第43話 廃村を呑みこむ
最後の住民を避難させたところで、私達はアナクラさんと一緒に鮮やかな廃村へ向かった。だが、その道のりは終始驚きっぱなし。運転している私は気が気じゃない。
「か、壁の中通るの?」
「壁に見えてるだけだから大丈夫!アクセル全開で!」
「川を遡上!?」
「そう見えるだけ―!」
とにかく道なき道と言うか、視覚を頼りにしていたら絶対に通らない場所ばかり通ることになった。
「普通の道もあるにはあるけど、こっちの方が近いんだ。」
「そ、そういう事なら―」
「のぞみん、運転代わるよ。顔色マジで悪いから。」
ほのかがそう名乗り出てくれたのがありがたかった。
しばらく進んだところで、アナクラさんがうーんとうなった。
「前に見えてるのが鮮やかな廃村の入り口―のはずだよ。」
はず?
「本当なら、名前の通りすごく鮮やかな色の建物が並んでるはずなんだ。赤とかオレンジとか黄色とか。まあ、ひとたび町に入ると、それが倒れて来る幻覚を見るんだけどね!」
だが、目の前にある廃墟はクロワタと同じ色をしていた。夜時計で周囲のクロワタが消えたとはいえ、ここは地区の端。なかなかシロイトがまだ行き渡っていないのかもしれない。
「じゃあ一旦止まって。幻覚除けの術をかけ直すから!」
「ほのか、ついでに運転手交代だ。俺が運転するよ。」
先輩が車を描き直し、そこにアナクラさんが術を施して町に入る。霧が出てくる様子はない。やはりクロワタの影響が出ているようだ。
「なんか壁にさ、粘土みたいなの付いてない?」
ほのかが一件の家を指さして言う。確かに、建物の下の方に、黒くてねばねばしたものがへばりついている。建物がクロワタで溶けたのかと思ったが、どちらかというと上から泥を塗りたくったように見える。
『あれはクロワタですね。しかし、周囲の物と少し反応が異なります。』
コウメイさんが言った。泥のクロワタは町の奥に進むほど増えている。そのうち道にも溢れてきて、とうとう車が進まなくなってしまった。
「ここからは歩きしかないな。」
先輩が言った。私達は車を降りて、道をシロイトで浄化して進み始めた。泥クロワタに触れないように注意しつつ進むと、ある通りだけクロワタが坂道にそって流れていた。
「あー!」
タビが前方を指さした。「あそこ!あそこが発生源だよ!」
坂を上った先に一段と大きなクロワタの塊があり、そこからクロワタがどくどくと脈打ちながら溢れ出ている。あれを浄化しない事にはこの町からクロワタが消える事はないだろう。
「じゃ、とりあえずあれ浄化しよ!」
ほのかが言った。「のぞみん、あの消防車出せる?」
私はすぐに消防車を一台描き上げた。水にシロイトを溶かし、放水を始める。坂道はすぐにきれいになるが、塊はなかなか浄化出来ない。
「もうちょっと近づく?」
道が綺麗になったので、少しその塊との距離を詰める。放水し続けていたおかげで、塊は多少小さくなったようだ。だが、一向に発生が止む気配が無い。
「なんか変だなー?」
タビが言う。
「クロワタがカクの住民にいっぱいくっついて塊になる事はあるけど、それならこんな風にクロワタが湧き出るってないし。」
そこまで聞いて、はっとする。クロワタだけを生み出す存在は、カクの人間しかいない。つまり、この塊の正体は―
「美希!」
「わ!のぞみん何やってるの!」
私はシロイトをまとった手で塊をかき分け始めた。泥は重たく、妙に生ぬるい。おまけにやけに粘つくので、かいてもかいても奥が見えない。それでも、私はシロイトをぶつけたり、手で無理矢理引きちぎったりして塊を小さくしていった。そして、右手が今までと違う感触をつかんだ。柔らかく、冷え切った人間の手。
「美希!」
止めて!
引っ張り出そうとしたら、クロワタが一気に私に覆いかぶさって来た。シロイトを紡ぐ暇もない。
「希美ー!」
「タビ!」
タビに向かって手を伸ばしたが、すぐにクロワタに阻まれ周囲は真っ暗になった。自分でも、目を開けているのかいないのかよく分からない。
「タビー!ほのかー!先輩―!アナクラさーん!」
叫んでみたが、自分の声が響くだけ。シロイトを放ってみたが、何も起きない。
……けない。
ん?何か聞こえた。
だめ。…………売った絵。
とぎれとぎれに声が聞こえた。聞き覚えがある。確か、サイバーシティでクロワタに呑まれた時に聞こえた声だ。
「……美希?」
間違いない、美希の声だ。近くにいるんだろうか?何も見えない状態で、恐る恐る歩き始める。その間、トンネルの中みたいに美希の声が反響した。
やった、賞を獲ったから、絵を描いても良いって!
楽しい!堂々と絵を描いていいって、こんなにも気持ちいいんだ。
中学校の時だろうか。確か、賞を獲ってからは塾を減らしてもらえたって言ってた。声しか聞こえないけど、喜びがひしひしと伝わってくる。さっきの声とは全然違う。
息してる、わたし。めいっぱい息が出来る。
沢山描いて、沢山賞を獲ったら、もっと認めてもらえるのかな。
気のせいかな。部の皆が、私を見ている気がする。あまり居心地よくない。
「え?」
部の居心地が悪い?そんな事言ってただろうか。絵が入賞した時は皆だって褒めてたはずだ。だが、暗闇を進むうちに、段々と声に元気が無くなり、私も息苦しくなってきた。
嫉妬なんて気にするか。わたしにとって絵は呼吸だ。趣味で描いてる先輩より、呼吸する為やってるわたしの方が上手いのは自明じゃないか。
でも、嫉妬されて嬉しい自分もいる。性格悪いな。
「うわああっ!?」
急に足元の感覚が無くなって、私は下に落っこちた。ばしゃっという音と共に、お尻がひんやりする。水でもあったのだろうか。
「……ちがう、クロワタだこれ。見えないけど。」
地面についた手に何やらネバッとしたものが触っている。払いのけても取れない。外から聞こえる声に加え、頭の中にも声が聞こえてきた。
おかしいな。勉強でも部活でも絵が描けたら、もっと楽しいと思ってた。
同じコースに入学してきたのに、どうして技術にこんなに差があるの?
勉強で絵?コース?もしかして美希の高校での記憶だろうか?美術科のある高校に進学したのだろうか。思えば引っ越してしまってから近況を知ろうとしなかったし、知る術もなかった。でも、美希がコンプレックスを覚えるなんて。
だめ。こんな、審査員に媚び売った絵。
自分の絵を描かないと。でも、それって何?
何度も何度も自問する声が聞こえた。その声はだんだん疑問から自分への恫喝のようにも聞こえてくる。焦りと怒りといら立ちに満ちた声が何度も聞こえる。
早く描けよ!優秀賞じゃないとまた絵を描かせてもらえなくなる!
駄目!コンクールで賞を獲った時の焼き増しじゃないか!
最期の方は言葉にすらならずに罵倒や怒声が空間全体に反響した。私は気持ち悪くなってその場でうずくまり、耳を塞いだ。静寂が戻った時に聞こえたのは、美希の消え入るような声だった。
もう嫌。絵なんて、描きたくない。
「美希……。」
のぞと一緒に描いてた時は、楽しかったのに。
でも、のぞが絵を辞めたのは、わたしのせいだ。
「えっ。」
お腹にずん、と石が入ったような感覚。美希が、私が部活を辞めたばかりに、自分を責めてる?
友達から絵を奪ったくせに、絵を描くのが辛いなんて言う資格無い。
友達から絵を奪ったくせに、こんな駄作しか描けないの?
下手。二番煎じ。面白味が無い。やってる意味ある?
鋭利な刃物で同じ傷を何度もえぐられているような、聞いているだけで痛くて苦しい言葉。美希は、こんなに自分を責めていたんだ。そして、その引き金を引いたのは
「私だ。」
足元のクロワタが急に多くなったのを肌で感じた。分かる、多くなったのは私からクロワタが出たからだ。あの声が聞こえる。
美希がいなくなったのは、お前のせいだ!
醜い!きったない人間だ!
頭の中には自分の声が、耳の外では美希の声が聞こえる。
のぞは、わたしのせいで部活を辞めたんだ。
嫌われたくない?傷つけたくない?
友達を失ってまで描きたい絵って何?
よく言うよ。お前は美希を傷つけたじゃないか。
「そうだよ……。私が美希を傷つけて、だから美希はハヲリになったんだ。」
死のうとしたのだって、私のせいだ。そう言いたかったが、もう声が出ない。クロワタが口の中まで入って来て塞いでくる。吐いても吐いても溢れ出る。もう羽織っていたシロイトは消え去り、私はただの朝倉希美になっていた。手足の感覚が消える。私が消えていく。美希、美希。名前を呼ぼうとしても、もう意識も薄らいでいく。何をしようとしていたかすら消えていく。残っているのは、後悔。こんなことになるなら、どうしてあの時、美希を突き放してしまったんだろう。どうして
「どうして、美希に謝らなかったの。」
声がした。
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