第37話 ヴェスペルの冬

ヴェスペルは優雅な足取りで晩餐会が行われている会場の最奥へと進んでいく。そこには帝国の支配者である皇帝ヴァギータがいるからだ。


「皇帝陛下、この度はこのような場にご招待頂き誠にありがとうございます」


「うむ。お主は法服貴族として帝国の治安維持に貢献しておるからな。そのように優秀な者を呼ばないわけがない。今宵は楽しむが良い」


「ははっ。ありがたきお言葉!」


ヴェスペルは頭を下げる。頭を下げた彼の口もとは笑っていた。


(くくっ。皇帝陛下の情報網は大した事がないな)


ヴェスペルは法服貴族として、帝都の治安維持を担当する法務省で働いている。とはいえ、彼自身が犯罪者を取り締まっているわけではない。


彼は主に犯罪に関する書類の作成や裁判制度に関する法の制定を行う業務を行っている。とはいえ、それは表の顔に過ぎない。


ヴェスペルは鮮血の蝙蝠こうもりと結託し、様々な悪事に手を染めているからだ。


最近では、帝都で起きている透明人間たちの窃盗に関する書類を改ざんし、あたかも透明人間たちの犯罪が大した事がないかのようにデータを書き換えている。


そのため、現場では深刻な問題と捉えられている透明人間騒動も、帝国上層部は過小評価していた。


だからこそ、ヴェスペルは頭を下げながらひっそりと笑みを行ったわけだ。


「陛下! 大変です!」


突然、1人の近衛兵がヴァギータのもとに馳せ参じる。


「何事だ」


ヴァギータは落ち着き払った様子で近衛兵に尋ねる。


「耳を拝借して頂けないでしょうか?」


「構わん」


近衛兵はヴァギータに耳打ちをする。


「なに、それは大変だ。ヴェスペル伯爵よ、申し訳ない。私は少し席を外さねばならん。これで失礼する」


「かしこまりました。私に協力出来る事でしたら、なんでもおっしゃってください。私の心は常に陛下と共にありますから」


「うむ。良くできた忠義だ。お主には期待しておる。では、晩餐会を楽しんでくれたまえ」


そう言うと、ヴァギータは晩餐会の会場を後にしていった。


(ふん。無能な皇帝がなにを慌てているのかは知らないが、おそらくは大したことではないだろうな)


内心で皇帝のことを小馬鹿にしながら、ヴェスペルは親しい貴族たちのいるところにおもむく。


「これはこれはヴェスペル伯爵。待っておりましたぞ」


自分の派閥の貴族たちが一斉に頭を下げる。


「はは。そんなに畏まらなくとも良いではないか。我々は同じ貴族なのですから」


ヴェスペル伯爵が気楽にして良いと言っても、貴族たちは慇懃いんぎんな態度を直そうとはしない。


彼らは全員、ヴェスペル伯爵に弱みを握られていたり、没落しそうになっているところを助けられたりしている者たちだからだ。


(まあ、このように扱われるのも悪くはない。将来的には貴族の中の貴族になれるかもしれんし)


ヴェスペルには大きな夢がある。それは皇太子に自分の娘を嫁がせることだ。


そうすれば、将来的には自分が皇帝の外戚がいせき――つまりは親戚として権力をふるえるようになる。


(今の私には豊富な財力がある。我が世の春が訪れるのも遠くはないな)


ヴェスペルが外戚になった時の妄想を重ねているうちにも、宮廷晩餐会での時間は進んでいく。


豪華絢爛な会場には次々と新しい料理が持ち込まれ、演劇が催される。それが終わると貴族同士の踊りが行われた。


更にそれらも終わると、今度は突然、会場に不穏な空気が流れだした。会場に複数人の近衛兵が現れ、貴族たちが逃げられないように会場を囲いだす。


「なんだね貴様らは! 無礼にも程があるぞ!」


ヴェスペルは大声で怒鳴り散らす。


「申し訳ございません。これは皇帝陛下のご命令なので」


近衛兵団の隊長が返事をする。


(現場指揮官は騎士団長のデューイか。こいつは堅物だから賄賂わいろを渡しても無駄だな)


近衛騎士団には騎士団長の下に複数人の副騎士長が存在し、場合によっては彼らが現場指揮官となる。そのうちの1人はヴェスペルが買収済みだ。


しかし、この場にはいない。


そうこうしているうちに、会場の外からヴァギータが現れる。


「皆の者、せっかくの晩餐会だと言うのに、水を差すような真似をしてすまない。だが、仕方のないことなのだ。少し前に、テューバ公爵家に盗賊が侵入したらしくての」


会場が途端にザワザワしだす。テューバ公爵家は帝国内でも有力な貴族であり、莫大な財を持っている。そんなテューバ家が襲われたというのは大事件だ。


「テューバ公爵家が襲われた事と、我々が近衛兵によって包囲されている状況にはどんな関係があるというのですか?」


会場にいた貴族の1人が不満の声をあげる。


「ゴムーニン子爵。お主に危害を加えるつもりはない。余が捕縛するのはヴェスペル伯爵とその取り巻きである。デューイよ、奴らを反逆者として拘束せよ」


「ははっ! お前ら、ヴェスペル伯爵たちを拘束せよ!」


「な、なぜです! 私は帝国のために尽くしてきたではありませんか! この逮捕は不当だ!」


「不当ではないわ。皆の者。よく聞け。テューバ公爵家を襲撃したのは例の透明人間たちだったのだが、彼らの正体は透明薬という薬によって透明化していた人間だった。鮮血の蝙蝠こうもりという闇ギルドらしい。ヴェスペル伯爵は影で彼らを操っていたのだ。証拠書類もある」


そう言うと、ヴァギータの隣にいた近衛兵がとある書類を両手で頭の上に掲げる。そして魔法を唱えた。


すると、空気中に透明で大きな板のようなものが映し出される。そこに書類に書かれている文字列が写し出された。


内容は鮮血の蝙蝠こうもりとヴェスペル伯爵の関係がはっきりと分かるものだ。


「こ、これは違う! 誰かに捏造されたに違いない! 陛下、信じてください!」


「言い訳は監獄で聞くとしよう」


デューイがヴェスペルに近づいていく。


「ヴェスペル伯爵。大人しく従ってください。ここで暴れてしまえば、確実に反逆罪が適用され、この場で処刑という事になりかねません」


「わ、分かった。大人しくするから手荒な真似はしないでくれ」


ヴェスペル伯爵を両手を上にあげる。


こうして、ヴェスペル伯爵とその一味は逮捕された。

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