閉鎖

 終末永久保障機関ノーチェ。

 此処では奇病を患った者を収容し、患者の経過観察と苦痛を緩和する治療、それと並行して主に奇病と最果ての研究が行われている。

 治療を施しても確実に治ることはなく、患者の病状が悪化したときは緩和しきれない苦痛に苛まれる前に、所長の判断で安楽死処置がとられていた。

 その後、心肺停止を確認してから星の薬の効力によるものなのか、死後硬直と腐敗を抑えることが出来る六日以内に、所長や海の魔女のような異例な事態が起きないかを確認したあと、花葬かそう室に並ぶカプセルに遺体を移し最後の贈り物として花を捧げている。

 そうして最後の別れを済ませ、隣接するコールドスリープルームにカプセルは納められてきた。

 これがノーチェでの弔い方、花葬。

 カプセルは謂わば棺だ。


 創設者にして所長であったモノ――“最古の希望”は、ノーチェに収容していた全ての患者の終末を見送った後に自らも件の薬を飲み下し、研究員の手間を減らす為なのか、寝室ではなくコールドスリープ用のカプセルの中で眠りについた。

 眠る所長の周囲には白いポインセチアが詰められている。

 彼女を囲う研究員たちは花を詰めてから一言も発さず、涙を流すこともなく、厳かな空気の中安堵の表情を浮かべてその美しい寝顔を見下ろしていた。

 患者にとって彼女が希望であったように、此処に集められた研究員たちにとっても希望であった彼女の旅が、漸く終わった。

 こんなに喜ばしいことはなく、また希望の光は一人一人に受け継がれていると其々が自覚しているからなのか、この場にいる誰一人として潰えてしまったのだと不安に思っている者はいない。

 ドンッ!ドン!

 無粋にも、突如頭上から響いた静寂を打ち破るような爆破音に研究員たちは顔を上げる。

『良いですか。御前たちは一切の抵抗をせず、彼等の指示に従いなさい。そうすれば手荒な真似はしないはずです。――ですが、万一此処で眠る者たちの尊厳を踏みにじる愚行に出たときは、武力行使を認めます』

 所長の最後の指示により警備システムを全て停止してあるとはいえ随分と早いお出ましだと、無数の足音に耳を澄ませながら研究員たちは思った。

 爆破音からおよそ三分、地下二階の研究区画にある花葬室の扉が乱暴に開け放たれたと同時に、漆黒の制服を纏った国の警察機関、トィテラリィの捜査官たちが室内へ突入するも、そんな彼等には見向きもせず一人の女を囲うその異様とも思える光景に一瞬動きが止まる。

 カプセルの中で眠っている彼女は美しく、神聖なものであるかのように何処か神々しく、誰かが息を呑んだ音が微かに響いた。

 研究員の一人が口を開く。

「我々は、恩人と最後の語らいをしているのです。貴方がたに人の心があるのならもう暫しお待ちを。その後でしたら大人しく指示に従いましょう」

「な、何を馬鹿なことを……! 貴様等のやってきたことは、倫理に反しているんだぞ!」

「倫理。そうですね、患者とは事前に契約書を交わしているとはいえ、研究の為に彼等を利用していましたから、否定はしません。綺麗事を言うつもりもない。ですが、だからと云って我々の恩人、そしてこのノーチェに眠る全ての者の安寧を第三者が壊して、暴き、騒ぎ立てていい理由にもなりません」

 毅然とした態度を崩さない研究員たちから伝わる気迫に気圧され、堪らず口籠る捜査官。

 武装をしていない非力な研究員に一体何が出来るというのか。

 頭ではそう思っていても、一歩を踏み出すのが躊躇われた。

 そんな自身の部下たちを後方で黙したまま見ていた灰が混じる黒髪の老紳士は、靴音だけを響かせて前へ進み、研究員たちに目もくれず彼女の傍まで歩むと眦を緩める。

 老紳士が何を思っているのか、この場にいる誰にも解らない。

 だが彼の表情を見た研究員たちは驚き、

「この方は、私の恩人でもある」

 一言、誰にともなく呟いた老紳士は黙祷を捧げ、捜査官たちは取り押さえるチャンスを逃してしまうのではと互いに顔を見合わせるも、軈て老紳士に倣うようにその場で双眸を伏せた。

 一分ほどの黙祷が終わり、研究員たちはカプセルの蓋を閉じてコールドスリープルームへ彼女を運び、装置を起動させる。

 それから全ての研究員は両手を上げて抵抗する意思がないことを示したが、決して降伏の意ではないと理解している老紳士は部下に向かって「手荒な真似はしないように」とだけ命じ、一人その場を後にした。


 隠密行動と云うのは夜の闇が深まる頃に行われるもので、今回の任務も例に漏れず夜更けに開始された。

 門の外まで出て来た老紳士は直に明ける空を仰ぎ、深く息を吸って冬の澄んだ空気で肺を満たすと、哀愁の念も吐き出すように細く長く、息を吐いた。

「別れはいつだって悲しいものだが、貴女との別れともなれば尚の事悲しいな」

 懐に仕舞いこんでいた所長からの手紙を取り出して、深青の瞳を細める。

 一ヵ月前、他の組織によってノーチェが完全制圧される前に、平和的にノーチェの研究員たちを保護してほしいとの要請を旧知の仲である所長から受けていた老紳士は、研究員たちや地下街の住人たちを纏めて面倒を見れるよう今日まで準備を進めていた。

 花葬された者たちは後日、丁重に埋葬する予定だ。

「ノーチェは、本日をもって閉鎖される」

 ────お疲れ様でした。おやすみなさい。

 物語のように、都合よく故人がその声に応えることはない。

 それでいいと老紳士は微かに皺の寄った頬を緩め、一等輝く星へ向けて最敬礼した。

 ノーチェの所長ではなく、幼い頃に自身を掬い上げてくれた師へ思いを馳せて。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幻想終末譚 霧谷 朱薇 @night_dey_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ