の視点①

3発の銃声に耳が貫かれる。閉ざしたままだった目がようやく開いた。

薔薇のように広がっては白い雪を赤に染めていく血溜まりが、目の前の世界を段々と塗りつぶしていく。血に染まる道路に折り重なるように、3人がバタバタと倒れこんだ。

右目から血を吹き出させる弟が、何かをぼやきながら手を伸ばす。すでに呼吸は弱々しく、何かを言おうとする声も枯れ果てており、今にも息絶えそうなことが容易にわかった。

何だ?何を言ってるんだ?

必死に耳をすます。こちらからも手を伸ばす。だが決して、声を聞き取ることも手を届かせることもできない。弟の頭は弾けるように吹き飛んだ。

絶叫が彼の意識を遮る。

目が覚めると、京吾は自分が眠りに落ちていたことにやっと気が付いた。ドアに寄りかかりながら寝てしまったようで、うっかり凍死するところだったと、ニットを被り直して気を引きしめる。

夜風の冷たさが段々と空気を満たしていくのは、人影のないゴーストタウンでも同様だった。その一角にあるレンガと石膏作りの廃屋の外で、京吾は辺りを見回しては白い息を吐き、足取りを重くさせつつも屋根の下に戻る。

廃屋は冷戦時に建てられたもので、当時の富豪がこぞって設けたシェルター用の地下室を有する。檻を設置したのもシェルターの中で、隠れ家としては絶好の場所であった。

木製の壁に見せかけた隠し扉に手をかけ、地下に続く階段を降りる。下に向かう程強くなる寒さに身震いし、京吾は羽織っていたジャケットを着直した。

「いよいよ動き出さなきゃまずい時間だな」

そうつぶやいて地下室のドアに手をかける。鎖を解いたアイツが待ち構えているのではないか?と少し躊躇ったが、冷気に耐え切れず扉を開けた。

持ち込んだ電気ストーブのおかげで、地下室の中は暖かい空気に包まれていた。その中で累は快適そうに眠りに落ちてしまっている。拍子抜けしたものの、京吾はひとまず安堵して銃を下ろした。

 床には累の鞄に入っていた荷物が散らばったままにされており、砕けた皿の破片もそのままだった。近くに落ちていた数枚の写真を手に取り、京吾は木の椅子に座った。

 鞄に入っていたのは学生らしい日常や旅行先の記録がほとんどだった。だが気がかりなことに家族と撮ったらしい写真は一枚もない。代わりに一緒に写っているのはいつも同じ人物で、人周り歳上に見える赤毛に巻き髪の青年だった。雨の中びしょ濡れになったまま2人でピースしている写真まであったが、無邪気そうな笑顔からは、殺人鬼のような邪悪さは全く感じられなかった。

「随分といい顔をしてやがる…コイツは本当に何者なんだ?」

京吾は独り言をつぶやきながら、別の写真に目を移す。

 平和な写真だけならまだ良かった。しかしながら鞄の中にあったのはそれらだけではなく、累の残虐さを裏付けるかのように、無惨に殺された死体らしき写真も数枚入っていたのである。

床に散らばった写真の内2枚に手を伸ばす。それぞれには、舌を出したまま虚ろな目を浮かべる男と、筋肉を削り取られあり得ない方向に首を曲げた女の死体が写っていた。どちらの写真も怨念のような生々しささえ感じられるほどにリアルであり、壁に貼られたフェイク写真とは大違いである。京吾はふと恐ろしくなって写真から手を放した。

これらもフェイク写真である可能性はもちろんある。しかしそんなものをわざわざ持ち歩いているのなら、どの道異常者であることに変わりはない。累について知ろうとする度に彼こそが殺人鬼であるという確証に近づいていくようで、京吾は頭を悩ませていた。

 ちょうど足元に落ちていた写真が目に入る。あの赤髪の青年の写真である。ただし元気にピースをしているようなものではなく、白目を向いて、丁度胸部を切り裂かれて息絶えている姿を捉えた恐ろしい写真だった。

京吾は目を疑いつつ、仲良さげに肩を組んで写っている2人と、赤髪の青年の死体を並べた。

「…ど、どうなってんだ?結局コイツも殺されちまったのか?…このガキに」

牢の中で眠る累を見ながら、京吾は疑いを口にした。

赤髪の彼が何者かは知らないが、体に残された傷の箇所から察するのに、おそらく午前に報道された充という学生に違いなかった。どのような経緯があったかは京吾には検討もつかない。だがとにかく、累と親しそうにしていた彼も、無残に殺された者たちと同じ運命を辿ったらしい。京吾の背筋はゾクゾクと寒気を帯びた。

 京吾はもう一度、おぞましい写真の数々と累を見比べる。

穏やかな表情で眠る姿からは彼が殺人鬼だなんて想像もできないが、現状から見ると、累こそが噂の人喰い男だと考えざるを得なくなる。未だにはっきりと問いただすことすらできておらず、疑念はぬぐえないままだった。

「…畜生!いい加減…どうするべきか決めないと」

 京吾はまた独り言を漏らす。

累を拉致してから半日以上が経ったが、未だに家族や警察からは何の連絡も動きもない。誘拐に関する報道もされていない。そろそろ身代金の電話でもするべきかと考えていた京吾だったが、誘拐した少年が殺人鬼かもしらないという事態になっては、どうすれば全くいいかわからなくなってしまって当然である。

頭を抱えながらも電話を手に取る。だが結局、どの番号もプッシュできないままだった。

「だからさっきから言ってるでしょ」

檻から突然声がすると京吾は驚き、慌てて受話器を戻す。

「ここには誰も来ないよ。安心しなって」

いつの間にか目覚めていたのか、累はまぶたを擦りたそうに手の指を動かしながら、京吾に話しかけた。

誘拐された身にしては随分とふてぶてしい態度だったが、京吾はもはや何も言わない。あれから随分時間が経過したものの、京吾は未だに累にビビりあがったままで、ろくな会話をしていなかった。

しかしながら累の方は、退屈しのぎという目的もあってか、この数時間の間に京吾に身の上を少し話していた。昨晩から色々あって家から逃げ出している最中で、何やらバイクと列車で国境付近まで逃げてしまおうとしていたという話も聞かせている。かなり突発的な家出ではあったようで、疲れきった様子で眠っていたのもそれが理由らしかった。

しかし京吾は累の話を信じきれていない。そもそも累が本当に凶悪犯であるならば言葉の裏で何を考えて話しているのか見当がつかず、コイツ、家族のことも殺そうとしてたんじゃないのか?と疑惑と恐怖の念さえ抱いていた。

不安は晴れないままだったが頭の中はとっくに混迷しきっている。ひとまず不必要に累に近づかないようにすること以外、今の彼にできることはなかった。

「いつまでこうしてるつもりなのさ?ていうか、いい加減何か喋りなよ」

 明らかに誘拐犯側が言いそうな台詞で呼びかけながら、累は欠伸をする。彼の緊張感のかけらもない態度には慣れてきた京吾だったが、相変わらず累の本性が知れず、この数時間自分から言葉を発することはなかった。

 ふと、床に投げ捨てられたままになっているコカインのバックに目がいく。

「クソ、目障りだ。気持ち悪い」

京吾はそう言うと恐る恐る手を伸ばして拾い上げ、革の鞄にしまい込む。累は何か言いたげだったが、ただ口を閉ざして見つめていた。京吾は少しほっとした。またコカインをきめさせろと暴れられてしまえば、強気な態度で止めることができないだろうと警戒していたからだ。

 ああ畜生、ずっと黙っていても仕方ねえか。どの道コイツが何者か知らないといけないんだからよ…

京吾は重い腰を上げて、核心に迫るようなことは言わないようにしつつも、ようやく累に話しかけた。

「お前まだ学生だろ?いつからこんなのに手を染めてやがる?」

 コカインが詰まった袋を指さす京吾に聞かれて、累は顔を上げる。

「さあ?家ではそれがあるのが当たり前だったから。小さい子どものときからずっとね」

「何だと?」

「家ではハッパがシリアル代わりだったし、それが普通だって思ってたよ」 

「何だと!?」 

 落ち着きを保って喋ろうとしていた京吾だったが、予想だにしなかった滅茶苦茶な言葉に戸惑った。

そんないかれたモーニングがあってたまるかとつぶやきながら、累の鞄を漁ってIDカードを取り出す。所属は隣の市にある名門校。虻内市の中でも名門と言うべき、レベルの高い学校である。年齢は15歳。本名は九院寺累と書かれていた。

「九院寺ってファミリーネーム、聞いたことある?」

 累にそう聞かれるが、京吾は首を左右に振る。何で儲けているかは不明だが、とにかく金持ち一家であるに違いはないだろう。だが、話を聞くに『黒い方』の金持ちに間違いねえなとも、京吾は確信した。少なくとも、こんな少年がドラッグを吸える環境を作っている時点で、絶対にまともな家ではない。

「お前の家族が何だろうと構わねえが、とにかく俺はドラッグの類が大嫌いなんでな。次あんな真似をしやがったら、絶対に許さねえ!」

薬物の規制を目指した両親があの十字傷の殺し屋に殺されてしまったこともあり、京吾は自分が誘拐犯であるということを棚に上げながらも、薬物だけは許せないタチであった。

不機嫌そうな目つきを作りながら、コカインが入った鞄を見下ろす。目の前で3人を撃たれたトラウマが一瞬蘇りそうになれば、京吾はさらに苛立った。

「しかし…坊ちゃんにしか見えないお前がジャンキーだったなんて、想像もしてなかったぜ。まあその感じじゃ、家族全員イカれてんのかもしれねえが」

「生まれは関係ない。そもそも僕は、あんな家族は大嫌いだ。だから逃げたんだ!」

「そんなことは俺の知ったことじゃねえ!とにかく、もう二度とこんなもんを吸わせはしないからな」

 京吾はそう言うと鞄を蹴とばして、机や床に散っていた白い粉を水拭きで洗い流した。

「犯罪者のくせに、随分とそれが嫌いみたいだね」

 当然だろ、ジャンキーなんて全員サイコも同然だと返そうとした京吾だったが、殺人鬼かもしれない奴にそれを言うのは無粋かと思い、何も答えなかった。

「今時ヤク嫌いなんてこの街じゃめずらしいよ」

累はそう言っては表情を変えないまま、蹴とばされた鞄を黙って見ている。京吾は布巾を袋に投げ捨て、手を拭いながら累を一瞥すると、もう一度机に戻った。

「ナッツアレルギーで身内が死んだら、ピーナッツバターなんて二度と見たくなくなるだろ」

「え?」

「ガキがあんなものに手を出すなって言ってんだよ。心臓が破裂しちまうぞ」

京吾は自分でそう言った後、自分が誘拐犯という身であること、そして相手が殺人鬼であるかもしれないことを忘れて説教臭い台詞を吐いていたことに気付き、いよいよ今の俺の立場は何なんだ!と苦悶した。

当の累はなぜかニヤニヤと笑みを浮かべている。戸惑う京吾と目が合えば、

「やっと、まともに話してくれたね」

と満足げにつぶやいた。

どこか無邪気なスマイルに気味の悪さを覚えながら、京吾は累から目線を外す。

これだ。この笑顔が不気味でならねぇ。結局コイツは何なんだ?

ジャンキーでクレイジーな少年であることに変わりはないようだが、こうやって話してみると、猟奇犯罪者のような異質さは見られなかった。むしろ普通の若者らしく、性格の軽さや青々しさすら覗かせていた。

だが同時に、彼が時折見せる落ち着いた目つきからは、若さにそぐわない鷹のような冷徹さも感じられた。ラファエロの絵画を思わせる整った顔立ちや大きな青い瞳に浮かぶ微笑みや独特な話し口調は、思考を読ませない不信感を抱かせながらも、どこか引き込まれそうになる奇怪な優しさを孕んでいる。京吾にとってその様子は不気味で仕方なく、今も累の素性を理解できずにいた。

「本当にお前の家族は…通報すらしないってのか?家族を捨てて逃げたお前には、もう何の用もないと?そんな薄情な話があるか?」

累が語った話を思い出しながら京吾は問いかける。京吾は家族との幸福を台無しにされた身である。もし自分の弟が生きており、何者かに誘拐されたとなれば、地球の果てまで探し回っているだろう。

累は相変わらず、落ち着き払った話し方のままである。

「そうだよ。アイツらにとって、逃げ出した僕なんてもう家族の一員じゃない。僕もアイツらなんて家族じゃないと思ってるし。というか…一族からはみ出し者が出たなんて、誰にも知られたくないはずだ」

「そ、そりゃどういう意味だ。お前の家出が公になっちゃまずい理由でもあるのか?」

京吾の質問に累は何も返さない。そこまで話す気はないよと告げるように座り込むと、天井の方を見つめて、今度は口を閉ざしてしまった。もどかしく思う京吾だが、結局それ以上聞くことはできなかった。

コイツの家族は、コイツが殺人鬼だってのを知ってるのか?いやそれとも、むしろ殺人に手を貸してるのか?もしこのガキの殺人に、家族全員が協力していたりしたら…

様々な推察が頭の中を巡る。もし『人喰い男』が家族ぐるみで犯行を行っているならば、逆に誘拐犯を殺そうと居場所を探しているかもしれない。事実がどうにせよ、今隠れている場所がバレていない限りは、下手に動かずにやり過ごす策を練るしかなかった。何より思考が疲弊しきっているため、逃げようとしても車の運転すらまともにできないだろう。

 「ね、食事はこれだけなの?」

檻の中には京吾が持ち込んだ缶詰がいくつか置かれている。縛られたままの累が唯一口にした食事だった。

累は変わらず、希望に満ちた瞳でも恐怖に歪んだ表情でもなく、老いた猫のように力の無い目の色で、ただ壁や床を眺めている。時々言葉も発するが、助けに来てもらえるなんて期待は全く抱いていないらしい口ぶりだった。

「『レモン』が欲しいんだけど」

「絶対にダメだ。てか、俺は誘拐犯だぞ?そこんとこ忘れるんじゃねえ」

「『吸わせてくれないなら殺す』って言ったら?」

累が目をギラリと光らせると、一瞬、京吾の体は凍りつく。だがすぐに累は表情を崩して笑った。

「冗談、冗談だよ。玲亜にしないで」

「…笑えねえぞ」

不安げな視線を向ける京吾と目を合わせることもしないまま、累は壁に寄りかかりながら立ち上がり、身体を伸ばしてストレッチを始めた。この状況下、どうすればいいかわからないのは彼も同じようだった。

「…どうもわからねぇ」

不安に耐えきれなくなり、いよいよ京吾は意を決して、累の正体を本人の口から聞くことにした。

「お前が…お前が本当に、噂の『人喰い男』なのか?今日見つかった充って奴も…殺したのはお前なのか?」

ストレッチを終えた累は壁に体を預けたまま、ゆっくりと顔を上げる。

「わからないのはこっちだよ。アンタ、本当に何も知らずに僕を誘拐したわけ?誰かに頼まれたわけでもなく?」

「こっちだって好きでお前を選んだんじゃねえ!それに…頼むだと?誰がお前を誘拐しろだなんて頼むってんだ?」

京吾に興奮した口調で問い詰められると、累は再び腰を冷たい地面に下ろす。そして、仕方ない、わかったよとでも言うようにため息をつくと、いよいよ口を開いた。

「僕は…」

累は話を始めようとしたが、すぐに言葉を止めた。彼が話し始めたのとほぼ同時に、部屋の上方より何かが爆発したような音が響いて、地面を揺らしたからである。

突然の音と衝撃に累は口を閉ざし、京吾も天井を見上げる。単なる地震や地鳴りではない。爆発のような衝撃音は間違いなく、彼らがいる地下室の上で起こされたようだった。

わかりやすく京吾は焦る。この建物でそんな音が響くとしたら、人質を助けにきた機動隊か何かが突っ込んできたに違いないと思ったからだ。

まずい、どうする。『おまわりさん違うんです。コイツです、コイツが殺人鬼なんです』とでも告げるべきか。そんな突拍子のない話を誰が信じるってんだ!

「オイオイオイ!畜生!もうお終いか!」

累も状況を理解できてはいなかったが、震えた手で銃を手にしようとする京吾を見ると暴発するのではと気が気じゃなくなり、慌てて落ち着かせようと声をかける。

「ち、ちょっと待って!警察か誰かなら、なんで何も言わず突入するのさ?そんなのおかしいよ!」

本来であれば人質であるはずの累の言葉を聞いて、京吾は少し気を落ち着かせる。

確かに警察や交渉人なら、人質とともに立てこもっている犯人を刺激するような真似をいきなり犯すとは考えられない。だがそれならば、今の音の正体が何か尚更わからなくなってしまう。何も知らないティーンエイジャーらが廃家で花火でも始めたのだろうか。

しばらくの間は沈黙が広がる。しかし音が止んだわけではなかった。耳を済ますと、木製の扉や壁が叩き破られる音が、上方のあちこちで響いてきていることがわかった。先程の爆発音とは違い、鈍器か何かを壁や床に叩きつけているような、鈍い音と振動が感じ取れる。

「何がどうなってんだ!?上に誰が来てるってんだよ!」

そう言って再び銃を構えようとする京吾だが、鞄から取り出していた累の携帯電話が不意に鳴り出すと、驚きのあまり手にしていた銃弾を盛大にぶちまけてしまった。

弾があちこちに散らばってしまったが、電話は今地下室の上で起こっている何かと関係しているに違いなく、拾っている場合ではない。京吾は受話器を手に取り、指を震わせて躊躇しながらも、他にどうすることもできず電話に出る。

電話を取って耳元に近づける一瞬の中で、この電話は警察からなのか、それとも累の家族からなのか、交渉なのか脅しなのか、袋の鼠になったことを伝えるための電話なのかなどと、様々な憶測が頭の中を駆け巡った。呼吸をし直し、誘拐犯らしい話し方を意識する。

「誰だ!」

強い言葉をぶつけても、相手側はすぐには答えない。電話を持つ京吾の手はさらに震える。数秒の静寂が破られると、低い声の返事が相手から返ってきた。

『今、お前らと同じ廃屋にいる者だ』

声の主はそう答えると銃を放ったようで、天井裏から発砲音とともに壁が砕かれる音がしたかと思うと、少し遅れて電話からも同じような衝撃音が聞こえてきた。警察や交渉人らしくもない話し方に、京吾はさらなる不安を覚えて息を飲む。

「ど、どういうつもりか知らねぇが、俺には人質が…」

『俺は警察なんかじゃない』

脅し文句を垂れようとする京吾を遮り、声の主は一言付け足す。短い言葉ではあったが、京吾に残っていたわずかな冷静さを追い払い、混乱によって思考の歯車を止めるには十分だった。

『一応名乗るが、俺の名は赤羽。九院寺赤羽だ。そこにいるのか?俺の弟は』

赤羽と名乗る男は累を弟と呼ぶと、さらにもう一度発砲した。

京吾が立てた仮説の中でも最も信じ難いものが的中したように感じられ、『畜生!お前の家族が俺を殺しに来やがったぞ』と、京吾は歪んだ顔つきで累を見る。一方の累は状況が全くわからず、珍しく顔には焦りが表れていた。

「な、何だよ!誰からの電話なのさ!」

「お前の兄貴だ!クソッタレ!お前を助けに来たらしいじゃねぇか!」

京吾にそう告げられると累は静止する。奇妙なことにその瞳には、『助けが来た!』と喜ぶような希望の光は全く現れていない。むしろ断崖絶壁に追い詰められたかのような恐れと焦燥に捉われ、表情もじわじわと引きつり始めていく。

この僕を誘拐するからだ、ざまあみろとでも言われるかと思っていた京吾だが、今日一度も見せたことのない累の様子を見れば、一層の混乱を覚えた。

『そこにいるみたいだな。待ってろ』

赤羽の声がすれば京吾は我に帰る。

電話口の後ろから聞こえる音から察するに、赤羽は壁や床をあちこち破って、京吾たちを探しているようだった。どうやってこの小屋を突き止めたかはわからないが、徐々に追い詰められつつあることには間違いない。

「な、何が…目的なんだコイツは!誘拐犯が怖くねえのか!?俺がお前を殺すかもとも、考えてないってのか!?」

たまらず京吾は叫ぶ。赤羽の接近を知った累は、必死に鎖を外そうともがいていた。

「助けるだって!?その逆だよ!僕を…僕を殺しに来たんだ!」

何だと!?と聞き返して、京吾は再び檻の方に振り返る。

誘拐された家族を潜伏場所に乗り込んでまで殺しに来たなど、到底信じることができない話だった。だが、指がちぎれそうなほど無理やりに枷を外そうとする累は、『逃げないと殺される』という恐怖を確かに抱いているように見える。

家族から逃げている途中だと言っていたことを思い出し、それと何か関係があるのだろうかと、京吾の中で考えがよぎる。しかし今ではそんなことを気にしている余裕はなかった。

「一緒にいるんだ、殺されるのは僕だけじゃない!アンタもだ!」

 累は震え声で京吾に向けて騒ぐ。彼とは対照的に、極めて冷静かつ落ち着いた雰囲気の声で、赤羽は電話越しの京吾に話しかけた。

『ソイツを殺したいなら殺しておいてくれて構わない。まあ、お前にそれができればの話だが…いずれにせよ、俺の目で死体を確認させてもらう』

段々と壁が壊される響きが近づいて来る。ようやく整え直した呼吸もすぐに乱れてしまう。京吾は慌てて銃弾を拾い集めながら、俺はどうすればいいんだ!?と嘆くように髪をかき乱した。

「アイツは何て言ってるんだよ!」

累に促されれば、京吾はスピーカーから赤羽の声が流れるように携帯電話のスイッチを切り替えた。

『これは取引でも脅しでもない。ただ、これから起こる事実を述べているだけだ。俺は今からそっちに行き、誰が殺すにしろ必ず累の死体を確認して、念の為の1発を頭に撃ち込む』

特別な脅しを使わずとも、機械のように淡々と言葉を放つ赤羽の話し方には、命を奪うことに何の躊躇いもないという説得力があった。

『何もしなければお前の命は見逃してやる。ただ黙って待っていればいい。誰に雇われたか知らないが、ソイツを殺せはしないだろう。お前のような雀ではな』

そう告げると赤羽は有無を言わさずに電話を切ってしまった。京吾が必死にオイ!だとかモシモシ!だとか呼びかけるが、電話からの返答はない。代わりに、上の部屋を赤羽が荒らし回っている音だけが地下室に伝わる。

電話で話した時間はほんの20秒程度。全く理解はできないが、とにかく追い詰められているのだという状況だけは、かろうじて京吾にも認識できた。

「早くしないと、赤羽が来る!」

累はそう言って身体を起こし、柱に繋がれた自分の腕を京吾に見せた。早く外してくれとでも言うようだったが、京吾は錯乱しながら銃口を向ける。

落ち着け、いきなりコイツの兄貴が飛び込んで来て、しかも人質を殺すだと?そんな馬鹿げた話になるわけがない!巧妙な演技ってやつだ!2人で俺をハメようとしてるんじゃないのか!

京吾は累から距離を取ったまま、ゆっくりと椅子から立ち上がる。

「待て待て待て!何を期待してやがる?鎖を外させて逃げる気か!?そのまま俺を襲うこともできるだろうが!そう簡単に外してやれるか!」

切羽詰まった様子で京吾はそう言うが、必死なのは累も同じだった。数分前とはうって変わり、腕が引っこ抜かれそうなほどの勢いで鎖を外そうとしながら、京吾を説得しようする。

「そんな話をしている場合じゃないんだ!このままじゃ2人とも...」

「そんな話が信じられるか!お前らグルなんじゃねえの!?お、俺にも銃があるんだ...お前の兄貴とやらが来たって、返り討ちにすりゃ解決だ!」

 自分自身に言い聞かすかのように声を荒げる京吾だが、銃を持つ手は小鹿の脚の如く震えっぱなしで、引き金を指にかけることすらおぼつかない。不器用にも恐れを忘れようとする京吾を挑発するように、今度は突然ラジオや受話器が繋がらなくなり、照明も一切の光を放たなくなった。

地下室にケーブルで繋がっていた電源が破壊されたようで、暗闇が一瞬にして地下室を飲み込んでしまう。京吾は慌てて銃に触れて引き金の位置を確認すると、テーブルに置かれていたマッチを逆の手で探った。

 「僕はアイツと組んでなんかない!本当にそうならこんな危ないマネするか!?」

 ぎこちない手つきで火を付けようとする京吾に向けて累は叫ぶ。

ほとんど何も見えない視界では何度も失敗してしまい、ようやくついた火をキャンプ用の蝋燭に移しても尚、幕が上がる前の劇場のような闇が、2人の地下室を占領し続ける。拉致した者を閉じ込めて身を隠すには申し分のない隠れ家だったが、入口さえ取られてしまえば一切の退路が失わられ、今や絶好の狩り場と化していた。

 先ほどより一段と近い場所から、木製の壁が破られる音がした。京吾は部屋外へ続く扉に視線を向ける。

さらには銃声が空気を揺さぶり、地下室の壁のあちこちで跳ね返る。ここへ繋がる隠し階段が見かったらしく、ゆっくりと、それでいて迷いなく歩を進めながら階段を降りる赤羽の足音が、地下室の中まで伝わってきた。

 「アンタじゃ無理だ!引き金も引けない雀だろ!早くこのクソッタレ鎖を外すんだよ!2人で殺るか、2人とも殺されるかだ!」

 そう怒鳴られると、京吾は銃を持ち直しつつ、泣きそうな目、と言うより完全に涙に満ちた目で累を見た。

人質がいようとお構いなく銃をぶっ放すいかれた男が、間もなくこの部屋に入ってくる。机の上には鎖を外す鍵があるが、外したところで累がどのような行動に移るかもわからない。

 京吾は憤った。誘拐犯という身でありながら、交渉の余地も一切なく追い詰められている現状を嘆く。地団太を踏む余裕すらとっくに失っていた。

嗚呼、神よ!どうしてこんなことになったんだ。俺は恐るべき誘拐犯だぞ。駆け引きは俺の手に握られて然るべきはずなのに!

 「しっかりしろ!どうするんだよ!」

 累がそう叫びながら鎖を叩きつけ、金属音が数秒だけ鳴り渡る。そしてその直後、ついに破られた地下室の扉が、バキバキと音を立てながら蹴り倒された。

闇に包まれていた地下室に電灯の光が差し込み、空中を舞う木くずや埃の影が浮かび上がる。

 一瞬固まった累と京吾の目には、部屋へと足を踏み入れた男の影が写った。

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