第44話 あの時、出来なかった事
何もないと思っていた真っ暗な空間に、もう一人私がいた。
「忘れてたでしょ。消えたと思ってたんでしょ。美希の事。高校受験で忙しくて。新しい友達が出来て。」
思っていた。でも、実際にはずっと腹の奥底でくすぶっていて、ほのかとの喧嘩で再び大きな火になってしまった。ちゃんと向き合って消火していたら、クビナシになりかける事もなかっただろう。あの子と今でも親友でいられただろう。でも私は、あの時の事に全部蓋をした。私はあの子を傷つけた。そして謝らなかった。それを思い出すと、クロワタに触れた時みたいに、心は重くなり頭は動かなくなる。自分が嫌になって、何もしたくなくなる。それでも、謝ろうとすると、体が重くなる。
「なんで美希に謝らなかったの。」
もう一度、向こうの私が言った。私は口を開いた。声が出た。
「私を否定されたと思ったの。傷ついたんだよって怒らずにいられなかった。」
「でも、同じことをほのかにした。」
「正直に言ったら傷つけると思った。でも、言わなかったせいでほのかは傷ついた。」
それは、ひょっとしたら
「あの時の美希も、同じだったのかもしれない。」
向こうの私は、いつの間にか中学生の時の私になっていた。その顔は、今にも泣きそうだった。
「きっと美希に、私を傷つけるつもりなんてなかった。なのに、私がひどい事を言っちゃった。だから美希も傷ついて、私に言い返してきたんだ。」
相手に罵詈雑言をぶつけているはずなのに、自分の方が深く傷つく。それに怒ってまた相手にぶつける。きっかけは、傍から見ればしょうもないひがみ。でも気づくころには大きな溝になっていた。
「なんであの時私動かなかったんだろう?なんで意地張っちゃったんだろう?そのせいで、美希はずっと自分を責めてたんだ。私が忘れている間も、ずっとずっと!」
私は美希に会いたい!謝らなくちゃいけない!どれだけ罵倒されてもいい、絶縁されたっていい!でも、美希が自分を責めるだけのは止めさせないといけない!
「美希が死ぬ必要なんてない!悪いのは私なの!お願いだから、死なないで!」
私と、中学生の私はただただ赤子の様に泣いていた。涙を流し、鼻水も垂らして顔をぐちゃぐちゃにしながら泣き叫んだ。クロワタはいつの間にか私から剥がれて落ち、そこからぼんやりと光るものが顔を覗かせていた。
「……し、ろいと?」
クロワタを割くようにして現れたのはシロイトだった。浄化されたのではなく、明らかにクロワタの中から出てきている。軽く握ると、私と美希がお互いの絵を見ながら笑っているのが見える。交換ノートで、無理難題をお互い出し合った時だ。
「ノート……。」
私は交換ノートを手探りで引っ張り出し、シロイトの光で見る。美希との実力差は確かに今でも少し気になる。でも、やっぱり自分の絵を見せた時の、美希の反応は楽しみだった。何時も美希は、私の絵の好きな所を上げてくれた。その上で、必ずこう言ったのだ。
「……大丈夫、のぞなら描ける。楽しみにしてる。」
私はその言葉を繰り返した。私は美希の事を思い出すと、クロワタを出してしまうと思っていた。実際、自分の一番醜い部分が浮き彫りになる思い出でもある。けど、同時に私の事を一番受け止めてくれた人との大切な思い出でもあったのだ。
「私だって、美希の絵を楽しみにしてたじゃんか。私が美希に会いたいのは、罪悪感からだけじゃない。もう一回、友達になってって言うためだ。」
クロワタが割ける。シロイトが現れる。辺りが明るくなるにつれ、自分のいる場所も良く見えるようになってきた。上を見ると、さっき私が落ちてきた穴が見える。高さはあるが、何とか登れそうだ。両手でへりを掴み、顔を出すと、誰かが倒れていた。
「バリスタさん?!」
私が駆け寄ると、バリスタさんの姿は水面に映っているみたいに揺らいでいた。私がイラストで描いたバリスタさん、ギョクで出会ったバリスタさん、そして美希という三人の姿を行ったり来たりしている。私は何とか抱き起し、結び目を見つけた。
「固い……!」
引っ張ったりちぎったりしてみたが、ちっとも解けない。
「美希!起きて、美希!」
今度は体の方を揺さぶったり、頬を叩いてみた。駄目だ。やっぱりシロイトをどうにかしなきゃ。私は地道にシロイトをちぎり始めた。
―止めて。もう、死なせて。
美希の声がした。体の方では無い。この空間全体から聞こえる。
「美希、いるの!?ごめんね。私のせいで、ずっと自分を責めてたんでしょ!もういい、悪いのは私なの!」
―のぞ、ごめんね。わたし、のぞが怒った理由、やっと分かったよ。
「え……。」
―良かれと思って言った事も、相手を傷つける事があるんだって。わたしももう、絵を描くのが辛いの。惨めなの。自分がどんどん嫌いになってくの。でも、描くのをやめたら、もうわたしには何もない。空っぽの人間になっちゃう。そんなの、生きてちゃだめなんだって―
「チェストーーーー!」
私は思わず、抱いていたバリスタさん、つまり美希の頭を思いきり引っぱたいた。声はしなかったが、一瞬空間に静寂が訪れた。
「美希は空っぽなんかじゃない!私、美希より車上手に描ける人知らない!美希に嫉妬して水彩辞めた美術部員一人知ってる!」
静寂は続く。美希の声はしない。
「……自分が嫌で仕方ないなら、私だけは美希の事大好きでいるから。美希の絵、私、楽しみにしてるから!」
返事はない。だが、私はもうバリスタさんを背負って歩きだした。目いっぱいシロイトを紡いで、空間の壁めがけぶつけた。バリバリ!という似つかわしくないほどの轟音を立て、黒い壁がひび割れ消えていった。
「の、のぞみんー!?」
「良かった、無事だったんだ!」
壁の向こう側には、あの鮮やかな廃村があった。ほのかと先輩が消防車のホースを構えてこちらを見ている。タビとアナクラさんがその後ろにいた。
「希美!背中にいるのって」
「うん。バリスタさん……美希だよ。」
「バリスタ?でも、もうすっかりハヲリが解け始めてるねー?」
アナクラさんの言葉に、私は一度バリスタさんを降ろして確認した。黒い空間に居た時より、結び目が少し緩んでいる。
「さっきはもっときつかったのに。」
「じゃあ、急いで解こう!よいしょ!」
ほのかが描いて出したハサミで結び目を切る。シロイトがたちまちばらけて、下から美希の青白い顔が見えた。手首にはリストカットの痕があり、右手に固く握られていたのは睡眠薬の箱。そして、脚にはまだたくさんのクロワタが纏わりついていた。
「クビナシ化してる可能性があるかも。急いで観測局に!」
先輩が車を描いてくれたので、私は美希を降ろす。
「のぞみんは四月一日ちゃんについてあげて!コー兄、もっと車頑丈な方がいいよ、建物倒れて来るから。」
「え?でもそれって幻覚だよね?」
「それがねー……。」
アナクラさんが言いにくそうにすると、顔がくるりと回転して弟さんの方になった。
「この周囲にあった泥のようなクロワタのせいで、廃屋が脆くなって本当に倒れそうなのです!急いで逃げないと、皆下敷きになってしまいます!」
アナクラさんが言ったそばから後ろの方で家が一つ倒れた。その振動で、隣りの建物もぐらつき、崩れ始める。
「あああいけません!倒壊の連鎖です!」
「出るぞ!皆つかまって!」
先輩がアクセルを踏み込んだ。倒壊に巻き込まれないようにぐんぐんスピードを上げる車。エンジン音と地響きが謎のハーモニーを奏でる。
「~~~こんな夢を、見せるなああーーー!」
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