第37話 お前のせいだ

 家で絵を描いた後は校内でもしばしば喋るようになった。学年でもトップの成績である美希は私に勉強を教えてくれた。代わりに、私は自分の持っているマンガを色々貸した。と言っても、読むのは私の家。その方が安全だし、絵も一緒に描けるからだ。しかし、あまり頻繁に私の家に遊びに来ては、美希の親が怪しむかもしれない。そこで私はある提案をした。

「交換ノート?」

「そう。まず私が絵のお題を書いて、美希に渡す。で、美希はお題の絵と、私への絵のお題を出してまた渡すの。」

 私はそう言って一冊のノートを出した。見た目は普通のノート。私の学年と名前、そして題名に『部活ノート』と書いてある。

「で、もし親さんに見つかりそうになったらこういうの。『これは朝倉さんていう、同じ美術部の人のノートだ。私の数学のノートと間違えて忘れてった。』って。」

「……おお、ちゃんと同じノートだ。」

「そう、ちゃんと揃えたの。信憑性上がるでしょ。名前も『美希』と『希美』だし。」

「奇跡的に似た名前。」

 早速私はノートにお題を描き、作戦を実行した。翌日、美希は興奮した様子で私にノートを持って来た。

「すごいよ、のぞ。全然怪しまれなかった。」

 私達はガッツポーズ。それからは家に遊びに来る回数が減る代わりに、交換ノート上でお互いの絵の感想を言ったり、好きなマンガの話をした。絵のお題も、最初は普通だったのに、段々無理難題が増えていった。

「魔法が使える、男か女か分からないコーヒーマニアの探偵!?要素多っ!」

「ん。大丈夫、のぞなら描ける。楽しみに待ってる。」

 ノートは切磋琢磨の場になったが、特に美希は回を重ねるごとに絵がおそろしく上達していった。苦手だと言っていた人物の絵も描くようになり、私は毎回一人ですごいなあ、と呟いていた。

 美希は部活動の絵も凄かった。部活動で描いた水彩画は出すコンテストすべてで大賞を獲得した。その中の一つが、絵の具メーカーが主催しているコンテストで、優勝した美希の絵は東京で飾られることになった。メディアにも取り上げられた為、美希はたちまち時の人となった。

「美希さんは、絵の勉強をするべきです。」

 三者懇談の時、担任の先生はそう言っていたそうだ。隣に美術部の先生までやってきて熱弁したらしい。

「おかげで、好きに絵を描いても良くなった。」

 懇談の後、部活中に美希は嬉しそうにそう報告してくれた。

「さすがに勉強全くやらないのは駄目だけど、塾を減らしてもらえた。絵を描く時間増える。」

「すっごい。劇的な変化だね。」

「色んな絵が、沢山描ける……!」

 美希が心底嬉しそうに笑うのを、私も祝福した。でも、心の奥底に、モヤモヤしたものがあるのも気づいていた。

 初めて会った頃から、水彩画や人工物のスケッチは美希の方が上手かったし、勝てるとも思ってなかった。でも、美希がそこから、苦手だったイラストや人物画を克服し上達させるのを見るうち、私は段々劣等感に駆られるようになってきた。交換ノートのページを見比べるたび、校内で飾られた作品を見るたび、技術が劣っている事を突きつけられる。私も頑張っているはずなのに、全く追いつけない。どんどん進化する美希の横で、一向に上手くならない自分をふりかえるうち、私は絵を描くことが苦痛になってきた。絵と言う親友を取られたという気すらしてきた。そんな私の気持ちを知る由もなく、美希が楽しそうに絵を描く様子に、妬ましいと思った。美希の顔を見ると、ひどい言葉を投げつけそうで、私は徐々に美希を避け始めた。交換ノートの更新が遅くなり、何かと理由を付けて家にも呼ばなくなった。距離を置けば、何とか平常心でいられた。けれど、醜い気持ちは蓄積して消えていかなかった。

 とうとうそれが溢れたのが、二年生の初夏だった。私は、秋の文化祭の作品展に出す絵の下書きをしていたが、どうも上手くいかず苛立っていた。主題である鳥が、何度描き直してもバランスが悪い。

「なんか、気持ち悪いんだよなあ……。」

「ん。ここじゃない?」

 不意に現れた美希がさらさらと鉛筆を走らせると、途端にバランスが良くなった。だが、美希はその線を消した。

「なんで消した?」

「ん。だって、今のままの方が良いと思うから。」

「……なんで?」

「ん。その方が、希美らしいと思う。絵本みたいで、一目で分かる希美の絵だから。」

「それ、私の絵は一目見て分かるくらい下手って事?」

 自分でも声がとげとげしくなっているのが分かった。美希も、ちょっと驚いたような顔をしている。

「違う。今のままの方があったかくて、絵本っぽいから。」

「でも直したじゃん。結局デッサンが狂ってて変だから直したんでしょ。」

「のぞ。」

「大体下書きだよ。これであったかい感じとか分かるわけないじゃんか。色使いが温かいとかならまだ分かるけどさ。」

「ねえ。」

「美希は上手いから分からないだろけどさ、自分よりはるかに上手な人に気を使われるのって、傷つくの。はっきり言ってよ、下手だから直したよって。」

「そんな事、思ってない!」

 今度は私がびっくりする番だった。美希が声を荒げるのを、私は初めて見た。

「最近、のぞ冷たい。私の事避けてるし。私、何かした?したなら謝る。でも、何も言わず急に怒られても、分からない。はっきり言ってないの、のぞの方!」

 勿論、美希は何もしていない。私が一方的に嫉妬を募らせただけだ。完全な八つ当たり。だけど、ごめんの三文字がどうしても出てこない。そのうち先生が私達の所にやってきて、お互い謝らされた。私はその日の放課後に転部届を出し、文芸部に移った。

「のぞ!」

 数日後、美術部を辞めた事を知ったらしい美希が私を呼び止めた。

「なんで辞めた!?昨日の質問の答えもまだ私、のぞの口からはっきり聞いてない。」

 こちらをまっすぐ見る美希の顔。まともに見れない私。ぼそぼそと答えた。

「……ない。」

「え。」

「もう美希と絵を描きたくないの。惨めになるから。」

 そう答えて、逃げるようにその場を後にした。そうして絶縁状態のまま夏休みに突入し、新学期が始まった。しかし、美希の姿が無い。

「転校したって。親さんが離婚したらしいよ。で、お母さんの実家に行ったって。」

「……。」

 まず、転校した理由が自分ではない事にほっとした。そんな自分に嫌悪感を覚えた。お互いスマホも持っていないし、美希がどこに引っ越したかも分からないので、連絡手段が無くなった。思わぬ形で、私は望んでいたとおり美希と距離を置けた。もう心がかき乱されることは無い。ただ一つ、家に置きっぱなしになった交換ノートを見る時以外は。

「もう、あれ要らない。」

 でも、捨てられなかった。美希に対する罪悪感が、私の手を止めた。

 美希がいなくなったのは、お前のせいだ!

「違う、違う……。」

 ノートに並ぶ美希の絵と私の絵。技術の差が如実に出ていて、惨めで悔しかった。嫉妬のままに八つ当たりして、謝らずにお別れした。

 醜い!きったない人間だ!

「うるさい!」

 頭の中で聞こえる声に怒鳴る。太いペンで、自分の絵を塗りつぶす。力任せに、見えなくなるほどに。

 大丈夫、のぞなら描ける。楽しみに待ってる。

 ペンが一瞬止まったのは、あの探偵の絵が描かれたページだった。悩みに悩んでキャラデザインをしたからよく覚えている。中性的な見た目で、服はシャーロックホームズを参考にしつつ、コーヒーの要素も入れた。四日もかかって仕上げたそれを、美希は絶賛してくれた。

  転校したって。親さんが離婚したらしいよ。

「私の、せい、じゃ……。」

 よく言うよ。お前は美希を傷つけたじゃないか。

 美希がいなくなったのは、お前のせいだ!

 私は、私の作品を一番褒めてくれた人を傷つけて突き放した。そしてもう、取り返しは付かない。泣きながら、脳内にちらつく美希の笑顔を消すように、何度も何度も塗りつぶした。

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