第22話 プロフィールでいつも空欄になるところ

 私は先頭を歩きながら、頭の中に自分が嬉しかった時の出来事を思い浮かべた。初めて描いた小説を先輩に褒められた時。初めてほのかに自分が見た夢を描いてもらった時。中学の時に描いた水彩画が入選した時。それから―

「ん~……。」

「希美。ほら、手が止まってるよ。」

 後ろのタビがせっつく。でも、嬉しかった時の事って、意外と思い出せない。

「思い出が難しいなら、こーへーみたいに何か作ったら?小説とか。」

「えっ。さすがに歩きながらは無理だよ。ほのかみたいに描きたいって衝動があるわけでもないし……。」

 思えば昔から、何かにどっぷりはまるという経験が無い気がする。好きなアニメとかゲームはと聞かれれば一応答えられるが、周りに薦めるほど好きで好きでたまらない!というものは無い。昔は小説より絵の方が好きだったが、ほのかのように、描けないとイライラするほど熱量は無く、先輩の様に嫉妬するほど負けたくないとも思わない。確かに一時、絵の上手い友人をひがんで喧嘩したけど、結局そのあと私は絵筆を取らなかった。その程度しか、好きではなかったのだ。でもほかに、これと言った趣味も特技も無いし……。

「はあ。私、何にも無いなあ。」

「ちょっと~!クロワタ生みそうな事言わないの~。」

「だって、本当の事だもん。熱中するほど何かしたって記憶ないよ。」

「自覚がないだけではないかい?寝食を忘れるほど、という事をしなくても、自分が気づいたらやっている事は、熱中と言えるのではないかな。」

 バリスタさんにそう言われるけど、やっぱりピンと来ない。そんな自分に、ちょっと嫌気が差しちゃう。

「まあいいや。タビだっこしよ。」

「にゃ?なんで?」

「ハマる、とは違うけど、好きなのは間違いないし。」

「わー、希美からラブコールだ。」

「今更だけど、タビさんていつから朝倉さんちの猫なの?」

 千草先輩が尋ねた。

「一年前ですよ。お母さんが拾ったんです。」

「そーそー。希美のうちの近くで生まれたの。」

「へー。」

「そうだ先輩。局長の飼い主って言ってましたけど、コテツさんって妖怪ですよね?」

「うん。俺が生まれる前から千草家にいて、俺が中二の時に死んじゃったから。」

 まさかギョクで会えるとは思ってなかったけど、と先輩は笑った。

「長生きだったし、最期もちゃんと見取れたんだけど、やっぱりすげー悲しくって。そしたら、その日の夜に初めてギョクに行ったんだ。お別れして半日で再会だよ。」

 コテツさんはその時から既に局長だったらしい。先輩は飼い主だからという理由で紡に抜擢され、今に至る。

「正直大変だし、しんどい時もあるけど、コテツに会えるしな、で続けたらこんなに長くなって……。それに、『夢にコテツが出たんだ。』って言うと家族で笑えるし。」

「確かに。紡になるって夢充ですよね。」

「ゆめじゅう?」

「リア充の夢バージョン。ほのかが命名しました。」

 先輩が吹き出した。そうやって盛り上がるうちに、辺りの風景が熱帯雨林に変わって来た。広葉樹の森と熱帯雨林がグラデーションで変わるのって、考えてみると不思議な事だ。辺りの空気も温かくじっとりしてきて、歩いていると汗がにじんできた。

「でも、この辺りはまだクロワタ化がさほど進んでいないようだ。」

バリスタさんが言う。確かにクロワタもただくっ付いているだけでシロイトを付けても木そのものは消えない。葉も青々としているし、地面の色も見えている。

「希美、シロイトを温存しよう。この地面なら普通に歩けるとも。」

「ほんと?バリスタさん、体調は大丈夫?」

「クロワタについては問題ないとも。しかし、結構汗をかいたね。」

「そうっすね。水分補給も兼ねて、一度休みますか。」

 そこで地図を確認し、今度は川のほとりで休むことにした。テーブルとイスを出せそうだと、バリスタさんがスプーンで絵を描く。しかし、先輩が腰かけると、ミシっという音。

「ん。―ひびが入ったようだね。」

「えっ、すんません!」

「構わないとも。むしろ、ここまで耐久が無いのがおかしい。」

 バリスタさんが腕を組んだ。

「シロイト不足のせいかな、魔術の精度が悪くなっている。すまないが、やはり地べたに座る方が良さそうだ。」

「おやつがあれば、タビはおっけーだよ!」

「もう、だから遠慮してってば。」

「はは。いや、腹が減ってはなんとやらだ。猫用も人間用もあるから、食べてくれ。」

 バリスタさんは私達のコーヒーを淹れると、地図を確認した。

「このペースで行けば、あと三十分で目的地に着くはずだ。」

「朝倉さん、先頭代わるよ。」

「でも、私あんまり浄化に貢献してないですから。ほら、熱帯雨林に入ってからは作ってないですし。」

「希美、ちゃんと作れる?」

「出来るよ。」

 私はちょっと意地になっているのかもしれない。自分だって、シロイトを沢山生み出せるような何かを持っているはずだって。そうでなきゃ、自分が空っぽみたいで嫌だ。でも、それって何だろう?それが分かれば、この危機に立ち向かえるのに。

「よし、じゃあそろそろ行こうか。」

 再び、私を先頭に歩きだす。熱帯雨林を歩いている間にシロイトを溜め込んでおいて、広葉樹林に入ったら浄化に使う。それが一番スマートな方法なんだろうけど。

「む~……。」

「やっぱり希美悩んでるー。」

「ちょっとタビ。今考え事してるんだからさー。」

 だめだめ、と私は自分に言い聞かせる。これは完全な八つ当たり。落ち着け私。何か、何か好きな事考えよ。ゲームや本の事を浮かべるが、シロイトの量は微々たるもの。パッキンの壊れた蛇口みたいに、ちょろちょろとしか出ない。あー、難しい!

「ほらー。ここはこーへーに甘えようよ。」

「それは申し訳な―わあ。」

 振り返れば、先輩はコツコツとシロイトを紡いでいた。まさか、歩きながらスケッチしてた?

「いや、さすがにそれは無理。だから、好きなアーティストの事とか考えてた。」

「あーてぃすとって?」タビが尋ねる。

「んー。美術とか音楽とか、自分の思ったことを作品で表現する人、かな?」

「ほのかちゃんとか?」

 シロイトがどんっと出た。先輩の耳が赤い。

「……まあ、アイツも、うんアーティストではあるな。」

「へー!こーへーほのかちゃんの事好きなの!?」

「違う違う!作品だよ!ホラ、アイツはすげーあーてぃすとだから!」

 作品、の所をやけに強調しながら先輩は言った。

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