第36話 クロワタとあの子の思い出

 観測局に戻った後、私達はそのまま休憩室に移動した。ほのかはすぐエレベーターでカクに帰らせる予定だったのだが、再三私達が言っても聞かず、結局ここに残ることになった。

「じゃあ希美さん。お話をきかせてもらえるカナ。」

 局長に促され、私はぽつぽつと話し始めた。

「中学の時、四月一日美希わたぬきみきっていう同じ美術部の友達がいたんです。先輩には話しましたよね。私の絵が好きだって言ってくれたのに、私がひがんだばっかりに喧嘩になったって。」

「その人が、四月一日さん……。」

 先輩が神妙な顔で呟いた。

「バリスタさんは、美希とのやりとりで生まれたキャラクターなんです。」

「正直、のぞみん四月一日ちゃんと嫌な思い出あるのかなって。あたしが名前を出した時に倒れちゃったから……。」

「ほのかが気にする事じゃないよ。私の問題だから。」

 申し訳なさそうにするほのかを見て、私は出来るだけ明るく言った。けれど、指先からはクロワタが出始めている。

「私、美希の事を思い出すとさっきみたいにクロワタが溢れてしまうんです。美希との思い出が詰まったバリスタと言う人物は、私のクロワタから出来てるのかもしれない。」

「希美さん。」

「だから、クナさんやダブルさんを殺したのは、私」

「ストップ!」

 先輩が私の話を遮った。

「確かに、バリスタさんはクロワタを出してた。でも、ダブルさん達を殺した犯人をあえて挙げるなら、それはカクの人間の心だ。俺も含まれてる。誰か一人が罪悪感を持つのは違うよ。」

「……。」

「希美。こーへーの言う通りだよ。」

 タビが私の膝に乗って来た。

「それにさ、覚えてる?希美が初めて発作で倒れた時、バリスタさんが支えてくれたでしょ。」

「……うん。」

「あの時、バリスタさん火傷してたじゃん。クロワタから出来た人が、クロワタで火傷しないよ。だから、バリスタさんはクロワタじゃないよ。」

「でも、じゃあバリスタさんは、何なの……?」

「希美さん。もしよければ、四月一日さんの話を聞かせてくれないカナ。」

 局長が言った。

「話すのが辛いのは重々承知している。けれど、このままではいつか堪え切れずにクロワタに呑まれるかもしれないよ。今も我慢してるよね?」

「……。」

「それに、君の話を聞けば、バリスタが何者かが分かるかもしれない。」

 局長に促され、私は静かに話し始めた。


「なんか怖い感じだよね、四月一日さんて。」

 同じクラスの女子たちがひそひそ話をしているのが聞こえた。視線の先にいるのは、一人問題集を開いている女の子。長い黒髪に目鼻立ちのはっきりした綺麗な顔。銀フレームのメガネが知的な印象を与える。しかし、いつも眉間にしわが寄ってて、近寄りがたいオーラが出ていた。誰かが話しかけても、会話が全然続かない。誰かが茶化しても、視線を少しよこすだけで何も言わない。そのうち、男子も女子もあまり話しかけようとしなくなった。私も人見知りするタイプだったから、自分から話しかけるような事はしなかった。

 転機になったのは部活だ。初めての部活動の日、私は少し早めに部室に向かった。だが、部屋には既に人がいた。

「……四月一日さん!?」

 まさかここで会うとは思わず、びっくりして大きな声を出して固まってしまった。一方、美希の方もこちらを見て固まっていた。

「……朝倉さん、だよね。同じクラスの。」

「う、うん。あの、四月一日さん、美術部?」

「ん。そう。早めに来た。……中、入ったら。」

 促されて、私はがらんとした部室に入る。美希の手元にはスーパーカーのリアルな鉛筆画が描かれたノートがあった。それをみた私の口から思わず声が漏れた。

「すごい、オロチだ……!」

「ん。知ってるの?」

「お父さんが車好きで、私も写真とか見るのが好きになって……。」

「そうか。」

 表情は固く、言葉も少なかったが、声のトーンがやや上がったのが分かった。美希がページを一枚めくった。また車の絵だ。

「スバル360!」

「ん、当たり。」

 また一枚めくる。今度は消防車の絵が出てきた。車の側面についた部品やホース、タイヤのホイールまで緻密に描かれている。

「これ、水槽車?」

「ん、そう。すごい、分かるんだ。」

「だって、絵がすごい細かいから。図鑑みたいだよ。」

「ん、そう。図鑑を見て描くうちに、覚えた。」

「すごい!そらで描いてこんなに上手なんだ。」

「……。」

「?四月一日さ―えええ!?」

 静かだなと思って振り返ったら、美希は先ほどと同じように固まっていた。そしてそのまま、双眸から水が流れだしていた。

「ん、ごめん。びっくりして、泣いた。」

「え?え?何で!?」

「絵、褒めてもらったから……。」

 涙垂れ流し状態のまま、美希が答えた。

「え、でも、あんなに上手だし、見たら皆褒めるでしょ?」

「描いた絵、誰かに見せたことなくて。私、友達も作らないようにしてるし。」

「作らない?」

「友達家に連れて来ると、あんまりいい顔しないから、お母さんが。」

 美希がため息をついた。

「とにかく私に勉強しろって言う。絵を描くのも、友達と遊ぶのも、私にとっては障害になるって考えてるっぽい。」

「そんなの変だよ!あ、ごめん。」

「ん、いい。」

 美希が今一度大きなため息をついた。

「お父さんも、お母さんのやり方は間違いって言う。それで、絵の具とか買ってくれるけど、お母さんに全部捨てられて。」

「……ひょっとして、ノートに描いてるのも」

「ん、そう。スケッチブック無い。」

 美希がノートの最初のページを見せた。そこには、数学の問題がびっちり。こうやってカムフラージュしてるのか。でも私は、むしろここまでしないと絵が描けないという事実が信じられなかった。

「美術部に入ったから、やっと自由に絵が描ける。部活は必ずやらないといけないから。」

 美希の声は心底嬉しそうに聞こえる。それがかえって痛々しかった。

「まずは水彩画。絵の具捨てられて、ずっと出来なかったから。マンガイラストとかも出来たらいいけど。」

「じゃあ、うち来る?」

 気づいたら口から言葉が出ていた。美希がまた固まる。

「うちって、朝倉さんの、家?」

「そう。うちなら、Gペンとかあるし。」

「でも……急にお邪魔するのは」

「いいよ別に。」

 自分でもなぜここまで必死に誘ったのか分からないが、とにかく家に来てもらう約束を取り付けた。部活後、二人で私の家に行き、自室に案内した。机の引き出しから、初心者用のマンガツールセットを出す。小学生の時クリスマスプレゼントに貰ったものだ。

「こっちがペン軸で、これがペン先。これを―」

「おお。」

 私の手先を凝視しながら、美希はペン先を軸にセット。試しにノートに描いたオロチにペン入れをする。美希は「おお、おお。」と繰り返しながらゆっくりペンを動かしていく。いつもの仏頂面よりさらに眉間にしわを寄せ、一番外側の輪郭だけなぞり終えた。

「描けた……!」

 大きく息を吐いて美希はペンを置いた。かなり緊張したようだ。

「難しい。インクがどっと出たり、かすれたりする。ボールペンとかとは違うんだ。」

「うん、最初は私もそうなったよ。あ、今のはGペンね。」

私は他のペン先も勧めた。ペンを使っている間、美希は無表情。傍から見れば、すごく退屈してそうに見える。しかし

「あ、これは太さが均一。」「インクが乾いてなかった!」「かすれた!」

明らかに饒舌になっているし、声のトーンからしても夢中になっているのが分かる。あんまり楽しそうなので、こっちも色々貸したくなった。そこで、セットに入っていたイラスト用の紙を一枚あげた。

「いいの?」

「うん。私も描くから。」

「……ありがとう。」

 やはり表情は固いが、心底嬉しそうに鉛筆で下書きを始める美希。どうやらまた車らしい。私はマンガイラストを描くことにした。二人で黙々と下書きを進め、ペン入れをする。先に描き終えたのは私だった。

「何かのキャラクター?」

「あー……違う、自分で考えた。」

 ちょっと恥ずかしくて小声で答える。美希が固まった。

「……すごい。服とか装備とか、全部考えたの?」

「う、うん。」

 私の絵を、美希がじっくりと見つめる。

「冒険小説の挿絵みたいだ。真ん中の男の子は真面目な騎士っぽい。横の女の子は武器を隠してるから盗賊っぽい。」

「あ、うん。そのつもりで描いた。」

「かっこいいな。こんな風に物語込みで絵を描けるの。」

「ほ、ほめ過ぎだよ。」

「そんなこと無い。一から設定考えて、それを絵にする。凄いことだ。」

 美希が力説するので、私は顔から火が出そうだった。でも、勿論嬉しい。

「……よし、描けた。」

「すごい。やっぱり上手い。ペンで描いてるから、一層シャープに見える。」

「ん。ありがとう。ペン、楽しかった。」

美希はそう言って私にペンを返した。宝物を目上の人に返すような、仰々しいしぐさに私は吹き出しそうになる。表情だけが不思議なほどに固い。

「笑わないように訓練した。友達が出来ないように。どうせ遊ぶ事も出来ないから。」

「そこまで親さんの言う事、従う必要ある?」

 失礼だとは思いつつ、私は言わずにはいられなかった。美希は少し考えてから口を開いた。

「お母さんがこうなったの、元はといえば私のせい。」

「え?」

「私、中学受験したの。」

 中学受験!なじみがなさすぎてピンと来ないが、私立中学って難しくて、頭がすごくいい人しか入れないというのは分かる。受験出来るだけで凄いことじゃない?

「でも落ちた。悔しかったけど、お母さん私以上にショック受けてた。落ちる前は勿論勉強頑張れとも言われたけど、他にも色々やらせてくれてた。でも落ちてからは、『また失敗したらどうするんだ。』って言われて。」

「失敗って、言い方ひどくない?」

「それでも……落ちた以上、私何も言えない。」

「それは違うよ!」

 思わず立ち上がって叫んでしまった。

「頑張った分は絶対無駄にはならないでしょ。実際、四月一日さんって成績学年トップだし。さっき絵を描いてる集中力だって、受験で鍛えられたんじゃない!?」

 一気にしゃべってから、はたと気付いた。今日初めてまともに喋った人に、何を知ったような口ぶりなんだ私。他人様の親さんを否定するような事ばっかり言ってるし。急に恥ずかしいのときまりが悪いのとで私はゆっくり座り込んだ。

「ごめん、なんというか……ごめんなさい。」

「……。」

「四月一日さ―また泣いてるー!?」

 美希は表情そのまま、また目から滝のような涙を出していた。今度は鼻水もだだ洩れだ。石像のように動かず涙をぬぐわないので、私は強引にティッシュを顔に押し付けた。

「……ん。」

 やっと美希が口を開いた。

「嬉しかった。無駄じゃ無いって言ってもらえたの。落ちたから、それまでの勉強、なんだったんだろうって自分で思ってた。」

「……。」

「朝倉さん、優しいね。」

 美希の笑顔を見たのは、この時初めてだった。

「……もしよかったら、明日また一緒に絵を描こう?」

 美希の目と鼻から水が滝の様に流れ出した。私は再びティッシュで押さえつけた。

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