食事の後、俺たちは集落へと案内された。

 ジャングルの中にぽっかり空いた空間に、椰子の木や葉を組んで作った大小の家が建ち並ぶ。いかにもな南の島の集落だ。

 そして家々に囲まれた広場の奥には、土壁でつくられた一際ひときわ巨大な建物が鎮座している。


「コレ、わたし達のムラ。ココ、わたしたち昔から住んでる」


「え~、ここに泊まるんすか?

 雰囲気はいいっすけど。オレ、ベッドじゃないと眠れないんすよ」


 大学生のひとりが、半笑いで冗談を言う。

 ガイド役の島民はそれに応じることなく、淡々と答えた。


「お客さん泊まるノ、向こうのビーチのホテル。大丈夫ダイジョーブ、アチコタネー」


 ガイドの奇妙な日本語に若者集団がどっと沸き返る。

 俺は相変わらず違和感を覚えていた。

 集落はしんと静まり返り、鳥の鳴き声や虫の音のほかには何の物音も聞こえない。

 いや、それだけじゃない――よく目を凝らしてみると、家々の開け放たれた間口の中には家具ひとつ無く、囲炉裏にはたきぎこそ組まれていたが使われた跡は見当たらない。

 まるで、であるかのように。


「……ガイドさん、この村って、本当に人が住んでるんですか?」


「ウン。

 コノ島に来た『神』が、守護者たちとイッショに作ってクレた村」


「神、ですか?」


 突如として登場した概念につい聞き返す。


「ウン。神、今ハそのイエにいる」


 青年はそう言って、集落の奥にある大きな家を指差した。


「今夜、わたし達、ココで神のマツリ、する。

 ついに今日、ワタシたちの元に『キオコ』が来てクダサル。『神』が望んでイタもの。

 今日、ミンナ待ちに待った日」


 当然といった表情で、ガイド役の青年は滔々とうとうと述べる。


「キ、キオ……? それを、神が欲しているんですか?

 あの、待っていたっていうのは、一体何を……」


「ちょっとガイドの人ぉ、なんか変なフルーツ落ちてんだけど! これって食べれたりするー!?」


 俺が口を開いた瞬間、若者のひとりが大声でガイドを呼び立てた。


「アーアーお客さん、落ちてるフルーツ食べちゃダメ……」


 彼はやれやれといったようにグループへと駆け寄り、そのまま島に生える果実の豆知識を説明し始める。

 そのまま俺たちは集落を抜けて反対側のビーチに誘導され、ひとまずそこで解散となった。





 水平線まぎわの斜陽が、ジャングルを燃えるような赤色に染める。

 俺は、ひとり人目を避けて道を引き返していた。

 もちろん、先ほどの集落を確かめるためである。


 「神」に、「守護者」、そして「待ちに待った日」、「祭り」――。

 果たして、あのひと気の無い集落はいったい何なのか。観光客への見世物として用意された、観光スポットなのならまだいい。

 しかし、青年の言葉は明らかに違ったニュアンスを帯びていた。「神」が、「守護者」とともに創った集落というのだ。

 そして、「神」が欲するという何か。島民が待ちに待ったもの。


 もし、俺の想像が正しければ。

 彼らが待っていたものとは――。


 ほんの些細な、思いつき。だが、一度気になると、居ても立ってもいられなかった。

 やがて、道の先に集落の家の屋根が現れる。つい先ほど見たばかりの、椰子の葉を重ねた屋根だ。

 足音を殺し、そろりそろりと集落に立ち入る。手早く近くの家の陰に身を寄せると、耳を澄ませ、島民の気配がないことを確認する。

 そのまま、家の壁伝いにゆっくりと歩いていった。

 そして家の曲がり角に差し掛かった瞬間、


 どん


 という鈍い衝撃。同時に、視界いっぱいに茜色の空が広がる。そして、背中をしたたかに打ち付ける痛み。

 数コンマ秒遅れて理解する。そうか、俺は何かにぶつかって転んだのか。


 しかし、一体なぜ――、


 その瞬間、「それ」は目の前に迫っていた。


「うわっ!?」


 情けない叫び声を絞り出しながら反射的に身をよじらせ、「それ」を避ける。


「オ~ごめんなさいっ、お客さんデシタか~。

 スイマセン、ワタシ、ココでお客さんをモテナソウとしてたんですケド、ウカツでした~」


 恰幅の良い女がけらけらと笑う。

 女は、地面の上――つまり、数秒前まで俺の上半身があった場所に尻餅をついていた。

 ようやく理解する。俺は、勢いよく飛び出してきた女とぶつかったのだ。ほんのわずかでも避けるのが遅れていたら、俺の顔は女の尻にプレスされていただろう。


「……ああ、いえ…………」


「デモ、ココはダメですヨ~。コレからマツリある、お客さん、ココ、ダメです。

 ホテル、戻ってクダサイ~」


 女に促され、俺はしぶしぶ集落から離れる。


 だが――大きな枯葉の積もる小道を歩くうち、違和感が首をもたげる。

 あの女は、誰一人いない集落で何をしていたのか。俺の身体を吹き飛ばすほど、勢いよく走るような用事とは一体。


 何より、あそこを走り回る人間がいたら、


 つまり、考えられることはただ一つ――あの女は、集落に近付く俺の気配に気づき、


 ぞくり、と寒気が走る。

 俺がおそるおそるあそこに足を踏み入れたとき、あの女に俺はられていた――。

 そのとき、俺の脳裏にさっきの光景がよぎる。あのとき、女は俺の上に尻餅をついたのではないかと思った。

 しかし、女が俺の上に尻餅をつくにはワンテンポのズレがあった。そのために俺は彼女を回避できたのだが、もし衝突の勢いで尻餅をついたのなら、やや違和感のある挙動だ。

 つまり、真相は――あのとき女は俺が倒れた隙に意図的に俺にのしかかってきたのではないか?

 何故?

 そんな疑問が浮かぶが、その問いはすぐに解決した。


 あの恰幅のいい女は、あの機に乗じて


『ワタシ、ココでお客さんをとしてたんですケド……』


 女の声が、どこからか聞こえてくるような錯覚に囚われる。

 夕闇に沈むジャングルに、奇怪な鳥の鳴き声がこだましていた。

 確かなことは分からない。

 ただひとつ分かることは、このままこの島にいたら「よくない事」が起こりそうだということだけだ。



**



 その日から、誠と京子の共同生活が始まった。

 聞けば、既に本土では戦争が決し、京子は米国へと留学に行くため旅客船に乗っていたのだという。

 だが、突然の嵐で船が難破し、気が付けばこの島にいたと言うのだ。

 ふたりは、島に簡単な住居を作り、豊潤な果実や獣の肉を食べながら救助を待つこととする。

 いつしか、二人の間には役割分担ができていた。誠は軍刀を持って森の中で畜獣を狩り、京子は二人の住む拠点を発展させていくのである。

 誠と京子の間には、いつしか信頼関係を超えた情が結ばれつつあった――。


 誠の鉛筆は、めまぐるしい速度でページの上を走った。空想のふたりの日々が、みるみる手帳のページを埋めていく。

 もはや、それが何かの償いにならないと知っていても――誠は書くことを止められなかった。と言うより、今や誠は書くことでしかおのれの内にほとばしる激情を表出ひょうしゅつできなかったのだ。

 手帳の中で、ふたりはのんびりと南国の生活を満喫する。そしてそのうち、誠と京子の関係はどんどん近くなっていった。

 

 だが――ある日、異変は起きた。

 ふたりが島に住み始めてから三週間、森の中に分け入った誠はそこで土人たちと遭遇する。かねてより人の気配を感じる島であったから、その遭遇は必然であっただろう。

 土人たちは既に日本軍との接触を経験しているようで、最低限の日本語を覚えており、誠たちの事情もすんなりと理解してくれた。

 こうして誠と京子は集落ぐるみで歓待を受け、楽しいひとときを過ごす。

 ところが、その島民のひとり――誠と年齢の近しい少女が、やにわに彼を連れ出すと――堂々と、愛の告白をしてみせたのである。


「えぇっ!?」


 思わず誠の口から驚嘆の声が漏れる。

 これはどうしたことだ。何故、俺は京子以外の女に愛の告白を受けているのだ。

 しかも、少女は南国人特有の気質なのか、いささかの恥じらいも見せない。そればかりか、思わず硬直する誠のそばに顔を寄せ、


「この島デハ、これ普通。わたしも、誠と、ソーなりたい……」


 などと、上目遣いで告げるのである。

 その上、彼女は全身に布切れを一枚巻いただけの簡素な衣装であった。ちらりと覗く胸元に垂れる汗が視界に入ったとき、誠の鼓動はますます高まり――、



「って、何を書いてるんだ俺は! これでは俺が何でもいい助平すけべ野郎のごとしではないか!」


 我に返った誠は、慌ててページを破り捨てようとする。

 だが、あらたまって今書いた描写を見返してみると、その箇所はまるで別人のように文章が輝いて見えた。彼女のなまなましい肉感も、密林の中の空気感も、ねっとりと纏わりつくような表現で巧みに描きだされているのである。

 捨てるには惜しい――その思いが、すんでのところで誠を思いとどまらせた。

 何、俺にそんなあけすけな女の趣味はない。ただ、告白を断ればよいのだ。


 ところが、誠のそんな言葉を聞いても彼女――マナは諦めなかった。むしろ、それで火がついたように執拗に誠をつけ狙い、ことあるごとに性的なアピイルを繰り出してくるのである。

 そのたびに京子が顔を赤らめてマナを制止するが、マナに懲りた様子はなく、ぺろりと舌を出してはにかむ。

 いや、深刻なのはマナの悪戯ばかりではない。一体いかなる偶然か、誠がマナに思わず興奮してしまうような椿事トラブルが頻繁に誠を襲うのである。

 ある日など、村へと急いでいた誠が曲がり角を飛び出した瞬間、ちょうどそこを歩いていたマナと正面衝突してしまい――あろうことか、転んだ誠の顔の上へとマナの尻が覆いかぶさってしまった。

 腰布一枚隔てた彼女の尻の感触に、たまらず誠は鼻血を噴きながら叫ぶ――「か、勘弁してくれぇーっ……」

 だが、そんなマナとの波乱万丈の日々を送るうち、京子一途であったはずの誠の心が、ほんのわずかにぐらつくのを彼は自覚し始めていた。

 

 馬鹿な。俺は京子のことを思い慕っているはずなのだ。それがどうして、こんな大胆女に――!


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