第5話 ワタの塊・わだかまり

 心がモヤモヤしている時は、十中八九夢を見る。今日もそうだった。目を開けたら、私は観測局の前にいた。

「希美だー!」

 声に振り返れば、タビがいた。

「もしかして、紡する気になった?」

「ち、違うよ。いきなりここに居たというか。」

「そうなの?偶然来るって凄いね。」

 まあ、密林の中とかよりはましかな。

「じゃあ、中へどーぞ。すぐカクにも戻れるけど、せっかくだし一緒にお茶でも飲んでいこうよ。」

「……うん。そうする。」

 今はなんとなく、猫に癒されたい気分だった。

「お邪魔しまーす。」

「ぎゃああああ!?」

「うわあああ!?」

 ドアを開けた瞬間絶叫されて、私も絶叫し返してしまった。そして、私の絶叫に驚いて相手はひっくり返り、その拍子に観測局のカウンターに頭をぶつけた。

「ああもう!最後の最後に人間に会っちゃうなんてぇえーー!」

 目が点になっている私をよそに、目の前の人物は頭を抱えながらその場で転がる。長い黒いローブを着ているが、胸の辺りだけ房飾りとカラフルな幾何学模様があしらわれている。顔は青銅色の仮面を付けているので、人相がさっぱり分からない。要するに、すっごい怪しい!

「あ、アナクラさんだ。珍しーね?」

 そんな様子におかまいなく声をかけるタビ。知り合いなのかな。

「ぅああ~~タビ様……ごきげんよう。」

 ちっともご機嫌じゃない声でアナクラと呼ばれた人が答えた。タビを様付けするって、この人、結構猫好き?

「どしたの?元気ないね。」

「今日は運勢が最・悪の日なのです!だのに局長に呼び出されたので、細心の注意を払ってきたのに!あーもうだめ、人間に会った、もうだめぇ。お先真っ暗です~。」

 アナクラさんはちらちらこっちを見ている。え、人間って私?私のせいでお先真っ暗とか、初対面なのに失礼!

「?あ、そっか。こっちのアナクラさん、人嫌いだっけ。」

「好き嫌いの話ではありません!お分かりですか、私はヒトに会ってはいけないのです!今日はそう占いで出て―」

「チェストーーーーー!!」

 タビはアナクラさんの言葉を待たず、いきなりみぞおち向かって突進。アナクラさんは声も出せぬまま倒れる。

「ってええええ何やってんのタビーーーー!」

 だが、驚いたのはその後。アナクラさんはタビがみぞおちにぶつかると、頭から胴体までが180度回転!胴の部分が顔に、顔の部分が胴体に変わった。

「ひゃああああああ!?」

「きゅ~……。おっと!タビ様、御機嫌よう!」

 ひっくり返ったアナクラさんは、先ほどと打って変わって表情豊か。服の模様だった部分が顔になり、房飾りが髪の毛になっている。黒いローブもなぜか赤と緑のツートンに変わっている。まるでピエロだ。

「こんにちはアナクラさん!弟さんがパニックになってたよ。」

「あ、だから僕を呼んだんだね、ありがとう!そちらは―」

「うん、タビの家族だよ!」

「これはどうも!ごめんね、弟が失礼な事言ったでしょ。人間に滅多に会わないから、出会うと過剰に怖がるんだー。」

 驚いて声が出ない私に、タビが説明する。

「アナクラさんは、1人で2人なの。顔と胴がひっくり返ると人格が変わるんだよ。」

「僕と弟は性格も顔も反対!僕はすごく人が好き!お嬢さん、出会えてよかったよ!じゃ、まったねー!」

 そう言ってアナクラは観測局を飛び出すと宙返り!花吹雪を出してその場で消えてしまった。

「ごめんタビ。あの人何者?説明してもらったけど、全然頭に入らない!」

「おや、希美ちゃん。どうかしたカナ?」

 パニックになっている私の所へ、局長が歩いて来た。

「さっきアナクラさんに会ったの。希美見てびっくりしちゃって。」

「あー、あの子は魔法使いだからネー。」

 魔法使い!?あ、でもバリスタさんも魔法使えるな。ギョクだとそういう人がいてもおかしくないんだ。

「ただ弟君は極度の人見知りなんだヨー。お兄さんは逆に人間好きすぎてすぐ口説くし。二人とも猫とは普通に話せるんだけどナー。だから許してあげて。」

「分かりました……。」

「しかし、やる気に満ちてるネー。もう紡として来てくれたのカナ?」

「違います!今日は気づいたら事務局の前にいたんです。」

「あれま。でも、紡になれば、ギョクに迷い込むたびに大声で自己紹介を叫ぶ必要は無くなるんだけどナ。」

「なんで大声で叫んでいるのを知ってるんですか!」

「へー。希美そうやってギョクから脱出してたんだ。」

 えっ、まさか、カマかけられた?局長さんはにこにこしている。ああああ恥ずかしい!

「それともう一つ。」

 局長さんの目が、すっと丸く大きくなった。

「心にわだかまりを抱える人は、ギョクに迷い込みやすく抜け出しにくい。気を付けて。」

 どくん。心臓が大きい音を立て、私は背筋が寒くなった。

「あっ!」

「わっ、何タビ急に。」

「希美、クロワタが付いちゃってるよ!」

 タビがそう言って私のパジャマのすそを引っ張った。黒い毛玉みたいなものが付いている。手でつまもうとしたら、ぬめっとした質感。噛み終わったガムみたいに、変に柔らかくて湿っぽい。

「気持ち悪っ!」

 しかも、手を振っても取れない。格闘するうちに、何だか急にまぶたが重くなり、体もだるくなってきた。おかしい、と思いつつ目をこすると見えたのは、ほのかの落胆した顔。

「なにこれ。」

 写真のスライドショーの様に、画像がどんどん切り替わる。トンネルの中の様に声が耳の中で反響する。ほのかの怒った顔、絵が破られる音、泣きわめく声。また怒った顔、破られる音。何度でも頭に容赦なく流れ込んでくる。

「チェスト―――!」

 タビの声と同時に、頬に衝撃。それと同時に、映像が途切れた。

「気が付いたね?」

 局長さんが覗き込んできた。

「大丈夫だった?うわ、汗びっしょり!」

 タビに言われて初めて、私は額に脂汗をかいていた事に気付いた。

「休憩室行こ!ね、ね!」

 半ば強引に、タビは私を休憩室に連れて行った。局長さんは私にお茶を淹れてくれた。

「希美ね、クロワタに呑まれそうになってたんだよ。」

「くろわた?」

「さっき触ったでしょ、それ。」

 タビが黒い毛玉を指さす。するとそこに、シロイトが沢山絡みついて来た。それも、かなり沢山。あっというまに毛玉を覆い隠すと、ふっとほどけてなくなった。

「えっ、毛玉ごと消えた!」

「クロワタがシロイトに相殺されたんだ。」

 局長さんが言った。

「あの毛玉、クロワタは心が止まりそうな時に生まれるんだ。無気力、虚無感、そして自己否定。シロイトと正反対の物、と考えると分かりやすいカナ。」

「クロワタもね、シロイトと一緒でギョクに流れて来るんだよ!大体はさっきみたいに消えちゃうけど。」

「なんか、頭に映像が……。」

「それは、クロワタが生まれた時の状況。クロワタを触ると、それが生まれた時の状況を追体験してしまうんだ。嫌な気分になったよねぇ。」

 ああ、だから映像を見た時に胸が重くなるような感じがしたんだ。

「希美、何かあったの?」

 タビが私を心配そうに見上げた。

「ひょっとして、紡の事?タビたち、無理に勧めたから?ごめんね。」

「ち、違う違う!ちょっと……学校で、友達と喧嘩しただけ。タビのせいじゃないよ。」

 あんまりタビがしおらしくするので、私はタビを膝にだっこして慰めた。

「シロイトにせよクロワタにせよ、普通は人が眠ると同時にギョクに流れ出し、その人の心に残る量は減ってゆく。辛い事があった時、時が解決するというのは、この仕組みのおかげなんだよネ。」

「辛い気持ちが、私の中から出てっている?」

「はい。しかし、大きなショックを受けた時は、沢山クロワタを内に抱えている。その場合、全部流れ出すより先にギョクに迷い込んでしまう。」

「さっきみたいに、クロワタとシロイトは引き寄せ合うの。だから、クロワタを持ってる人って、ギョクに来やすいんだよ。」

「そう、なんだ……。」

「ただ、悪い事ばかりでもないんだよネ。」

 局長に笑みが戻る。

「シロイトは、先ほどのようにクロワタを相殺する。そして、ここには、カクで生まれた全てのシロイトが集まる。一人が抱えるクロワタと、カク全体のシロイトなら、どちらが多いか言うまでもないよネ?」

 局長の問いに、私は頷いた。しかし、私の指先にはまたクロワタが出てきた。そしてシロイトがまた絡んで来る。

「どうやら、希美さんの場合はもう一押し必要みたい。ただそれは、ギョクでは出来ないみたいだなぁ。」

「えーっ。タビ、希美が元気にならないまま帰るのやだー!」

「局長さん、いますか!」

 休憩室のドアが勢いよく開いたと思ったら、バリスタさんが飛び込んできた。

「おやおや?何かあったかな?」

「申し訳ない、追っていた迷子を見失ってしまって。その人、ハヲリになりかけているんです。」

 ハヲリ、の言葉に局長とタビの顔に緊張が走ったのが分かった。

「バリスタ、追っている人の情報を見せてくれ。」

 局長にバリスタさんがスマホを見せた。

「……迷い込んで12日か、確かにそろそろまずい。だが、今紡は全員出ているから、局員を3人つけよう。」

「待って局長!もっといい方法があるよ!」

 タビがすっくと立ちあがった。

「希美、バリスタさんと一緒にハヲリ探し手伝って!」

「えええ!?私!?」

「―あれ、希美じゃないか!」

 バリスタさんは私の顔を見て、はっとした顔になった。

「ひょっとして……紡になったのかい?」

「あ、ちが―」

「そうだよ!今日が初任務!」

 ちょっとタビ!私はやるなんて言ってないよ!だが、私に口を挟む余裕を与えないほど、タビが一気に話し続けた。

「シロイトが見えるし、今までも自力でギョクから脱出してるし。普通カクの人はギョクの事を信じないけど、希美はタビやバリスタさんの話も信じてくれてるし!あと、タビにいつもカツオ節を多めにくれるし。」

 いや、最後はギョク関係ないし!

「確かに、シロイトを解く手は慣れたものだったね。」

 バリスタさんが私を見る。

「希美。巻き込んで本当に悪いのだが、一緒にハヲリを探してくれないか?」

 私に申し訳ないという気持ちでいっぱいなのが表情からひしひしと伝わってくる。その横で、ムカつくほどしたり顔のタビ。あーもう、分かったわよ!

「出来るかどうか分かんないけど、手伝います。」

「ありがとう!」

 バリスタさんの顔がぱっと明るくなる。タビがにんまりする。

「じゃあバリスタさん。タビも付いてくから、見失う前の所まで連れてって!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る