②
第七師団・彦沢支隊二等兵の
群青色を帯びた大型の鳩のような鳥が、誠の顔に散らばった花びらをつついている。
「や、やめろっ」
慌てて鳥を追い払い、二日酔いの朝のように重い身体を起こす。
青空の眩しさにあらがって
そのまま周囲を見渡す。
誠は、磁器を砕いたように真っ白な砂の中にいた。誠のすぐ足元には人工的と思えるほどに蒼い海がさざ波を寄せている。誠の背後では砂浜が唐突に終わり、そのかわりにやはり冗談めいた大きさの巨木が鬱蒼と生い茂る。
木の間には蝋細工のように毒々しく
誠はその木々に見覚えがあった。たしか、
そうだ――誠はずきりと痛む頭を押さえ、記憶の糸を
藤下は、先月帝国の南方作戦の一環として急遽ラバウルに派兵された彦沢支隊の一員であった。
南太平洋に散らばる島々を巡る争奪戦、その重要な駒であるガダルカナル島に連合軍の上陸を許し、戦況は苦しさを増す一方――やむを得ず海軍が下した決断こそ、陸軍への派兵要請であった。
そうしてみると、ガ島の戦いは苛烈を極めるものになっているはずだ。帝国臣民として人並みの愛国心を持っていると自負する誠であったが、ほんの一年前まで書生だった身である。
いざ戦いを目前にすると身がすくむのを感じた。ラバウルで目にした、腕や足を失い病床で
願わくは海軍が底力を発揮して敵を押し返し、我らはお役御免と相成ってほしいものだ――そんな誠の淡い期待に反し、ラバウル到着の一週間後には無情にも彦沢支隊にガ島への駐留指令が下る。
そうして輸送船にすし詰めにされ、暗闇に沈む太平洋を進んでいたその時、遠くから響く飛行機の音が聞こえ――その直後、船を揺るがした轟音とともに誠の意識は途絶えたのだった。
――思い返してみると、僕らの載った輸送船は敵航空戦力に発見され、撃沈されたものに違いない。
すると、現状の可能性はふたつにひとつである。つまり、既に自分が死んでいて極楽にいるのか、あるいは海流に流されてどこかの島に流れ着いたかのどちらかである。
かれこれ十余年生きてきたが、極楽に
島は、一般的な島に比してそれほど大きくはないようだった――もっとも、北陸の田舎育ちである誠は「島」というものを
海岸線には一様に白い砂浜が伸びていたが、数メートルも陸に入ると赤茶けた岩盤が隆起してきて、一寸先も見えぬ
途方に暮れながら果てしない砂浜をざぼざぼと歩いていると、やにわに密林が切り開かれている場所に出くわした。
見れば、幅一メートルほどの領域の
それは、紛れもなく人為的に作られた道であった。
誠の脳裏に選択肢が浮かぶ。
ひとつ、この道を行く。その先にはこの島の土人が集落を作っていて、誠に食糧をくれるかもしれない。または、実はこの島には日本軍の基地があって無事にラバウルへと帰れるかもしれぬ。
ひとつ、この道を行かない。この島の土人は日本人を快く思わず、攻撃をされるかもしれない。誠の手元にあるのは、いまだ使い慣れない軍刀が一本ばかりである。集団で襲われたらひとたまりもない。
また悪くすれば、この島の土人は人喰い民族で、仏の面をして自分を歓待し、酒を飲ませてぐっすり眠らせたところでずぶりと寝首を掻くつもりやも――誠はかつて神保町の古書店で読んだ、西洋の冒険家の自伝に登場するカリブ族を想起してぶるりと震えた。
二、三時間にわたる
それでなくても密林におおわれた島であるから、食糧の採取は容易いと考えたのだ。
また、輸送船の撃沈は既に知れ渡っていようから、すぐに救助が来るという目算もあった。
誠は獣道の前を通り過ぎ、しばらく砂浜を歩いた。ときおり果実が落ちているのを見つけると
このときの誠は、今日の判断を後で悔やむとは思いもよらなかった。
**
島に入った俺たちを出迎えたのは、弦楽器で陽気な音楽を奏でる島民の集団であった。
ジャングルの中に
島民が囲む簡素なテーブルの上には、大量の料理が並べられていた。
「ドゾードゾー、これゴチソー。食べテー」
島民の一人がにこやかに笑う。
「えっお兄さんも日本語うまいっすね、え、っていうかコレ食べていいんすか? メッチャうまそうなんすけど」
「イイヨイイヨー。お客さん腹ペコで島歩かせタラ、『コトニ様』怒る」
「……あのー、さっきの人も言ってましたけど、その『コトニ様』って何ですか?」
若者集団が飯にありつくのをよそに、俺は訊ねる。
「『コトニ様』、『
島民が指さす方を見ると、広場の一角が盛り上がり、人間を
どれも相当古そうで、表面が擦り切れて目鼻が無くなっている。表情を持たない人型がぽつんと佇んでいる様子は、どこか不気味な感じがした。
「……なるほど、珍しい信仰ですね」
「今日は、待ちに待ッタ
お客さんも、食べテ食べテ」
青年の顔に張り付く微笑を見ていると、なんとなく不安な心地を覚える。どうした、せっかくこうして南の島に観光に来ているってのに……。
「いやこれ、ウマッ! 何すかこの料理、煮魚的なヤツ? ぷりっぷりでうめー」
「このフルーツもチョー甘いんですけど。やば」
「ふが、ふがふがっ」
俺は周囲を見たが、すでに観光客のほとんどはテーブルの料理を食べ始めていた。テーブルに座っていないのは、入れ歯を落としたらしい老婆とその周囲の地面を探し回っている家族だけである。
ここでもてなしを断るのも失礼か。まさか毒が入ってるわけもないし――そう考えたが、妙な胸騒ぎは消えなかった。
「……それじゃ、俺もお料理をいただきますかね……、どれがオススメですか?」
「コレ。とってもオイシ」
島民が示したのは、将棋盤ほどのサイズの木箱にたっぷり詰め込まれた肉と果実だった。
「コレ、『コトニ様』の恵み。『コトニ様』がツクった食べ物」
島民の言葉に引っかかりを感じる。神様がもたらした自然の恵み、という形容は珍しいものでもないが、その言葉は奇妙に現実的な響きを帯びていた。
この料理にしても、これだけ皿や盆ではなく木箱に収められている。どうやら特別なものなのは間違いない。
――だが、それはそれとして、大きめの箱に詰め込まれた肉から漂う香りはたまらなく食欲を刺激した。俺はそのうちに思考を止め、無我夢中で料理を貪り始めるのだった。
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