第29話 わたしはなあに

「カクの朝が迫っていたから、希美さん達は戻ったよ。大丈夫、君のおかげで怪我はなかった。」

 火山で気を失い、病室で目を覚ました自分に、局長はそう言って笑った。防衛軍は助からなかった事、コウメイ達の戦艦で観測局に運ばれた事、そして自分はしばらくここに入院する事を聞かされた。

「その怪我で動くのは駄目だよ。それに、クロワタの事もある。」

「!」

「希美さんからも聞いたし、コウメイも戦艦で検知して知っている。だが勘違いしないでくれ。私達は、君が悪意を持ってクロワタを振りまいたなんて思っちゃいない。」

「でも」

「自分が何者か、ってとこだよネ。それを調べるための入院だ。だから、ちゃんと大人しくしてるんだよー。」

 そう言って、局長は病室を去って行った。ベッドわきのテーブルには、自分が事務所で使っているコーヒーセット一式が置いてあった。わざわざ持ってきてくれたのだ。

 局長は第四地区で倒れていた自分を拾い、観測局を手伝わせてくれた。命を救われただけでなく、自分の居場所を作ってくれた。見ず知らずの自分にここまでよくしてくれて、今も守ろうとしてくれている。その気持ちがとても嬉しく、苦しかった。自分は局長みたいに、自分自身を信じられない。今だって、右手からクロワタが勝手に出て来る。まだ量は少ないが、そのうち、誰かを傷つけてしまうかもしれない。

お前、記憶ねえんだろ。本当に、ギョクの人間か?

「……分からないよ。」

思い出してしまった、自分が最も不安に感じる問い。わたしは人間じゃない。それにはちゃんと証拠がある。局長に拾われた時、観測局のエレベーターに乗せられた事があった。もしそれでカクに戻れれば、私はそちら側の人間という事になるからだ。しかし、戻れなかった。それに、紡からシロイトがまとわりついていると指摘された事もないし、ましてハヲリでもない。だから、わたしはギョクの人間。そう思っていた。

だがその一方で、ギョクにも居場所がないと感じていた。観測局の手伝いをしていても、一向に家族や知り合いに会えない。誰ともつながりのない、根無し草のような自分。絶えず不安だった。それでも仕事をこなすうちに、新しいつながりが増えた。町の人々、ゲンゲさん、晃平君、タビたち観測局の猫、局長。自分を信じてくれる人が増えるうちに、不安を忘れていった。

「……っ!」

 クナさんがクビナシ化した時の絶叫がフラッシュバックする。義手を作った時、自分はクロワタを使っているという意識は毛頭なかった。そんな事、出来るとすら思っていない。だが、散弾銃も義手も、最後には真っ黒になって砕けた。クビナシの死体と同じだ。ダブルさんは、自由自在に操ると言ったが、それは違う。わたしは、これを制御出来ない。観測局はクロワタ対策の要だ。もしここで自分からクロワタが吹き出せば、ギョク全体の危機になる。わたしは、ここに居てはいけない。

「―そうだ。第四地区の西端に行こう。」

 第四地区はここ最近クロワタの被害が深刻だ。自分がそこに行くことで悪化するのは申し訳ないが、西端は元々無人のはず。建物が崩れるぐらいで被害は済むだろう。

「局長。ごめんなさい。」

他の局員が寝静まったのを見計らって、こっそり病院から抜け出した。痛む腹を押さえながら、静まり返った町を歩いた。クロワタを出すかもしれないので魔術は使わず歩きとおした。出血と空腹、さらに転倒で頭を何度か打ったせいで、足元がおぼつかなくなり、意識も朦朧としてきた。そんな状態でも、何とか第四地区には辿り着けた。

「ひどいな……。」

 第四地区は変わり果てていた。ここに町があった事すら分からないほど、跡形もなく全てが消え、クロワタが雪のように降り積もっていた。

「中心街は無事なのだね。」

 遠くに見える城壁を見ながら呟く。あそこにはまだ無事な住民がいるかもしれない。避けて通ろう。幸い、自分はこの地区を熟知している。中心街の位置が分かれば方角も分かる。城壁を見失わないようにしつつ、出来るだけ離れた場所を通って進んだ。その途中、何者かに足を取られた。

「クビナシ!」

ゾンビのようなクビナシが自分を地面に引きずり込もうとしていた。ここでやられるのは構わないが、見逃せば中心街や他の地区を襲うかもしれない。魔術を使おうとして、スプーンが無い事に気付いた。

「くっそ!」

 足をばたばたと動かすうち、相手の頭に蹴りが入った。たちまちそこからゾンビの体が黒く固くなり砕け散る。クナの時と同じだった。

「……はは。」

 乾いた笑いが漏れた。ギョクの住民は勿論、クビナシさえ殺してしまえるのか、自分は。

「クロワタを出すのではなく、クロワタそのものなのかもしれないな、わたしは。」

 その後も湧くように現れたクビナシを次々壊しながら歩みを進める。彼らとて、元々ギョクの住民だったのに。そう感じていたのは最初だけ。道に降り積もった落ち葉を踏みつけるように、ざくざく、ざくざくと踏みつけ、払いのけ進んだ。

「……ここだ。」

 第四地区の西端。鮮やかな廃村と呼ばれる地区。その名の通りオレンジや黄色と言った明るい色の家が建ち並ぶ華やかな村だが、住民は一人もいない。元々は年中濃い霧が立ち込める魔法使いの村だったそうだ。中に入った人は在りし日の村と、それが滅びる幻覚を見るという。でも、今は建物が全て灰色に染まり、霧も晴れている。クロワタのせいで、本当に廃れてしまったのかもしれない。

「ちょうどいい。」

 壁にもたれかかると、ひんやりして気持ち良かった。わき腹の傷が黒ずんで、クロワタが出てきていた。左手からも出ている。自分から出るクロワタは、確実に増えている。今まで堪えていたせいか、力を抜くとますます増えた。

バリスタって人間は最初からギョクにいなかったんだよ

いいや、いてはいけない存在だった

「……あ。」

突然、頭の中に断片的な映像が浮かんだ。破り捨てられた無数の絵。床に散らばった画材。埃をかぶったコンクールの盾。勉強机を漁っている手が見えた。教科書やノート、スケッチブックなどが積み上がり、目当てのものが見つからない。

「……そうだ。わたしは、死のうとしてたんだ。」

居てはいけない、だから早く消えなくては。そう思っていたはずなのに、なぜ忘れていたんだろう。腹の傷でくすぶるクロワタに、わたしはすがるように言った。

「お願い、わたしを消して。」

その途端、一気にわたしの体をクロワタが覆いつくした。ああ良かった。やっと、やっと死ねる。ほっとして眼を閉じた時、なぜか希美の顔が浮かんだ。今まで出会った人の中で唯一、最初から名前を知っていた人。全く知らないはずなのに、会えて嬉しいとすら思った。なぜかはついに分からなかったけど、彼女のためにも、わたしは消えなくてはと思った。

「ごめんね、のぞ。」

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