闇のなかに、太鼓ドラムの規則的な音だけが響いている。

 祭りを行うと思しき集落の広場では、何人かの島民が準備を執り行っているようだが、ほとんど何も見えなかった。


「これ、ホントに何かやってんすか~? 全然見えねーんすけどお」


「マジで祭りなんて感じじゃないすけど。失礼すけど、勘違いじゃないすか」


 ジャングルの草いきれの中から、学生たちが不満を漏らす。

 俺は木の陰に隠れ、だらだらと額から垂れる汗を拭いながら目を凝らしていた。

 てっきり、俺たちがホテルから消えたことで何らかの混乱が生じていると思ったんだが。もしくは、まだ気づかれていないだけなのか……?

 それか、すべては俺の思い過ごしで、彼らが待ちに待っていたもの――つまり、なんて絵空事に過ぎないか、だ――。

 脳内で、今までの情景が浮かんでは消える。杞憂だったのか? 彼らは単なる善良な住人だったのか?

 いや、いずれにせよこのままホテルに戻る手はない。ここまで来たんだ、儀式の正体をあばくほかないだろう――。

 ますます滴る汗を拭いながら、決意を固めた瞬間。


 ふっと、広場に火が灯る。広場の外周に置かれた松明たいまつがあかあかと燃え、彼らの姿を鮮烈に照らし出していた。

 俺たち全員の視線が、そこに集まる。

 いつの間にか、広場の周囲には大勢の島民が詰めかけていた。誰もいないと思っていた闇の中には、いつの間にかこいつらが一言も発さず集まっていたのだ。

 そして、群衆がかこむ広場の中央には、簡単な舞台がしつらえられている。

 その舞台の中心に、一人の女が立っていた――いや、女かはわからない。ただ、揺れる長髪のために女に見えただけだった。

 だがその長髪はよく見ればかつらのように頭上から被っているもののようだ。そして、その人間の顔には、仮面が嵌められている。

 それは、尋常な仮面ではなかった。

 仮面を用いる儀式は少なくない。その多くは、人の身に神や悪魔、死者などの人ならざるものを降ろすためのものであり、仮面の顔貌は派手にメイクを施されている。そして仮面で聖なる存在になりかわった者たちは、彼らとして振る舞うことで文字通り神話や伝説を再現するのである。

 しかし――その仮面に描かれていたのは、女の顔であった。黒い絵筆で、簡潔にしるされた女の顔には何の装飾もなく、それがかえって儀式の異様さを際立たせた。

 人間が、女の顔を嵌めて、何かをうたっている。

 すると、もうひとり傍らから舞台に上がる人間がいた。その男は、ボウルのような金属の帽子を被り、黄土色の動きやすそうな衣装を纏っている。男は、しきりに大声で何かを叫んでいた。

 その声を耳にして、気付く。彼は、昼間に観光客らを案内したガイド役の青年であった。

 青年はひとしきり大声で何かをそらんじると、やにわに女の方へと走っていく。それに呼応するように女も駆け出し、次の瞬間、ふたりは舞台の真ん中で衝突した。

 勢いで青年は舞台に倒れ、その顔の上へと女が尻を載せる。

 その様子を見るや、島民たちは低くくぐもった歓声を上げた。


 理解できない。


 それは、とても神話や伝説の再演には見えない。理解できない論理に支配された舞台で、二匹の獣が唸り、猛り、躍り狂っている。

 だが、俺の中では点と点が繋がっていた。夕刻の出来事――。

 曲がり角から飛び出して、顔の上に尻餅をついた女。男は、彼女が俺を絞め殺そうとしていたのではないかと疑っていたが――、

 。この島では、相手を転ばせて顔の上に尻を載せるというあの行為、あれこそが「もてなし」なのだ。


『ワタシ、ココでお客さんをとしてたんですケド……』


 女の言い訳は、嘘偽りのない真実であった。

 そして、


 理解できない、理解できない、理解できない。


 この島の人間の思考は、まったく理解できない。この行為がどんな理由から生まれたのか、想像だにできない。

 同じ人間のはずなのに、まったく異なる生物としか思えない――嬉々として奇態を演じる彼らは、今までに見たどんなホラー映画よりもなまなましい実感を伴って俺の背筋を寒くさせた。


 儀式は、ますますヒートアップしていく。太鼓のリズムが速まるとともに、仮面の女がもうひとり登場する。今度の女は白っぽいワンピースに似た衣装を纏い、一人目の女とは微妙に異なる仮面をつけていた。

 ワンピースの女は青年を指差し、憎しみの籠もった声を上げる。ところが、かと思うと彼らはいきなり来ていた衣装を脱ぎ捨てて、舞台の端に置かれていた木桶から水を掬って掛け合い始めた。

 さらに太鼓がテンポを速める。もう一人女が登場し、舞台へと上がる。女がやはり衣装を脱ぐと、青年が女を指差し、獣のような雄叫びを上げる。青年の顔に舞台袖から赤い液体が掛けられ、顔面からぽたぽたと血のようなしずくを垂らす。

 いつしか、島民たちは口々に何かを叫んでいた。熱帯夜の底に、狂騒がこだまする。


『コトニ様!!』


『ミォ・タソ!!』


『マナ!! マナ!!』



 狂っている。


 背中が、びっしょりと脂汗で濡れているのが分かる。

 昼間に俺たちを歓待してくれた、優しげな島民たちの姿はそこには無い。

 ただ、理解できない習俗に酔い、異様な興奮状態に包まれる獣――。


 太鼓はいよいよ盛り上がり、人々の静かな興奮も最高潮に近付いていく。

 そして、ついに――青年が、懐から大ぶりなナイフを取り出した。

 ああ――やはり、そうだったのだ。

 確信する。俺の予想は間違っていなかった。

 この儀式は、生け贄を「神」に捧げる忌まわしい儀式であったのだ。彼らは、この瞬間をこそ待っていたのだ。

 ナイフは日本刀のように細長く、松明の光を跳ね返して妖しく光っている。

 青年はそれを女たちに見せつけるように振りかざしていた。


 その時、がさり、という音が背後から響いた。

 ぎょっとして振り向く。

 大学生のひとりが、地面にへたり込んでいた。腰を抜かしたようだ。

 まずい――。

 俺は慌てて前を振り向く。


 島民たちの視線が、一斉にこちらへと注いでいた。

 大量の瞳は見開かれ、松明の光を映して獣のように輝いている。

 きゅっと、呼吸が止まりそうになる。

 全身が総毛立ち、本能が、今すぐここから逃げろ、と警告を発する。


 ――いや、駄目だ。

 ここで逃げたら、追い込まれるだけだ――。


「みんな、突っ込め!

 あの奥の『神殿』に、きっと儀式のキーがある! そこを抑えるんだ!!」


 大声で叫んだつもりが、恐怖のためか上擦った声が絞り出されただけだった。

 だが意味は通じたのか、何人かの学生が立ち上がり、大声を上げる。


「は、はい! い、行くぞぉ!!」


「うおっ、儀式がなんだってんだよ!」


 俺たちはすばやくジャングルから躍り出ると、とっさに身動きの取れない島民たちの隙をついて舞台の上へと跳び上がった。

 舞台の中心では、青年と四人の女たちが俺をきっと睨んでいる。

 そしてその奥で――「神殿」の門はぽっかりと口を開けていた。

 俺は彼らを突き飛ばし、くろぐろと闇を湛えたその入り口へと突き進む。


「ダメ、ソコはマコトたちのイエ! 『キオコ』のホカは、入ってはナラナイ!」


 青年が金切り声を上げるが、構っていられない。

 俺は、「神殿」の門をくぐり抜けた。


 そして、そこで――硬直する。

 「神殿」の中には、礼拝堂のような空間が設けられていた。

 背後から漏れる松明の光が、その奥の壁をほのかに照らす。

 粘土質の土を固めて作った、その壁にあったのは――壁に打ち付けられた、白骨死体だった。

 骸骨は、まるで聖画でも飾るように、正面に掲げられている。

 あまりに異様なその偶像の下には、祭壇がこしらえられていて――そこには、古びたヘルメットと軍服、手帳のようなもの、そして――古めかしい日本刀が祀られていた。

 やはり、俺の想像は間違っていなかった。

 フル回転する俺の脳内で、パズルのピースが、ぱちりぱちりと嵌っていく。

 この島の「神」とは、かつてここに流れ着いた日本兵。きっとその日本兵は、慣れない異国の地で飢えに苦しみ、「肉」を求めて死んだのに違いない。

 当時の島民たちは、彼方より島に流れ着いたその日本兵を神と勘違いし、彼を崇拝する独自の信仰体系を築き上げていったのだろう。想像だが、その男はよほど魅力的な弁舌を備え、島民たちをたちまち魅了したのではなかろうか。

 そうしてみると「守護者」の四人の女とは、島民から彼に捧げられた最初の供物――つまり、人身供儀じんしんくぎだったのだろう。

 祭壇に祀られるあの刀こそ「神」が使った刀――すなわち、供物をさばく祭具に違いない。

 やはり、この儀式は「神」に血肉を捧げる儀式にほかならなかったのだ。

 そして、彼らが待ちに待っていたという、は――。


 俺は素っ頓狂な叫び声を上げて「神殿」から逃げ出した。

 後ろからは、島民たちの猫撫で声が響く。


「ドーしたんデスかーっ、お客サーン」


「ナンデ逃げるンデスカーッ、何もコワイことナイですヨーッ」


 そんなことを言いながら、ナイフを片手に俺を追う島民の姿が俺はありありと想像できた。


 嫌だ……こんな島で、死ぬのだけは嫌だ!


 夜のジャングルを、俺は走り続ける――。

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