第3話 可愛い猫と目覚ましの一杯
着いた町は何とも不思議な場所だった。町の風景は割と普通なのだが、行き交う人にはちょんまげに袴姿の男性もいれば、フリルがいっぱいのドレスに身を包んだ女性もいるし、タンクトップに短パンという少年もいる。
「中心街は、カクの人から見ると特に奇妙に映るそうだ。時代も国も混ぜこぜだ、とね。」
「この車も、馬車や駕籠と一緒に走ってるもんね。」
私は車の外を見ながら言った。
「走ってる車もちょっとレトロなのが多いよね。」
「そうだね。第一地区はどこも懐かしさを覚えるとカクの人は言う。そういう気持ちのシロイトが集まって出来た町なのだろう。」
バリスタさんが答えた。
「シロイトは、似た性質同士が集まりやすいのだよ。どんな感情のシロイトか、あるいは何を見て生まれたシロイトか、とか。」
「じゃあ、逆にSFを見てカッコいいと思ったら、近未来っぽい街が出来る?」
「そうだね。実際、ギョクにもある。」
「へー!ちょっと見てみたいかも。」
私がそう言うと、バリスタさんが少し困った顔をした。
「わたしが同行したとしても、少々危ないな。そこは先ほどのジャングルより、さらに迷子になりやすいのだよ。訪れるなら、それこそ橋渡し猫の力を借りなくては。」
「橋渡し猫。さっきも言ってたけど、何それ?」
「一言で言えば、夢の水先案内人だ。―あ、見えてきた。」
前方に現れたのは、レンガ色の壁に淡い緑色の屋根が乗った、明治時代の洋風建築っぽい建物。二階建てで横長だから、最初は学校かと思ったけど、その後ろにあるものを見てすぐ違うと気付いた。同じレンガ色の壁をした、天に届くほどの高い塔が建っていたのだ。車からだと、てっぺんが見えない。
「あれが、橋渡し猫の観測局だ。ギョクで迷子になったカクの人間がいないか、24時間観測している。そして、見つけたら元の世界に戻す、つまり起こす仕事をしている猫たちが働いているよ。」
「えっ。私、猫に起こされた事なんてないよ?今日みたいに木から落ちる夢だって何度もみたのに。」
「あの森から自力で戻れたのかい?すごいね。」
バリスタさんが目を丸くしながら、車を停めた。私が降りると、バリスタさんは車を消し、観測局のドアを開けた。エントランスにはホテルのようなカウンターがあり、猫が一匹、そこに座っている。バリスタさんに付いて近づいた私は思わず声を上げた。
「タビ!?」
「えええ!?希美!?」
カウンターにいたのは、うちで飼ってる1歳の雌猫、タビだった。体は真っ黒なのに足先だけ白くて、足袋を履いてるみたいだからとお母さんが名付けた。そのタビがなぜここに!?そしてなぜ喋れる!?
「ほっほ。賑やかだと思ったら。」
落ち着いた男性の声がした。が、やって来たのは勿論人間ではなく猫だった。ただ、凄く大きな茶トラの猫。タビも一応大人の猫なのだが、その二倍ほどはある。しかも、よく見たら、しっぽが二又に分かれてる。これは、もしや……
「はじめまして、局長のコテツです。この妖怪になにかごようかい?」
「わー!局長親父ギャグー!」
ケラケラと笑うタビ。私は全然笑えないぞ。目の前に喋る飼い猫と妖怪を名乗る猫がいて、頭がショート寸前だぞ。
「魔法使いと聞いてもあまり驚かなかったのに、タビさんには驚くんだね。」
「何て言うか、中途半端にリアルだから。魔法使いは現実にはいないから、ああこれは夢で、私の頭が作ったなって思うけど、タビは現実にいるもん。喋らないけど。」
「喋らないんじゃない。人間の方がタビの言葉を分かんないだけだもん。」
タビがわざとらしくため息をついた。「ギョクだと通じるんだけどなー。」
「タビもギョクとか知ってるんだ。」
「え?希美も知ってるの?なんで?」
「バリスタさんに教えてもらった。」
「タビさんを見た反応を見る限り、まだ半信半疑のようだがね。」
「あっ、ごめんなさい……。」
「いや、謝る事じゃないさ。」
私はバリスタさんが気を悪くしたかもしれないと思ったが、バリスタさんは笑っていた。
「希美からすれば、寝ている間に異世界旅行をしているという事だからね。実際、今まで助けたカクの迷子は皆、わたしの話を信じなかった。」
「本来、カクからギョクに迷い込んだ人間を探すのは観測局の仕事なんだが、最近は人数が多くて手が回らなくてネー。バリスタ、いつもありがと。」
「大した事はしていません。局長はわたしの……六倍働いてますし。」
バリスタさんは、なぜか観測局の奥を見ながら言った。視線の先には、せわしく動き回っている猫たち。局長にそっくりの猫が六匹いる。
「……兄弟が沢山いるんですか。」
「違うよ希美。あれ局長の分身。」
「ええ!?」
「妖怪だからネー。観測局は常に担い手不足だから、こうやって補ってるんだヨ。」
局長がまたほっほと笑った。駄目だ、頭がまたショートする。
「しかし、まさかタビの飼い主さんに会えるとはナー。ささ、こっちへ。」
局長は私達を奥に案内してくれた。中には猫が沢山いて、書類を作ったり、地図とにらめっこしていたり、電話で誰かと話したりしていて、人間みたいだ。その脇を通って、局長さんは建物の奥にある、大きな扉の前に私達を連れてきた。中に入ると、そこは。
「……猫カフェ?」
「違うよ。ギョクに迷い込んだ人の為の休憩室。」
タビはそういうけど、私には猫カフェにしか見えない。広々とした部屋の中にはテーブルがいくつもあり、猫と人が自由にくつろいでいる。中央にドリンクと軽食が用意されていて、自由に取っていいらしい。
「わたしが取ってくるから、局長さん達はかけていてください。いつものでいいですか?」
タビたちが頷いた。え、この三人そんなに親しいんだ。
「希美はどうする?ジュースとお茶とコーヒーがあるけれど。」
「あ、じゃあコーヒーで。」
「分かった。」
「希美―!ここ空いてるよ!」
タビがテーブル席の一つに座っており、隣りの椅子をぽんぽん叩いている。私はそこに座ろうとして、何かに足を取られた。
「あーっ、またシロイトだ。」
イライラしながら私はシロイトを手で引きちぎる。一回ちぎって解ければ、あとは自然に消えていく。変な糸だなーと思っていたけど、バリスタさんの説明から考えるに、おそらく空気中にまた漂うのだろう。そして、似たシロイトが沢山集まったら、植物なり動物なりが生まれるのだろう。
「だったら、早く糸以外のものになってよね。」
ため息をついて椅子に座り直した私を、タビと局長が目を真ん丸にして見ていた。
「え?何、タビどうしたの。」
「希美……自力でシロイトちぎれるの?」
「う、うん。出来るけど。夢見るたびに絡まってくるから、慣れた。」
私が答えると、局長とタビは顔を見合わせた。え、何なの、不安になるじゃん!
「希美ちゃん、だったカナ。シロイトを振りほどくのは、なかなかカクの人間には難しいの。」
「え……。確かにバリスタさんから、絡まっても気づきにくいとは聞きましたけど……。」
「そうそう。そもそも、見える人自体少ないからネ。」
そうなの?確かに蜘蛛の糸みたいに、細くてちょっと見えにくいけど。
「すごいね希美!希美には紡の才能があるって事だよ!」
「つむぎ?」
「簡単に言うと、夢から目覚める能力が高いカクの人、という事だよ。」
局長が代わりに答えたところで、バリスタさんが戻ってきた。
「来る途中で希美に聞いたけれど、以前から自力で第二地区から抜け出した事があるそうですよ。」
「えっ、そうなの希美!?」
タビがまた私を見て目を丸くする。ちょっと、私第二地区もどこか分からないよ。
「さっきまで居た森のエリアだよ。海や湖もあるんだがね。」
「ギョクは、大きく四つのエリアがあってネ。ここは第一地区、カクによく似たエリア。第二地区は自然が美しいけど、人間にはキビシイ。第三地区はロボットやアンドロイドの暮らす近未来都市。第四地区は魔術師と幻の街。あ、おとぎ話エリアって言うのが分かりやすいネ。」
局長が説明してくれた。
「第一地区に落っこちた人なら、迷い込んでも自力で起きれる事も多いけど、第二、第三は難しい。第四ともなればほぼ無理だネー。」
「だから、観測局は24時間迷子がいないか見張ってるの。で、見つけたら橋渡し猫の出番!」
タビが誇らしげに言った。
「猫は、ギョクとカクを自由に行き来できる生き物なの。だから、ギョクに迷い込んだ人達を送り返すお仕事をしてるんだよ。タビもね、局長にスカウトされたんだー!」
「タビさんは仕事も速いし、ギョクの住民との関係もとても良い。まだ日は浅いけど、期待の新人だ。」
局長に褒められて、嬉しそうに喉を鳴らしているタビ。家ではいたずらばかりする困ったちゃんなんだけどなー。
「ただねぇ、我々猫の力だけでは解決できない事もある。それが、ハヲリなんだ。」
「ハヲリって、シロイトで覆われて、夢から出られなくなった人?」
「おお、正解正解。」
「さっき、バリスタさんから聞いて。」
「一度で理解したの?素晴らしいネー。」
思わずにやけそうになる。この局長、褒め上手だ。
「シロイトまみれぐらいなら糸をちぎればいいからネ、我々でも何とかなる。でも、ハヲリは一見すると普通の人間と見分けがつかない。」
局長がため息をついた。
「名前の通り、シロイトで出来た服を羽織る事で別人になっているんだナ。本人は自分が何者かを忘れてて、自分が迷子である自覚もなし。」
迷子の自覚がない人が、おうちにちゃんと帰れるわけがないよね。
「だが、迷子の数は多い。我々は匂いの差でハヲリかどうかを区別するけど、手が足りない。人が多いエリアでは、匂いも分かりにくくなるしネ。」
「せっかくシロイトを取ってあげようとしても振り払われることもあるんだ。猫と人じゃ、力で負けるし……そこで紡の出番!」
タビが私を指さした。
「紡は一目でその人がハヲリかどうか分かるんだよ!観測局にはね、紡の人も何人かいるよ。でも~、少ないんだよね~。」
「そうだネー。常に、人材不足。何せ、カクの人しかなれないから。」
タビと局長がそこでさっと私の目を見て、首を傾げた。
「ね、希美!タビと一緒にお仕事しようよ!」
「タビさんの飼い主さんなら、安心だナー。」
「……………いやいやだめですって!そんなの私にはむーりー!」
猫の可愛さに、危うく首を縦に振るところだった。タビがこちらを穴が開くほど見つめる。駄目―!心が揺らぐ!そうだ、この夢から覚めれば逃げられる。
「ええーい起きろ私―――!」
私は自分で両方の頬を思いっきり叩いた。その拍子に、ひじをコーヒーカップにひっかけ、スカートにコーヒーをぶちまける。
「あっつうう!?」
コーヒーの熱さにびっくりし、さらに叫んだ自分の声にびっくりして、私は飛び起きた。
「……起きれた!」
周りを見れば、私の部屋。窓からは朝日が差し込んでいる。良かった、ちゃんと現実だ。
「今日は一段と長い夢だったなー。」
寝ていたはずなのにちょっとくたびれてすらいる。二度寝したい気持ちを抑えてベッドから出て着替えようとして、パジャマに違和感。
「……あ。」
パジャマのズボンのポケットに、バリスタさんからもらったビスケットが入っていた。まさかと思って脚を見ると、コーヒーをこぼしたところが赤くなっている。
「あれ、本当だったの?」
ギョク。寝ている間にだけ行ける、もう一つの世界。現実は小説よりも寄なり、だった。
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