第10話 もやもや・イライラ・やれやれ

 翌朝、私はいつもより1時間も早く目が覚めてしまった。普段ならすぐ眠気が襲ってきて布団に逆戻りするところなのだが、今日は頭がすっきりしている。バリスタさんのコーヒーのおかげかもしれない。とはいえ

「ほのか……。何て話そう。」

 バリスタさんの言う通り、今の状況はとても居心地が悪い。だから、しっかり話したい。しかし、何をどうやって話したらいいのだろう。

 こんな絵は駄目っていいたいんでしょ!自分でも分かってるもん!

 ほのかの声のトーン、顔を思い出すと、胸の辺りが締め付けられる。違う、駄目なんかじゃないの。ただ、私が描いてほしかったのは、いつも私の夢を描いてくれる時みたいな、楽しくてはちゃめちゃな絵だったの。

「でも、はっきり言って大丈夫かな……。下手っていってるわけじゃないけど。」

 一人でぶつくさ言いながら、部屋をぐるぐるする。だめじゃん希美、昨日ギョクで決心したんでしょ。ここで逃げちゃ駄目。

「今日は絶対、教室で話す。昨日の下絵は思っていたのと違ったけど、それでもほのかに絵は描いて欲しいって言う!」

 口に出した。そうしないと、動きだせない気がしたのだ。バリスタさんの言う通り、多少辛い思いをしてでも、とことんまで話そう。深呼吸をして、私は学校へ行く支度を整え始めた。

 だが、私の決心は思わぬ形で空振りに終わる。ほのかが学校に来なかったのだ。しかも、欠席の理由は不明。だが、ここで何もしなかったらせっかく奮起した気持ちがまたしぼみそうだった。

「ライン、しようかな。」

 文面に悩み消しては書いてを繰り返し、昼休みにやっと送信した。だいぶ長文になっちゃったけど、端折るのも嫌だった。勿論、ほのかが学校に来たら改めて口でも言わなくては。文章だと、何だか淡々として見えてしまうし。

「はぁ……。」

 放課後は部室で執筆の続きをしたが、やっぱり喉のあたりにモヤモヤしたものが引っかかってていまいち集中できない。ほのかと話すまで取れないだろう。朝はあんなに自分を奮起させないと逃げちゃいそうだったのに、今は話したくて仕方ない。やはり、この状況は居心地が悪い。

「バリスタさん、会いたいな。」

 夜、眠りについてギョクに来た私は、すぐに探偵事務所にやって来た。バリスタさんは丁度事務局で昼食を取っているところだった。

「こっち、まだお昼なんだ。」

「そうだね。ただ、時差がどのくらいあるかは日によって違うのだよ。」

 バリスタさんは私にサンドイッチとコーヒーを振る舞いながら答えた。タビにはマグロの刺し身をくれた。

「ギョクでは、時間は一定ではない。激しく過ぎる時とゆっくりの時と色々だ。」

「時間なのに、一定じゃないの?」

「カクとギョクを行き来するのでなければ、さして問題にはならないからね。」

「タビたちは両方の時間が分かる時計を持ってるよ!」

 そう言ってタビが自慢げに見せて来たのは懐中時計。中を見ると、大小二つの文字盤がある。小さい方は一定のリズムで秒針が進んでいるが、大きい方は早くなったり遅くなったりしている。多分、大きい方がギョクの時間なんだろう。

「ところで、ほのかさんとは?」

「それが……学校を休んでて。」

「そうか。休息が必要な事もあるさ。話を聞く限り、ほのかさんはかなりエネルギーを使っただろうからね。」

 バリスタさんと話していると、だいぶ心が軽くなった。サンドイッチも美味しくてあっという間に食べてしまった。このままだと、寝ながら太りそうだ。

「食べ終わったし、今日もお仕事がんばろーね!そうそう、これ局長から希美に。」

 タビが私に渡したのは、動きやすい服とスマホ。前回の火災現場で思ったけど、パジャマで迷子探索はやっぱり無理がある。服があるのはありがたい。そしてスマホには、今日探す迷子のデータが送信されてくる他、観測局からの緊急連絡も入って来るらしい。

「今日探す迷子は、30代男性。場所は第二地区。えっと、あの森のエリア?」

「そうだね。森だけじゃなくて、海や湖もある。ギョクの中でもかなり広いエリアだ。まずはゲンゲさんに話を聞いた方がいいだろうね。」

「ゲンゲさん?」

「地区ごとにリーダーがいるって言ったでしょ。第二地区のリーダーがゲンゲさんなの。迷子の通報をしてくれたのもゲンゲさん。すっごい優しいよ!」

「優しいのは、猫に対してだけだと思うがね……。」

 バリスタさんがぼそっと呟いた。どうしよう、私仲良く出来るかな。

「ふー、ごちそうさまー!」

 家では滅多に食べられないマグロをごちそうになり、タビは満足げだ。私はタビの分も一緒に食器をキッチンに片付ける。

「ありがとうバリスタさん。聞いてもらえて、結構すっきりした。」

「それは何より。」

「じゃ、今日もはりきって迷子見つけよーね!」

 意気揚々とタビが一番乗りに探偵事務所を飛び出した。


 第二地区は、第一地区と陸続きの半島とそこに面する海から構成されるエリアだった。日本の山によく見られるような広葉樹の森あれば寒冷な針葉樹林のエリアもある。不思議なのは、それらが川を挟んで同じ陸地に展開されている事。海も、寒い海と暖かい海とがあるのが一目で分かる。私達は連絡を受けて、広葉樹の森の入り口に向かった。そこに、ゲンゲさんが待っていたのだが驚きだったのは、その姿。

「ゲンゲさん!今日もよろしくお願いしますっ!」

「はーい。毎日の事ながら、元気いっぱいね、タビちゃん。」

 そう答えるゲンゲさんは、タビの半分ほどの大きさしかなかった。妖精だ!背中にはトンボみたいな透けた翅が生えていて、髪は緑色。着ている白いワンピースには色々な植物が絡みついている。そして何より目を引くのは、ゲンゲさんの眼。左は蜂みたいな杏子型の複眼で、右は目の位置にマーガレットが咲いている。

「ん、そっちは知らない人ね。」

 ゲンゲさんが私を見た。「ねえ探偵!あんたの助手?」

 バリスタさん、探偵って呼ばれてるんだ……。

「いえ、紡ですよ。タビの飼い主でもあります。」

「は、初めまして、希美といいます。」

「ふーん……。あ、思い出したわ。前に何度か迷い込んでた子じゃない!」

 ゲンゲさんは私の周りをさっと一周すると叫んだ。

「タビちゃん、あなたの飼い主とはいえ大丈夫なの?何度も迷子になってる子に紡ってキビシーでしょ。」

 カチン。私だって、好きで迷子になったわけじゃないし、紡になったのも成り行きなんだけど。

「大丈夫!タビも付いてるから!」

「まあ、それもそうかしら。じゃあ、迷子についてだけど。碧緑樹海へきりょくのじゅかいに入っていった事は観測局から聞いてるわよね。目撃証言が多かったのは、その中でも東の方。湖が近いエリアだから、早めに見つけて欲しいわ。」

「へきりょくの…って何?第二地区じゃ無いの?」

 私が小声でバリスタさんに聞いたのを、ゲンゲさんは聞き逃さなかった。

「第二地区にあるこの森の事よ。あなた、紡なのにギョクの地理覚えてないわけ?」

「えっと……。」

「まあ、覚えろって方が無理そうね。」私を見てゲンゲさんが鼻で笑った。

「じゃあタビちゃん、飼い主さんしっかり見ててね。アタシ、海の迷子を見に行くから。」

「わかったー!」

「全く嫌になるわ、勝手に迷い込んで勝手に騒いでダイオウイカに襲われそうになるんだから!」

 早口でぶつぶつ悪態をつきながら、ゲンゲさんは飛び去った。バリスタさんの言う通り、確かに猫以外には優しくない。それに、明らかに私だけバカにしてる!あの子のために仕事するの、なんか嫌!

「ゲンゲさんは、カクの人があまり好きじゃないんだよ。」

 バリスタさんが苦笑いする。「誰に対してもああだから、気にしない方が良い。」

「そうそう!じゃ、早速始めよ!希美、ついて来てー!」

 タビはずんずん森の中に入っていった。ゲンゲさんに言われた通り、私をリードしようとしているようだ。全く、このお調子者め!

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