第8話 通行手形と廃人予備軍
事務局に着くと、私達は女の子と一緒に休憩室に案内された。その間、女の子の腕にはまたクロワタが沢山生まれ、それによってまたシロイトが絡みつき始めていた。
「こんなに自分嫌いの人に会うのは久々だネ。」
クロワタを軽く指でぬぐった局長さんが女の子に言った。
「幼なじみに勝てない自分に嫌気がさして、努力する事も虚しくなってしまった、ってとこカナ。」
女の子は、口をパクパクさせるだけで声が出ない。今日事務局に来た私みたいに、胸中を当てられてぞっとしているんだろう。
「勿体ナイナー。幼なじみに負けないものを既に持ってるのに。」
「そんな事ない!私には、何もないの!」
女の子がやっと声を出した。かなり食い気味に否定している。
「勉強だってスポーツだって、私の方が先に始めるのに気付いたら追い越されて。アイツに勝つものが欲しくて、色んな事をやってみたのに、全部負けて。」
女の子の声は、段々涙声になってきている。
「アイツは器用だから、ちょっと聞くだけですぐ出来る。いわゆる天才ってやつで。でも、私はそうじゃない。悔しくて努力で勝とうと思ったけど……やっぱ才能の差は埋まらなくて。」
「そんな事は―」
無いよ、と言いかけた時に、隣りでタビが「あー分かる。」と口を挟んだ。
「自分が出来ないことをさー、あっさり出来てるの見るとテンション下がるよねー。」
「そうだよね。猫ちゃんもそう思うよね。」
「ちょ、ちょっとタビ!」
私はタビを引っ張り、小声で叱る。
「なんであんな事言うの!励まさないとまたクロワタが増えるじゃん!」
「え?だから言ってるんだよ?」
タビがきょとんとした顔で言った。
「タビは、自分より出来てる友達いたら諦めるもん。でも、おねーさんは今までやって来たこと全部頑張り続けたんでしょ。それって才能だなーって。」
「え?」
私と女の子の声が被った。
「そもそも、タビおんなじ事続けるの無理なの。希美だってそうでしょ。中学の時続けるって言ってたスイミング、半年で辞めたし。」
「なんでタビが知ってんの!中一の時まだいなかったでしょ!」
「ママが愚痴ってたよー。」
「いや、私の話はいいから!」
「そーだった。だから、おねーさんは『頑張る』の天才だなーってタビ思ったの。」
タビがしみじみというのを、女の子はしばらくぽかんとして見ていた。だが、徐々に顔がくしゃくしゃになり、やがて大粒の涙をこぼしながら泣き始めた。
「もう、大丈夫そうだ。」
局長さんが女の子のクロワタを指さす。クロワタは徐々に小さくなり、代わりにシロイトが生み出されていた。でも、女の子にまとわりつくわけではなく、そのままゆっくり消えていった。
「クロワタが最も沢山生まれる感情は、自己否定。ギョクに来ればクロワタを相殺するけど、生み出す感情自体は消せない。だから、あと一押しを私達はお手伝いしている。」
泣き止んだ女の子に、局長がクッキーを差し出した。
「もうハヲリになる事はないと思うけど、落ち込む事はあるかもしれない。もし、エナジーが足りなくなったらまたおいで。お菓子とお茶も用意しとくから。」
局長さんからクッキーを受け取り、女の子は頷いた。
「さ、あなたが目覚めなくて心配している人がいるよ。」
局員の猫がやって来て、女の子をエレベーターまで送っていった。エレベーターに乗り込み、私達に手を振る女の子の目は真っ赤だったが、どこか晴れ晴れとした表情だった。
「タビ。お手柄だネー。あの子のすっきりした顔は、とても良いものだった。」
「えへへ~。」
局長に褒められて、タビはのどを鳴らしながら顔を洗う。照れ隠しだ。努力の天才か……。
「そう思えてたら、私も……。」
「希美、どうかした?」
バリスタさんがこちらを見たので、私は首を横に振った。
「ねー局長ー。さっきの子にまた来てねって言ってたけど、迷子にならないの?」
「タビ、そこは大丈夫だヨ。彼女に渡したクッキーに、通行手形を付けたからネ。」
「通行手形?」
「んん?希美さんにはお渡ししてなかったか。」
「希美、自分でビンタして無理矢理目覚めてたもんね。」
そう言ってタビが私に定期入れを渡す。中に猫の肉球スタンプの押された券が入っていた。
「それを持っていれば、ギョクの奥地に迷い込む事はない。カクで眠れば、必ず第一地区に来れるよ。もっとも、今日自力でここに来た希美さんには不要カナ?」
「い、いえ!必要です。もらいます。」
受け取ってから、はたと気付く。これもらえるんだったら、紡にならなくても良かったのでは?だって、迷子にならないし!
「え?今日が初任務日じゃなかったのかい?」
バリスタさんが驚いて私の方を見た。
「でも、ハヲリを一人助けたんだし、結果初任務日みたいなものだよね!」
「いやいや!タビ都合よすぎない!?」
「えー、じゃあ辞めるのー?」
タビと局長がどんぐり飴の眼でこちらを見つめる。ううっ、圧が強い。
「その通行手形は紡用。ギョクで迷子にならないだけでなく、全地区を自由に行き来出来するプレミアム仕様だ。だから普通の子にはアゲラレナイナー。」
「タビ、希美がいてくれたら嬉しいよ?だから辞―めーなーいーでーよー!」
あーもう分かったわよ!今さら辞めるなんていいませんー!
「ありがとう。いやー嬉しいナ。」
局長がにこにこしながら言った。
「今日のところは、報告を受けている迷子は全て見つかったから、紡の任務もお終い。」
「待ってよ局長。」タビが言った。「希美のクロワタ、何とか出来ない?」
「えっ、私?」
「だって、希美もまだクロワタを消せてないよ!通行手形持ってたって、クロワタを抱えてたらハヲリやクビナシになっちゃうかもしれないもん。」
「クビナシ?」
「クロワタに覆われてしまった人の事だよ。ハヲリと違い、カクに戻れはするんだけどネ……。無感情、無関心、無気力の廃人になるんだナーこれが。」
「怖っ!」
「タビ、そんなのやだよう……。」
タビがしゅんとした顔で呟く。局長はふむ、とひげを一撫でしてからバリスタさんの方を見た。
「バリスタ。お前に任せたいナ。」
「わたし、ですか?」
バリスタさんが目を丸くする。タビも意外そうに、局長とバリスタさんを交互に見る。
「局長、希美の力になりたいのは山々ですが、わたしではクロワタには触れません。」
「だから、その辺りは希美さんの口から直接聞いて。おそらく、この相談はお前の方が希美さんの背中を押せる気がするんだナ。探偵事務所の方が、ここより美味しいコーヒーも飲めるし。」
「探偵事務所って?」
「わたしの住居兼事務所だよ。最近は寝る時とコーヒー豆の補充の時しか帰ってないがね。」
私の問いにバリスタさんが答えた。
「局長は、既に希美のクロワタを」
「見た。その上で、お前が良いだろうと判断したんだ。」
局長が答えると、バリスタさんはしばし考えた後、私の方を見た。
「今日は希美に助けられてばかりだったからね。お礼、と言ってはなんだけどわたしに出来る事があるならしたい。コーヒーとお菓子も出すから、良かったら一緒に来てくれないか。」
「タビ、バリスタさんの事務所行ったことない。行ってみたい!」
「勿論大歓迎です。かつおぶし湯も出せますよ。」
「希美、行こ!」
タビが私の足にしがみついた。私も、クロワタの事はともかく探偵事務所というのはちょっと見てみたい気もしている。
「決まりだね。」
バリスタさんが笑った。
「ここからさほど遠くない。歩いていこう。」
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