最果て:嘗て、俺は■だった


 何の面白味も無い、白一色の部屋。或いは、空間。

 中央には陶器のように滑らかな質感の白いマネキンが無造作に転がり、重なり、積まれて出来た山――その頂にポツンとあるのは玉座ではなく、簡素な木製と思しき白い椅子。

 目を覚ました俺は見慣れたマネキンの山を登ってその椅子に腰掛けると、白い空間を眺めて無感情に呟く。

「また帰って来たのか、此処に」

 壁に掛けられた大きさの違う幾つかの額縁に何気なく視線を向けると、飾られた絵画の一つに目が留まった。

 それは、藍玉の色をした鱗を持つ人魚が水中で此方に向かって何か話しかけているような姿を描いているようだった。

 羽織っていた白衣を床に落としてネクタイを緩めながら、いつだったか、俺が担当していた“人魚”のことを不意に思い出す。

「馬鹿だなァ。呼べば、好きな所に連れて行ってやったのに。御前にとっての俺は、望みを叶える魔女であり、自由に好きな所へ連れて行く足だったんだから」

 なんて、こんな所でぼやいたって彼女に届くことはないんだが。

 元々、此処にある絵画は全て白く、何も描かれていなかった。

 一度目に此処へ辿り着き、白い絵画たちを見た時はこんなものを飾ることになんの意味があるのだろうと首を傾げたものだが、こうして何かしら描かれるようになってからは恐らく遺影か、思い出を写した写真、或いは標本の代わりなのだろうと解釈している。

 嗚呼ホラ、絵画が一つ増えてる────。


 ノーチェで迎えた一度目の終末は、今と変わらず白い部屋、白い空間だった。

 簡素な白い椅子がマネキンの山の上、壁には無数の白い絵画。

 そんなモノしかない、物寂しい心象世界。

 これからはずっと此処に独りきりで居るのかと溜め息を吐いたが、それから体感では数時間ほどで俺は目を覚まし、最果てと呼ばれる白い心象世界から現実へ帰ってきてしまった。

 死に損なったかと直ぐに理解した俺とは対照的に、主治医として終末を確り見届けることが出来たと安堵していたであろう所長は、俺が起き上がったことに心底驚いて何が起きているのかと絶句していたか。

『心肺は停止した筈なのですが。……ふむ。正常に機能していますね』

『だから言っただろ。何をしても死ねないんだって』

『それは解っています。だけど、まさか強制的に最果てへ送ってもダメだとは……いえ、全く想定していなかった訳ではありません。何せ貴方の命は不変ですからね』

 不変、詰まり不老不死であることが俺を蝕む奇病、呪いだ。

『安心してください。私が貴方の主治医として、そして姉として、責任を持って必ず貴方の終末を見届けます』

『気持ちは有難いんだが、姉ってなんだ』

『姉は姉です。シスター』

『俺に兄弟はいないんだが?』

『私がいます』

 初めて逢った時から少し、いや大分変わってる所長だとは思っていたが、こんな施設を創設した奴だ。

 世間一般の目から見た“まとも”とは逸脱した人種であることに今更驚きはしない。

 だけど、まさか自称姉を名乗って来るとは思いもしなかった俺の頭上には疑問符が浮かぶばかりだった。

 その後、ただ患者として過ごすのは退屈だと告げると、所長はだったら研究員として働いてみるかと提案してきた。

 ノーチェでは全ての患者の主治医を所長が務めているが、それとは別にもう一人、研究員が担当につく。

 俺にも担当はいた。

 二つ返事で提案に乗ると真顔ではあったが声音や纏う空気が柔らかく、喜んでいることが解った。

 それから二度目、三度目、四度目……終末を繰り返しても俺の心象世界は何も変わらず、半日ほどの時間が経過するとまた現実に意識が引っ張られて目を覚ます。

 まぁそうなるよな、と目覚めて直ぐに業務に戻った俺は、一日ゆっくりしていろと研究員たちに怒られるのが此処からルーティン化することになるんだが、それはまた別の話。

 程なくして、俺も特定の患者を担当することになる。

 それが“人魚”だった。



          ◆◆



 時刻を示す時計はなく、日常生活に必要なものも見当たらず、絵画の他に彩を与えるモノもない。

 増えた絵画には、太陽に向かって背伸びする向日葵のような、明るい笑顔を此方に向けている青年が描かれていた。

「色々な人間を見てきたが、後にも先にも、あんな笑い方する奴は御前だけかもな」

 自然と口許が緩むのは、愛すべきあのヒトの仔には特に思い入れがあるからなのかもしれない。

 それだけに、此処へ辿り着く前「忘れないで」と泣きながら訴えて来たことを思い出して、今頃どうしているのか少し気に掛かった。

「そろそろ泣き止んでいると良いんだが」

 あんなに泣いている彼奴を見るのは初めてで、一瞬逝くのを止めようかと踏みとどまりかけたほどだが、今回はある実験を兼ねている。

 本来、人間は他人の深層に介入することは出来ないが、奇病を患った者とその家族や大切な誰かと最果てを共有出来るようになることがノーチェの最終目標だと聞いている。

 前回の終末で俺と共有実験に参加し、俺の最果てに送られた患者──リベルタが今回は未だ此処に居るのか、それとももう次の生へ踏み出したのかを確かめなくてはならない。

「さて、そろそろ探しに行くか」

 立ち上がって大きく伸びをしたとき、背後でマネキンが崩れる、或いは踏む音が近付いてきた。

 音の正体を確かめようと緩慢に視線を後方へ向けた、刹那。

「……は?」

 一陣の風が吹いたかと思うと空間の壁、天井は無くなり、代わりに何処までも続く蒼空と、足下は空を映した水面が広がった。

 何だ、この面白現象は。

 今までこんな事は一度も起きなかったって云うのに、何十回と繰り返しても尚大きな変化はなかった俺の心象世界が、一瞬にして此奴の色に塗り潰されちまった。

 これほどまでに愉快なことが、果たしてこの世に有るのだろうか。

「ハハハ。おいおい……こんなところまで俺を追い掛けて来るなんて、どれだけ俺のこと好きなんだよ、シルビィ」

 挨拶代わり、冗談めかしに声を掛けると、先程まで俺が心配していた青年──シルビィは得意気な顔で口を開いた。

「御前が思ってる以上に御前の事が好きなんだからな。簡単に僕を振り切って一人で逝けると思うなよ」

 これはある種、プロポーズでは?なんて言葉は飲み込んで、愉快とばかりに喉を鳴らすと「なんで笑うんだよ!」と怒り始めるシルビィ。

 思いっきり撫で回してやると、今度は猫のようにもっと撫でろとばかりに頭を押し付けて来る。

 どうやら俺が生み出したイマジナリーではなく、シルビィ本人らしい。

 然しそうなると、シルビィは今仮死状態で此処に来ているはずだ。

「別に逃げるつもりはないんだが……それよりもだ。御前は早く夢から醒めて、現実に帰りな。こんなところに長く留まると帰れなくなるぜ」

 此処は、終末を迎えた者が辿り着く最果ての地。

 実験の為ではあるが一応は望んで此処へ来た俺とは違い、未だ余命が半年は残されていたシルビィが長時間仮死状態に在るのはマズいだろう。

 だと云うのにシルビィは「嫌だ、僕も一緒に御前と逝く」と言い出す。

「駄々っ子かよ。俺は多分今回も逝けない、御前さえ目を覚ませばアッチで逢えるから」

「僕が目覚める保証も、御前がまたダメだって確定してる訳でもないだろ?だから、御前が未だ逝く気ないなら此処で僕と一緒に遊ぼうよ。まだまだ遊び足りないし、此処まで追い掛けさせた責任取ってよね」

「……偶にすげぇ殺し文句で刺してくるよな、御前」

 年齢の割に子供っぽいところがあるシルビィだが、いや、そういう気質だからこそそんな事を言われると中々クるものがある。

 仕方ないとばかりに溜め息を吐くと水面上に腰を下ろした。

「椅子が無くなっちまったから此処に座るしか無さそうだな。ほら、突っ立ってないで御前も座ったら?」

 もし此奴を現実へ帰せなくなったときは、責任を持って次の生へ送り出せばいい。

 

 初めて逢ったとき、シルビィは死ぬ前に人生で一番楽しかったと言える思い出が欲しいと言い出した。

 だから俺は、自称姉を名乗る所長や研究者たちにその話と併せてある計画の内容も話しておき、それから一ヵ月後にシルビィを形だけ外の世界へ連れ出した。

 ノーチェの存在が世間に明るみになることを防ぐため、原則として如何なる理由があろうとも患者の外出許可は下りないようになっている。

 かと云って、ヒトはダメだと言われれば多少の無理をしてでも禁を犯したがる生き物だ。

 だから俺がノーチェに来て半年ほどが経った頃、会議で敷地内に街を創ってしまってはどうかと提案し、数年かけてノーチェが管理する街を地下に創り上げた。

 今では研究員たちやごく一部の患者の家族が主に其処で生活しているが、担当を受け持っている研究員に関しては患者の容態が急変した際に直ぐ駆け付けられるようノーチェの研究区画内に居る。

 そんな訳で、真夜中にシルビィを起こした俺は手始めに、一芝居打った研究者たちに二人で追われるスリルを体験させてからその街へ連れて行き、一週間ほど遊んでから地上の施設内に戻った。

「聞いていいのか解らないんだけどさ。基本的に外出って出来ないようになってるじゃん?」

「まぁそうだな。国からしたら違法行為を行っている訳だし、そんな施設の存在が明らかになれば閉鎖に追い込まれるのは間違いない。だから御前等患者を守るって意味でも外出は出来ない」

「うん、だから前に一緒に行ったあの街も、本当はノーチェの敷地の中にある創られた場所なんじゃないかなって思うんだけど、どうなの?」

「その認識で間違いないが、街ってのはヒトが創るものだろ。その過程が違うってだけだし、敷地の中にあるとしても――嗚呼、まぁ正確にはアレは地下にあるんだが、街は街だ。そうだろう?」

「ん、そうだね。別にあそこが偽物なんだって思った訳じゃなくて、ただ純粋に気になっただけなんだ。あ、気になるといえばさ。店員さんとかにカードを見せてただろ?アレって所謂ブラックカードとか、そういうクレジットカードなの?でも現金で全部支払いはしてたよね?てことはポイントカード?」

 カード、というのは恐らく証明書の事だろう。

 外部からの侵入者が紛れ込まないために街で暮らしている者は緑のカード、買い出し等で街を出入りする者は赤いカード、そして街の責任者、管理者の二名のみが所有する黒いカードを携帯しなければならない。

 俺は一応責任者だから、携帯していたのは黒だった。

「嗚呼、アレな。ただのポイントカード」

「やっぱり?僕、カードの管理が面倒で全然そういうのは作らなかったなぁ」

 あの手のカードはどんどん増えていき日頃からきちんと管理していないと必要な時に必要なカードが出せなくなったりする。

 不変であるが故に様々な時代を生きてきたが、近頃は数十年、数百年前に比べ確実に多くの物事が便利になっている反面、また別の問題が出てきていたちごっこを見せられている気分になる。

 まぁ、俺がノーチェで携帯しているのは証明書の一枚のみでポイントカードの類いは一切持っていないんだが、そのことは黙っている事にした。



          ◆◆



「この水面に果てはあると思うか?」

 何処までも続く、蒼空とそれを映す水面。

 此処が最果てであるのなら、幾ら歩いたところで延々とこの景色が続くだけなのだろうが、先程自身が幾度か見て来た余り変化のない白が蒼に塗り潰されたばかりだ。

 もしかしたら、未だ何かしらの変化は望めるのではないだろうか。

 隣に座っていたシルビィは首を傾げる。

「どうだろう。僕此処に来るの初めてだから解らないや。試しにちょっと歩いてみる?」

「そうだな。とりあえず行ってみるか」

 そうして、俺たちは最果ての果てを目指して歩き始めたが、体感にして十五分ほどで意外にも其処に辿り着いた。

「これは…滝?」

「滝というか、崖だなァこれは」

 切り落とされたように水面から直角に下る崖、その断面は水に覆われていて解りにくいが凹凸は見られず、空の色なのか薄っすら蒼い。

 何となく、そう、直感的にこれが何なのかを悟った。

「うわぁ、底が見えない。現実だと落ちたらマズいけど、此処だとどうなるんだろう?」

 崖の下を覗き込むシルビィを一瞥すると、ほんの少し寂しさが過るも口端上げて、

「落ちてみれば解るさ」

 そっと、背を押した。

「え、」

「じゃあな。次は俺がいなくても面白可笑しく生きろよ」

 驚愕の表情で俺を見遣ったシルビィは、次の瞬間「うわあああああああ」とバンジージャンプで不意打ちを食らったように声を上げながら落ちていった。

 そんな様子を一頻り笑って見送ると、誰にともなく零す。

「……、慣れちゃいるが独りになる瞬間は寂しいもんだな」

 不変であるからこそ感じるもの、だけどヒトの仔に同じ不変であったならとは思ったことはない。

 見送る側の気持ちは、それなりに解っているつもりだからだ。

「ま、あと二百年くらいは生きててくれねぇかな、なんて思ったりはするんだが」

 そんなエゴはノーチェの研究者である俺が口にするべきではないだろう。

 深く息を吸って、ゆっくり吐き出して。

 そろそろ彼奴を探さなきゃならないんだが、先は行き止まりになっている。

 此処は引き返すべきかと思案していると背後に懐かしい気配を感じて振り返った瞬間、蒼から燃えるような赤に空の色が変わった。

『俺さァ、夜明けが嫌いなんだよ。だけど黄昏は真逆、好ましく思う』

『嗚呼、凄く御前らしいな』

『だろう? だから黄昏時が一番調子がいい』

『ふふ、そっか。御前が人間じゃないならさ。きっと、宵の明星だ』

 ────成る程。

 生前、リベルタにそう言われた記憶があるが、空を焼き尽くさんとするこの赤は、そのときの会話が反映されているのかもしれない。

 ぼんやりと、そんなことを思っているとリベルタはどうしたの?というように不思議そうな表情をしながら「久し振り」と声を掛けて来た。

「久し振りだな、ベル。未だこんな所に居たのかよ」

「うん、待ってたからね」

 最果てと云うのは、本人が望めば半永久的に其処に留まることが出来るのではないか。

 度々会議で上がった説だが、この説は強ち間違いではないのかもしれないと彼女の言葉を聞いて思う。

 だが、留まれるのは自身の心象世界に限定されるものと考えられていたし、俺もそうだろうと思っていただけに、まさか彼女が望んで俺の中に留まり続けていたらしいことには驚いた。

「マジで?」

「マジで。友達を待つのは当然じゃない?」

 この場合、友人関係であっても当然であるとは言い切れない気がするのは俺だけだろうか。

「はぁ、そういうもんか?」

「世間一般ではどうか知らないけど、私の中ではそういうものだよ。所で、さっきの子はあれで良かったの?御前を追い掛けて此処まで来たんでしょ?」

「何だ、見てたのか。彼奴が次を望んでいたんだ、だけどそれを踏みとどまる理由が俺であるなら、俺が背を押してやるしかないだろ」

「それはそうなんだろうけどさ。いきなり落とすのはどうかと思うよ。せめて挨拶くらいさせてあげれば良いのに」

「そんなことされたら泣くだろ、俺が」

 冗談めかしに返すと、リベルタへ手を差し出し、デートの誘いでもするように「一緒に堕ちてみようぜ」と口端を上げた。

 彼女の背後には、先程シルビィが落ちた崖と同じものがある。

 恐らく、俺が現実に戻った後にでもひっそりと逝くつもりだったのだろう。

 だけど俺を此処で待っていた彼女を、独りにするつもりはない。

 俺の思考を読んだのか、リベルタは照れているのか、困っているのか、はたまた呆れているかのような表情で思案した後、

「いいよ。御前となら何処までも」

 そうして、俺の手を取った彼女にそのまま手繰られて一歩、崖の向こうへ踏み出した瞬間。

「……ッ、は?」

 タックルをかまされたように、背に強い衝撃を受けた。

「僕だけ仲間外れにするなよー!」

「なんで御前が、つかいきなりタックルするんじゃねぇよシルビィ」

 意地でも離れないという強い意思で背に抱き着いているシルビィの気配には思わず笑ってしまいながら、浅く息吐く。

 あーあ、リベルタを見送った後に戻るつもりだったのに、今回は所長に報告出来そうにないな、これは。

 何となくだが、そんな気がする。

 まぁ報告よりも俺の不変が此処で終わることに喜びそうだが。

 ただ、本人は何も言わなかったが、俺と同族であろうあの自称姉を残してしまうことは少しばかり心配に思う。

(ノーチェは、彼奴の為のものだろうしな。だからこそ報告出来れば良かったんだが)

 数千年という永い時間患者を見送ってきたであろう彼女にも、穏やかな終末が訪れることを祈った。

 急に黙り込んだ俺を見て何かを察したらしいシルビィは、明るい声音で呟いた。

「御前って星みたいだよね」

「星?」

「そう、星。髪がきらきらしてるから、余計にそう思う」

 同意するように頷いたリベルタは、握っていた手に力を込めた。

「前に言ってたよね。自分はヒトじゃないのかもしれないって。――御前がヒトでないというのなら、きっと、宵の明星だ」

 黄昏の空を堕ちていく星。

 それも悪くないかもしれないと、俺はそっと目を閉じた。


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