第2話 上田の炎縷々探検記

 日本、羽田空港からホノルル行きの直行便で約8時間。

 上田は常夏の国ハワイに降り立った。

「ダニエル・K・イノウエ国際空港……。いつ聞いてもこれがハワイの玄関口なんて思えないな。」

 上田は不機嫌そうに呟いた。

「アロハ~!」

 不機嫌な上田に対して、現地人はご機嫌に話しかける。主要都市へ向けて、観光客たちを運ぶ仕事の人々だ。

 現地人が着ているカラフルなアロハシャツのようにその口調は元気ハツラツである。一方、スーツを着た警備員などはブスッとした表情を浮かべ周囲を見渡している。

「彼らは、服が本体なのかもな。」

 上田はニヤリと笑みを浮かべながら、出口に向かった。

  「やはり暑いな…」

 上田は照り付ける日差しにたまらず、グレーのジャケットを脱いだ。

 普通の観光客であれば、ご機嫌な人々に連れられ、ホノルルの市街地へ向かい、ホテルで荷物を置き、花で出来たレイを首から下げながら、アロハ~といいつつ、海へ飛び込んでいるだろう。しかし上田はハワイにバカンスで来たわけではない。早速、目的地に向かった。


 上田が向かったのは、ルルマフ滝である。

 ルルマフ滝に行くには、非公式のトレッキングコースを上る必要がある。

 このコースのスタート地点へはホノルル市街地から車で約15分。ヌアヌ貯水池を目指し、パリハイウェイを走れば、着くことができる。

「このコースには、正解の道にピンクのリボンが結ばれており、それを目印に行けば、足元こそ悪いが、ルルマフ滝に着く。」

 上田は右手に持ったスマートフォンで調べた記事を読み上げた。そして目の前に釣り下がったピンクのリボンを手に取った。

「…しかし、目印はもう一つある。」

 上田は視線を少し先の木の枝にあるオレンジのリボンに視線を移した。

 このリボンの先に、上田の目的地がある。

 ホノルル・ウォーターシェド森林保護区から続く熱帯雨林の奥、かつてハワイの占領に失敗し、森の奥に逃げこんだ日本兵が現地人と築いた集落「もう一つのホノルル」が。


 「……着いた。あった、あったぞ……!」

 オレンジのリボンをたどり、上田はそこにたどりついた。

 沖縄を思わせる朱色の門の立て札には少しかすれた字で確かに「炎縷々」と書かれていた。

「……入るか。」

 上田は門を開けた。

 「アロハ~!」

 上田は突然の一声に驚いた。見ると、褐色の肌に黒髪の女性がこちらに手を振っていた。

 アジアンビューティーという言葉が似あう艶かしい女性だった。

 植物で作った、とスカートを着ているのみであり、普段から女性との接点がない上田にとって、余計に緊張が加速した。

「こ、ここがあの炎縷々なのか?! あ……キャンユースピークジャパニーズ?」

「……?」

 女性は子どものように首を傾げた。20代の女性がその仕草をすることに上田は改めて自分が異国の地にいることを痛感した。

「オニイサン、ニホンジン?」

 つたなく聞き取りづらかったが、聞き覚えのある言葉の流れに気付き、上田はとっさに返答した。

「あぁ!日本人だ!日本語が話せるのか!?」

「ワタシ、ニホンジン、ウエダ。ニホンゴ、ワカル?」

 言葉が通じるかもしれないという嬉しさで早まった自分に気付いた上田は冷静に、目の前の女性と意思疎通を図った。


「ウエダ、ニホンジン。ウエダ、ナカマ!キョウ、タイセツナヒ!」

 女性は嬉々としながら、上田の手を引き、集落の中心部に連れて行った。

 上田が連れて行かれた先では、たくさんの人がいた。

 おそらく集落の中心部、真ん中にはキャンプファイヤーのような大きな火を焚いていた。

 上田の手を引いた女性と同じような人々がその火を囲んでいるのが見えた。

「これは……。キョウ、ナンノヒ?」

「キョウ、オマツリ。カミサマノタメ。」

「カミサマ、ナマエ、オシエテ。」

「繝偵ヮ繧ォ繧ー繝?メ=繝壹Ξ」

 上田にはその名が分からなかった。聞こえてはいた。しかし、頭がその名を認識出来なかった。

「ホラ!コッチキテ!」

 上田がもう一度問いかける間もなく、案内人の女性は上田の手を引き、火の方に近づいていった。

 近づいてみると火の周りにいた人々は、食事や飲み物を楽しみながら、歓談に耽っていることが分かった。

「アラカイ、ソレダレ?」

 女性に話しかけた男の子は木の実の殻のようなもので出来た入れ物から何かを飲んでいた。

「モハイ、コレ、ウエダ。ウエダ、ナカマ。」

 女性の名前はアラカイで、この男の子はモハイというらしい。

「ウエダ、コレ、ノメ。ウマイ」

 差し出された入れ物の中の液体が何であるかはわからない。液体に粘性はなく、果実の甘酸っぱい匂いをかすかに感じる。

 ピンとは来ないが、嗅いだことはあるような気がしたため、上田は恐る恐る口をつけた。差し出されたものを飲まないというのは、せっかく出来かけた友好関係を壊してしまう行為だと思ったからだ。


 飲み物を口に含む。


 匂いにもあった果実の甘みと酸味が口に広がる。口の次は鼻腔に匂いが上り、液体は喉へ流れた。

 熱帯雨林のトレッキング、途中で水分補給をしていたが、上田の体に水分と糖が供給され、格別な幸福感が広がりかけた。

 鼻腔に立った匂いは、鼻の粘膜を刺激し、飲み物が通った喉は、痛みを覚えていた。

「ブッ!酒じゃないか!」

 上田は下戸である。子どもから手渡されていたので、まったく想定していなかった。

 そうだ、思い出した。嗅いだ時の感覚は大学生になりたての頃に背伸びして、ワインを飲んだ時の感覚にそっくりだった。

「オイシイ、デモ、ビックリシタ。」

 上田はとっさに取り繕う。しかし、モハイもアラカイも表情はあの温和なままだった。二人ともユックリノメと言っていた。

 上田はほっとしながらも、久しぶりに飲んだアルコールを感じていた。猛暑で、汗をかいた状態で飲む酒、アルコールに弱い上田にとって一口でも、酩酊状態に近い状態になっていった。

「熱い、体が熱い……。酒が、まわる……。」

 少し視界がフラフラとしてきた。目の前にいたモハイも揺らめいているように見えた。

 そして今まで見えていた色彩に一色が加わっているように見えた。

 森の緑、褐色の肌と地面、髪の黒、炎の赤、そして揺らめくマゼンタ色。

 上田は目をこすった。なぜ自然の中で、こんなパステルな色彩が目に映るのかと、自分はどこまで酔ってしまったのかと。

 しかし何度こすっても、しっかりと見えていた。

「モハイ、コノピンク、ナんだぁ!モハイお前どうした!」

 何事かとモハイに話しかけた上田が見たのは、上半身がピンクに包まれたモハイだった。

 そのピンクもまた揺らめいており、それは炎のように見えた。またモハイの目尻や口元からもピンクの炎が噴き出していた。

 モハイだけでなく、周りで宴会をしていた人々も燃えていた。

「集団人体発火だと……!?このままじゃ大規模な山火事になっちまう、俺も焼け死ぬ!」

 逃げようとする上田に、またアルコールの熱が襲い掛かる。上田は衣服を脱ぎながら、どうにかこの熱さから逃げようとした。

 しかし、熱さはどんどん増していった。上田は上昇していく自分の体温に苦しみ、熱い、熱いと呻いていた。

 体温の上昇は収まらず、ついに呻きが叫びに変わった。

「熱い!」

 叫んだ瞬間、自分の中で何かが爆発した感じがした。

 先ほどまでの熱さはもうない。しかし、視界の揺らめき具合は増し、先ほどまでのカラフルな視界は一面ピンクのレイヤーが差し込まれたようになっていた。

「ウエダ、エラバレタ。」

 上田の体もピンクの炎に包まれていた。

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