⑤
「この島にいたらまずい」
俺は、ホテルのラウンジでそっと切り出す。
周囲にいるのは、一緒に島に来ている観光客たちだ。
「はぁ? どーいうことすか」
「急にみんな集めたと思ったら何言ってんすか。ちゃんと説明してくださいよ」
大学生が、口々にブーイングをする。
男は彼らが静まるのを待ち、そっと切り出した。
「……俺も、はっきり分かっているわけじゃない。ただ、この島には変なことが多すぎるんだ」
男は、島であったいきさつをぽつりぽつりと語った。
「特に、これから集落で開かれるという『祭り』……、
これは『神』が欲する何かを捧げる儀式だと言うんだ。島民たちは、その何かを今日まで待っていたんだそうだ。
そして、そのタイミングで招かれた観光客の俺たち……。
思うに、『神』の欲する何か……彼らが今日まで待ち望んでいたというそれは……俺たちのことなんだ。
なぜなら、彼らの言う『神』とはきっと、かつてこの島に流れ着いて飢えに苦しんだ……」
「え~、祭りっすか!? ヤバ!
そんなの絶対観たいに決まってるじゃないすか! 行きましょうよ」
大学生のひとりがいきり立つ。
「いや、話聞いてたのか!?
祭りは島民以外は立ち入り禁止で……」
「それはアレっすよ、ノリでいけますって。
オレ、結構そういうの得意っすよ」
若者たちが一斉に盛り上がる。
陽キャの陽っぷりに愕然とするが、考えてみると存外悪くない案であることに気が付いた。
このままこっそり桟橋へ行ったところで、船を操縦できる人間などいないのだから意味がない。
それより、こっそりとホテルを脱走し、島民の裏をかいて祭りの会場である集落へと乗り込んでいくのは手ではないか。
うまくいけば、俺が考える「祭りの秘密」を奪い取り、島民と交渉するカードに出来るかもしれない。
「……そうだな、祭りに潜入するのは悪くない……行くなら、今だ。
あなた達は?」
俺は、ほかの観光客に目をやる。
家族連れや夫婦は遠慮がちに目を逸らした。老婆は俺の言葉が聞こえなかったのか耳に手を当ててふがふがと口を開いていた。入れ歯はまだ見つかっていないらしい。
もっとも、俺自身も荒唐無稽な話とは自覚している。信じてもらえずとも無理はない。
「……わかりました。では、俺とこの学生グループで祭りに向かいます。
バレないよう、ジャングルの中を進みましょう。
残りの人たちは、一箇所に固まって警戒を怠らないようにしてください」
学生のひとりが、「なんか映画みたいでカッケー」と笑った。
**
そんなこんなで、島での生活もはや半年。揺れる誠の恋心をよそに、開拓は順調に進んでいく。
かつて簡素な木造りであった誠の拠点は立派な土壁造りとなり、その大きな建物は誠とマナと京子の住む「家」になっていた。
今や畑の開墾も十分であり、森で軍刀を振るって獣を狩っていた時代ももはや懐かしい。だが――京子は、内心で複雑な思いを抱いていた。
(誠くんと、ふたりで密林を駆け回ってた頃の方が、楽しかったな……)
京子がこんな事を考える自分に自己嫌悪を抱いていたそんな折、ふたたび事件は起きた。
島に、新たな漂着者が現れたのである。
彼女は、自らを
「アンタ達、わたしが誰だかわからないようだから教えてあげるけどね……。
戦後の日本経済を牽引するあの
「
「うーん、聞いたことあるようなないような……」
「よくワカラナイですけど、この島じゃ関係ないデース!」
「こ、このわたしを知らない……!?
あ、あ、アンタ達、信じられない……!」
それから、琴音との生活が始まった。
しかし誠らに悪態をつき、集団に交わろうとしない琴音。だが、そんな彼女はある日危機に見舞われる。
島を脱出しようと、ひとりで
誠を前に、始めこそ気丈をよそおっていた琴音だったが――誠の優しい言葉に、ついに堰を切ったように涙をこぼす彼女。
それを切っ掛けに、彼女の態度は軟化を見せる。
やがて、誠自身もうすうす理解しはじめていた。
琴音もまた、あの日の誠のように、他人を突き放すことでしか世界と関われない人間なのだ。
そうして誠は、彼女のとげとげしい態度の裏に見え隠れする本心に気付き始める。
「……ほらっ、お弁当。
アンタのために作ってあげたのよ、感謝しなさいっ」
琴音が巨大な重箱をこちらに差し出してくる。
「……って、何だコレ!? おせちじゃないんだから……」
「えっ……」
誠の言葉に、琴音の頬が紅く染まる。
「……わ、わかんなかったのよ! こういうお弁当って、作ったこと無かったからっ……
…………やっぱり、これはアタシが食べておくわ。アンタは……」
「何言ってんだよ。食うにきまってんだろ。
一生懸命作ってくれたんだろ? 手が傷だらけじゃないか」
さらりとそう言って、誠は琴音の頭をぽんぽん叩く。
「ありがとな、
誠が声をかけると、琴音の顔はますます紅潮するのであった。
だが、そんな誠らの平穏な日常にもふたたび事件が起きる。
旅行の果てに島に辿り着いたという、
無口で感情を表に出さない彼女だったが、いつの間にか誠ら開拓団の一員に加わり、恋の五角関係はますます複雑なものへと変貌していく……。
「って、何だこの気持ち悪い設定は! 肉欲丸出しか!?
これだけの女に囲まれて、まるで回教の
思わず叫んだあと、
既に手元のサクサクは全て食べ切り、枯れ葉を噛んで口内の渇きを忘れるしかない状況であった。全身は鉛のように重く、呼吸するだけで渇いた喉がきりきりと痛む。
誠はくらくらとする頭を抑えながら、手元の手帳をぼんやり眺めた。手帳には、マナと琴音、澪の顔と服装の設定が事細かに書き込まれている(残念ながら画力が足りていないが)。
これが、俺の本当に望んだものなのか。
女に囲まれ、豊かな島で都合の良い生活を送る、こんな醜悪な
そう、思ってはみるものの――同時に誠は、それをすんなりと受け入れている己れにも気付いていた。
砂浜で力尽き、この手帳を取り出してからわずかに三日ばかりしか経っていなかったが、すでに誠の中では一年余りも彼女たちと過ごした心地であった。
「島」は、
誠は、いつしか「島」に名前をつけていた。現実の裏返したる島に相応しい、敵国の言葉を使った島名。それは誠の心臓を激しく拍動させ、南国のうららかな空気に満ち、どこか淫らな習わしが増え続ける、誠だけの
目を
そして、それと同時に――誠の中からゆっくりと、しかし確実に、あの日の記憶は薄らぎつつあった。
罪悪感がないわけではない。
だが、この悦楽に、誠はあらがう術を知らなかった。
――ごめん、京子――。
かすれた呟きは、空想めいて青い空と海の間へ消えていった。
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