第30話 怪しい音

「実は私、こんな事もできるんです」


安楽亭の白い壁がどこかへと消え失せ、代わりに宿屋が青々とした海の広がるビーチへ変化していく。


かと思えば、溶岩の流れる火山地帯になったり、あちらこちらに極彩色のペイントがなされた豪華な宮殿に変化したりする。


「す、凄いなこれは」


「幻術には見えませんね」


「海ってあんな感じなのか。帝都を出たことなんかないから、知らなかったぜ」


安楽亭にいる客や従業員が驚きの声をあげる。


「ご満足して頂けたなら良かったです」


テスティスがにっこりとほほ笑む。


「ああ、テスティスちゃんは最高だぜ!」


「今度の依頼は日をまたぎそうだからよぉ。テスティスちゃんに暫く会えなくなるのは悲しいな」


「お姉さん、僕も幻術が使えるようになりたい!」


テスティスの周りに人だかりができていく。


「こんな短期間で宿屋の人心を掌握するなんて。魔法生物なのにやりますわね」


私はコップに入っている果実水を飲みながら、過去の事を振り返る。


あれから私とリオンさんはテスティスの本体である人形を運びながらフィニス村をでた。


そして屋敷の外で待っていたクワイアと合流、彼に村でのことを話しましたの。


彼自身は鮮血の蝙蝠こうもりに関心がないらしく、「村に危険がないのであればそれで良いです。キャニス伯爵とカットス男爵、それに冒険者ギルドにはあなた方が依頼を達成したと伝えておきます」とだけ言い放ち、フィニス村の近くにある村に来たところでキャニス伯爵の屋敷へと戻ってしまった。


彼はキャニス伯爵の従者だからですわ。


その後、私とリオンさんは安楽亭に戻り、テスティスに新しい魔石を施しました。


彼女にはめ込まれた魔石は時間が経過しており、残りの魔力が少なくなっていたためです。


それからと言うものの、テスティスはなにか役に立ちたいということで、安楽亭で働いている。


とはいえ、魔力の集合体のようなものである彼女は物を掴むことができません。そのため、幻術で安楽亭にいる人々を楽しませることにしています。


これが想像以上に反響を呼び、今では安楽亭の名物のようになっておりますわ。


今は幻術を覚えたいと言っている小さな男の子に、それならば誰かから魔法を教わりなさいとアドバイスしています。


やがて男の子が両親に呼ばれると、テスティスはやっと今日の仕事から解放されたようです。


「ふぉふぉ、テスティスちゃんのおかげで部屋が満席になったわい。感謝しとるぞ。魔力が足りなくなったら良質の魔石を買うから言うのじゃぞ」


好々爺こうこうや然としてカストルがほほ笑む。彼としては安楽亭の売り上げが上がったから嬉しいのでしょう。収益が増えれば増えるほどお酒も買えますし。


「ありがとうございます。良質な魔石から抽出される魔力は美味しいですし、どの魔物から採れた魔石かによっても微妙に味が異なるので楽しみです」


「ああ、看板娘としての私の立場が……」


カストルがほくそ笑む一方、リリィは少し落ち込んだ顔をしている。看板娘としての立場がテスティスによって無くなったので無理もありませんわ。


「まあ、看板娘は大変ですし、楽ができるのだから悪いことばかりでもないと思いますわよ」


「うう……それはそうですけど。なにか釈然としません……。ところで、リーゼロッテ様はこんな昼間から食堂で読書なんかしていて良いんですか? リオン様のお弟子さんなんでしょう?」


「私はテスティスの依頼のため、新しい魔法を使いこなす必要がありますの。今はこの本を使って練習しているんですわ」


「本を使って魔法の練習? ああ、いわゆる座学をしているわけですね」


「座学といえば座学なのですけど……。おそらくリリィさんが連想している座学とは少し違いますわね」


「それはどういう意味なんですか?」


「この本は特殊でしてサウンドブックと言いますの。ページを開くと様々な音が鳴るよう、魔法で設定されてるんですわ」


「魔法が1ページごとに付与されてるってことですか!? 凄い。かなり希少なものですね。でも、この本はリーゼロッテさんがさきほどから何度もめくっているのに、音が鳴っていないような」


リリィさんがサウンドブックのページをめくる。


「後ろのページをめくってはだめですわ!」


私が警告したものの、リリィはその前にページをめくり終えてしまう。


「プゥゥゥッッッーーーー!!!!」


耳をつんざくような音が周囲に響き渡る。


「キャッ!」


リリィは両手で耳をおさえながらふらふらしていた。今の音を間近で聞いてしまったのでしょう。


「だから言いましたのに! この本は前のページに小さな音が収録されていて、後ろのページに大きな音が収録されていますの」


「そうだったんですね。すいません、勝手なことをして。ああ、なんだかまだ気分が悪い」


「酷い音じゃったのぅ。リリィ、少しの間休んでいて良いぞ」


カストルがリリィに気付け用のワインが入ったコップを渡す。


「おじいちゃん、ありがとう」


「それにしても、今の音がなんだったのか気になるわい」


「今の音は終末のラッパの音を模したものですわ」


終末のラッパというのはこの世界が崩壊する時に天使が鳴らすと言われているもの。結構有名なので誰でも知っている話ですわ。


「終末のラッパですか。確かに、ラッパにしては少し不気味な音でしたね」


テスティスが平然とした顔で言い放つ。おそらく、彼女は騒音に対する耐性があるのでしょう。なにしろ、魔法生物である彼女には物理的な耳がありませんから。


そうこうしているうちに、ラッパの爆音を聞きつけた安楽亭の客が様子を見に食堂へやってきたため、彼らに事情を説明する。


客たちは厨房で火災でもあったのかと心配していたため、音をだす魔道具が原因だと分かると部屋へ戻って行った。


「それにしても、リーゼロッテさんはこの本でどんな訓練をしているんですか?」


爆音を耳元で聞いたのにも関わらず、リリィは興味津々といった様子で私に尋ねてくる。


「この本の最初の方のページにはとても小さな音が収録されていることは説明しましたよね? 私は聴力強化という魔法を使って、小さな音を聞きとる練習をしていましたの」


「なるほど。それなら、自分の部屋で練習した方がはかどりそうですけど」


「いいえ。周りの雑音を聴きながら小さな音を聞きとる必要がありますの」


「今度の依頼はそこまで高度な能力が求められるんですね。すごい。最初の方のページをめくってみても?」


「最初の方のページでしたら大丈夫ですわ」


それを聞いたリリィはおそるおそるページをめくる。


……。


「おかしいですね。なにも聞こえません」


「いいえ。今の音は蝶々ちょうちょが羽ばたく音ですわね」


「え? 今そんな音がしていたんですか? 全く聞こえませんでした」


「聴力強化をしていたとしても、集中していない限り聞き取れないような小さい音なので無理もありませんわ」


「悔しいので次のページもめくりますね。えいっ」


リリィさんがページをめくると同時に、今度はありが歩く音が聞こえてくる。


「またなんにも聞こえませんでした……」


「しっ! 静かにしてくださいまし!」


「えっ?」


私の耳はありが歩く音とは別の異なる音を捉える。どうやら、安楽亭近くの裏路地で何者か――いえ、何者かの集団が歩いているらしい。


彼らは明らかに音を消しながら慎重に歩いていますわね。つまり、歩く音を聞かれたら困る何かしらのやましい理由があるということ。


「あの、リーゼロッテさん? 私、またなにかしちゃいました? 顔が怖いですよ」


「いえ、リリィさんはなにもしていません。それより、少し外出してきます」

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