嘗て、私は■だった


 星屑を飲む。

 目蓋を下ろす。

 どうなっても、恐らくこれがラストチャンスだろう。

 彼の報告を聞けなかったのは残念だが、そうなったと云うことは目的が一つ果たせたことを意味する。

 だから、正直なところ安堵していた。

 次は私の番だ。

 ────彼等が来る前に、最後の実験を始めよう。



          ◇◆



 創世記よりも更に前の時代、ソレは宇宙ソラの星だった。

 善悪の概念はなく、何者かの被造物も無く、ただ一柱の神だけが広大な宇宙に在る虚無の時代。

 何よりも旧い星々は頭上で、或いは傍らで静かに瞬いているだけだった。

 ソレ等には自我がない。

 意思はない。

 無機物と何ら変わらず、生物とは言い難い……然し確かに生きているモノたち。

 その中で神の寵愛を一身に受け、“希望”と云う概念を、そして自我を得た星が誕生した。


 創世の時代へ移り変わる頃、ソレは叡智を司る蛇へと姿を変えて神の庭――楽園エデンに身を置くことになったが、神の被造物に智を与えたことで怒りを買い、地上に堕とされた。

 その際、ソレは二つに分裂し、その半身である私は全てを記憶したまま地上を彷徨うことになる。

 それは、永遠とも思える気の遠くなるような時間だった。

 ヒトの器でありながら、あらゆる手段を用いて自死を試みるも全て失敗に終わり、不変であることに疲弊し、気が狂うことすら出来ずに人の仔等が繁栄し、文明を築き、歴史を紡いでいくサマを傍らで眺めていた。

 そんな中で、どの時代に於いても不治の病、奇病の類が人の仔等を苦しめていることに気付いたが、私には何も出来ないし、何かをするつもりもなかった。


 あるとき、ある場所で、巫女に祀り上げられていた私は雨乞いの贄として惨殺された。

 体外に流れた血液は小さな星の形に凝固し零れ落ちる妙な体質であるが故に、肉体が損傷する度にソレは辺りに散っている。

 このときもそうだったのだろう。

 全てが終わり、肉体が元の形に再生し終えた頃、小さな星を無心で貪る瘦せこけた幼子が傍らに居るのを横目に捉えた。

 恐らくもう長くないと一目で解ったが、だからと云って何か出来る訳でもなく、ただその幼子が此方に気付くのを待った。

 何十分経ったか、貪り終えたらしい幼子は死体だと思っていたモノが自身を見つめていることに漸く気付いて硬直してしまった。

 嗚呼、きっと怯えて泣くな。

 瞬時に数秒先を読んだ私は、然し何もせずに次の反応を待ってみると、意外なことに幼子は「ありがとう」と礼を口にしたのだった。

 聞けば、流行病で親を亡くし、幼子も当時の医学では治せない病を患っているために誰にも世話されず一人で生きていたが、日に日に身体が痛み、空腹にも飢え、食料を求めて彷徨っていたところ偶然私の元に辿り着いたらしい。

 贄を捧げる為に岩を削って造られた台で眠る私の周りには小さな星が瞬いていて、それが不思議で、美味しそうに思えたのだとか。

 空腹に堪え兼ねて口にしてみると果実のように甘く、元気になった気がした、とも。

 俄かに信じられない話だが、血液が星型に凝固する時点で既に異質なのだ、そう云うこともあるのかもしれないと直ぐに納得した。

 それから程なくして幼子は衰弱死したが、その表情はとても穏やかで、今でもはっきりとその光景を思い出せるほど私にとっては鮮烈な光景だった。



          ◇◆



 それから数百年、否、数千年だろうか。

 異形狩りと称して無抵抗な者を襲う人間から不意打ちを食らった私は、意識が途切れる直前、あの幼子のことを思い出して星を一つ口に含んでみた。

 すると、不思議なことに全身の痛みが和らいだ気がしたのだ。

 気がしただけで感覚が麻痺していただけなのかもしれないが。

 何にせよ、問題はその後に起きた。


 ひやりと心地良い冷気に目を覚ました私は、眼前の光景に夢でも見ているのか、それともついに不変の終わりかと瞳を瞬かせる。

 雪か氷で造られたと思しき白亜の城、静かに浮かぶ琥珀糖のような三日月、空間を覆う蒼い夜。

 バルコニーで菓子を食む、ほんの少し身体が成長した件の幼子。

 私に気付いた彼女は花が綻ぶように笑んで、傍に駆け寄って来た。

「お姉さん、また逢えて嬉しい!」

「御前は……成る程、これは夢か。それでも、こうして逢えたのは私も嬉しい」

「お姉さんも嬉しい? よかったぁ。ねぇねぇ、甘いものはすき? あっちで一緒に食べよう?」

 彼女に手を引かれるまま席についた私は、まるで初めから私が来ることを知っていたかのように、湯気の立つティーカップが用意されていることには特段驚きもせず一瞥し、一口含む。

 香りも味も可笑しな所はない、ただの紅茶だ。

「お城はね、お砂糖で出来てるの。だからとっても甘いんだよ」

 突拍子もないことを言う幼子に耳を傾ける。

「それからね、此処はずっと冬で夜なの」

「冬で、夜」

「うん。お姉さんが生まれた日と同じだね」

「そうだっただろうか」

「そうだったよ。……ねぇ、お姉さん。ずっと此処にいてよ。起きてもまた、死ねずに独りぼっちで生きなきゃいけないんだよ。そんなの辛いもん」

「……」

 辛いと、感じたことはなかった。

 私を物理的に傷付けた人の仔等を、憎んだりもしていない。

 ただ、今はそういう時代なのだと受け流して、彼等を哀れむこともなく在るがままを容認し、飽くまでも人ならざる者と云う立ち位置で人の世を隣で眺めているだけ。

 ある種、開き直った私の在り方を、彼女は良しとしていないのかもしれない。

「此処に居ても、何も変わらない」

 此処は深い深い私の深層に眠る心象を具現化した空間であり、今は未だ一時的な休息地にしかならないと本能的に解っている。

 そして彼女は私の記憶を元に投影された、泡沫の存在。

 彼女自身が私の前に居る訳ではないのだ。

 だから、どれだけ此処に引き籠ったとしてもいずれは目を覚ますし、状況は何も変わらない。

 私の思考を察してか、彼女は静かに微笑みかけてくるだけで続きを語ることはなかった。

 

「そんなこともありましたね」

 夜空、と云うよりは宇宙そのものであるような空と、それを映す仄昏い水面の上。

 宇宙空間とは異なる、私の最果て。

 ふわふわと浮遊するように漂う鏡には夜と冬、崩れかけの白亜の城――過去何度か訪れた最果て、過去の私が映っている。

 所謂走馬灯と云うヤツだろうか。

 断片的に過去を映す鏡はさっさと次を映し始め、私はそれを他人のアルバムでも見るような気軽さで眺めている。



          ◇◆



 人の仔等に混じってある時は医学を、ある時は科学を学び、様々な分野に手を伸ばし研究に励むようになった私は、永い時間を経て得た人の世の智と莫大な資産をもってしても矢張奇病をその時代の中で治すことは叶わなかった。

 だけど、私の妙な体質を利用することで彼等に穏やかな終末を与えることは可能なのではないかと云う思考にあるとき至ったのである。

 私は、何処に在っても“希望”なのだ。

 それに、一時期は世界中を探して回ったもののついぞ見つからなかった半身が、こんな噂を聞きつけて訪ねてくれるかもしれない。

 ────不死を殺す研究機関があるらしい、とか。

 私の為でもあるこの研究を本格的に行うことにした。

 そうして生まれたのが、終末永久保障機関ノーチェだ。


 ノーチェを設立して百年ほど経っても半身に巡り逢えずにいたが、それとは別に、永く生きていれば大切な者を得ることもあった。

 中でも、私の心象を大きく変えるほどの影響力を持っていた■■■■は、件の幼子とは違い死んだはずの本人が私の前に顕れたのだ。

 其処は、秋の森の黄昏を切り取った黄金の庭。

 白っぽい半透明の小さなクラゲが浮遊し、辺りは仄かに蜂蜜のような甘い香りが漂っている、幻想的で暖かな二つ目の最果て。

 クラゲを指先でつついてみると、氷で出来ているのか冷たくて、ほんの少し柔らかい。

 子供が雪を見て食べられるだろうかと考えるように、氷製ならば問題あるまいと私は一匹のクラゲを口に含んでみた。

 シャリ、シャリ。

 冷たさのあとに綿飴を思わせる優しい甘さが口内に広がり、直ぐに溶けてなくなってしまった。

「何してるんだい、そんなところで」

 クラゲアイスの余韻に浸りながら、じっともう一匹を見つめていると、背後から■■■■に声を掛けられて振り返る。

「試食していました」

「試食って、そのクラゲを?」

「そう。クラゲアイスです、貴方も食べて見ますか」

「ふふ、それは君のモノなんだから君が食べればいい。身体に害はないはずだから」

 そう言って手を差し出して来た彼は、私が担当する患者の一人であり、恐らくは恋人と云うものでもあった。

 大切であったことは間違いないが、何故か彼の名前が思い出せない。

 それは今回も私の記憶を元に投影された者だからなのだろうとこの時は考えていたが、どうにも彼の気配が、彼そのものであるかのようで私は内心首を傾げつつも促されるまま椅子に腰を下ろした。

 様々な嗜好品を試した中で一番気に入ったのが紅茶だからなのか、此処でも私のティーカップが用意されていることに気付くも、もう驚きはしない。

 冷めないうちにとティーカップに手を伸ばして口に含むと、正面に座った彼を見遣った。

 私の視線に気付いた彼は嬉しそうに笑いかけてくる。

「ねぇ、俺が居なくなってからの君のこと、教えて?」

「……。相変わらず、半身は見付かりません。でも、研究は少し進みました」

「半身くんが見付からないのは残念だけど、研究が進んだのは良かったじゃないか。それから?」

「高齢なんだから甘い物を主食にするのはやめろと、研究員たちに言われました。確かに実年齢的には彼等よりも歳上、高齢と表現されても致し方ありませんが、そもそも私は人間ではないと解っているのでしょうか」

「ふふ。彼等にとって君はもう一人の母親なんじゃ? だから、人間でないから平気だと解っていても、つい気になって身体の心配をしてしまうんじゃないかな」

「そういうものですか」

「多分ね」

 この後も他愛ない話を幾つかしたけれど、またこのまま次へ向かうことは出来ないと気付いていた私は現実へ帰るために席を立った。

「もう、行くのかい」

「ええ。のんびりしていられませんから」

「……置いて行かないでと言いたいけれど、君の枷になりたくはない。だからどうか、君が終わりを迎えるそのときには、俺のことを思い出してくれないか」

 それだけでいいと、彼は今にも泣き出しそうな顔で、それでも笑った。

 彼の生前、決して楽しいことばかりではなかったけれど、彼を嫌いになったことも、存在自体を忘れたこともなかったのだ。

 きっと、私の物語に幕が下ろされるとき、彼のことも思い出すだろう。

 私は何も告げず、僅かに口許を緩めることで彼の願いに応え、現実へ帰った。



          ◇◆



 黄金の森で一人佇んだまま霧散するように消えていく彼と、それを眺めている私を映す鏡は、黄金の森から目覚めて数ヵ月後にノーチェを訪れた、後に地下街最高責任者にして“海の魔女”と呼ばれることになる半身を映し始めた。

 出逢った当初は半身にも記憶がある前提で話し掛けていたが、自身の名すら解らないと言った半身の表情を見たとき、痛みに似た不可思議な感覚を覚えた。

 今でもあの感覚を人が何と形容するのかは解らないが、二度と味わいたくないのは確かだ。

 そういえば、半身の後を追ってコールドスリープしたあの青年は無事に最果てで再会出来ただろうか。

 鏡は私の記憶をなぞるだけで、私が知りたいことは映さない。

 それは少々不満ではあるが、青年の表情を見るに恐らくは彼方で再会出来たのだろうと思うことにした。

 だけど、半身を追うことが出来た青年を、私は羨ましく思う。

 半身を最果てへ送り出したとき、今回は戻って来ない予感がしていた。

 長い永い不変の物語に幕が下りることは、私たちにとっては何よりも幸福なこと。

 半身が矢張戻って来なかったとき、先にも述べた通り安堵した、――それは間違いないが、それと同時に寂寥感せきりょうかんと云うものを覚えたのも事実。

 当然だ、創世の時代以降私たちは唯一無二の星である筈なのに、永い間共にいることが出来なかったのだから。

「でも、だからこそ。ノーチェであの子と共に在れた日々は美しく、そして幸せだった。たとえあの子が私を知らなくても、私が全て憶えていたから問題はなかった」

 問題はないが、此処まで頑張った我儘を一つ口にするなら、所長と云う立場上、共に終末を迎えることが叶わずとも最後の瞬間は私が見送りたかった。

 まぁ、致し方ないのだが。

 諦めたように浅く息を吐いたとき、

「…………?」

 私の願いに反応するように、突如鏡は見覚えのない一枚の絵を映し出した。

 タイトルは、『宵の明星』。

「────、そう。貴方の最後は、満ち足りたものだったのですね」

 燃えるような赤い空を背に堕ちていく一つの星と、二人の人の仔等。

 彼等の表情は一頻り笑ったあとのような清々しいもので、きっと私ではこうはならなかっただろう。

 彼等が半身の傍に居てくれて良かったのかもしれない。

「それにしても、一体いつ何処で描いたのやら」

 絵に見覚えはないものの、この色使いは間違いなくノワールのもの。

 未来視の能力を持つ養い子は空想とは別に、視たモノもよく描いていた。

 恐らく、鏡に映るこの絵はノワールが視た半身の最後なのだろう。

 名残惜しいが、鏡の表面には波紋が広がり、私を描いた絵に切り替わろうとしている。

 タイトルは『夜明け』。

 続いて『月』、『魔法』。

 どれも私が患者に呼ばれていた名と同じ言葉だ。

 ノワールの未来視の範囲は大体把握していたが、改めてその精度の高さを知った私はただただ感心し、鏡越しに絵をなぞる。

 そうしている間にも絵は切り替わり、『冬、或いは明けの明星』と左端に小さく浮かび上がってきた、刹那。

 微かに、氷に亀裂が入りひび割れるような音が、空間に響いた。

 よく見ると鏡に薄っすらとひびが入っている。

 そろそろ、私の旅も終わりが近いのかもしれない。

 ひびの入った鏡には、コールドスリープ専用のカプセルに横たわって眠る私と、冬に時々見かける白く美しい花が詰められている絵が映し出されている。

 これではまるで御伽噺に出てくる何処ぞの姫のようだ。

「差し詰め、研究員たちは姫を囲う小人ですね」

 誰も居ない空間だからなのか、ふふ、と漏れた声が存外によく響く。

 だがそれを掻き消すように鏡は大きな音を立てて粉々に割れ、役目を終えたのか水面に落ちてしまった。

 それを数秒見下ろしたあと、白い光に灼かれている地平線を緩慢と振り返っては歩き始める。

 今頃、研究所ではあの絵の通りになっているだろう。

「行きますか」

 最後の実験は成功し、私の物語にも幕が下りる。

 空に還ることも、これまでのように現実へ半強制的に引き戻されることもない。

 漸く終わるのだ。


 

 嗚呼、本当に永い旅だった────。

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