第二里 白き狂犬

 金裃男のマゲまばゆい光が収束し、放たれた。

 その光は、空を飛ぶ舟の如く突進する神明造りの土俵屋根の中央に大穴を穿うがち瓦解させる。

 なおも直進する光は白かみしもの男たちの頭上を越え、壁を破壊してようやく霞んで消えた。

 その壁から斜に差し込む光が、周囲に舞い上がる土埃をキラキラと輝かせる。


「ふむ、逃げられたか。なんと活きの良いことよ!」


 金裃男は呵々かかと大笑する。

 屋根の無くなった土俵の上には御霊ごりょう力士たちが四人、横たわるのみ。

 白裃男たちは見ていた。

 女が土俵屋根を蹴ると同時に黒目男をも抱え、白裃男たちの頭上を跳び越えたところを。

 そのまま壁を蹴破り外へ出たところを。


「ぬう、殿の御霊髪破ごりょうはっぱを逃れるとはッ! 皆の者ッ! 彼奴きゃつらを捕らえてくるのだッ!」


 銀裃男が命ずると、百八名の白裃男たちは「御意ッ!」と駆け出した。




 一方その頃、三人はといえば薄暗い地下に居た。

 土俵のあった大きな建物から屋外へと飛び出した女ではあったが、周囲にそびえる高いなまこ壁と多くの人の気配とを警戒し、近くに見えた井戸へと身を隠したのであった。

 井戸の入り口から下ることおよそ三丈約9m、女は二人を小脇に抱えたまま、水底近くの背後の壁にヒールを刺し正座にも似た体勢で両の膝の隙間から水面を凝視していた。

 水面との距離は赤いコートの裾がわずかにつかない程度。


「これ、本当に水面?」


 女は壁に刺した赤いヒールを左足だけ脱ぎ、白く美しいつま先を水面へと伸ばした。

 水面に赤いペディキュアが映りはするのだが、つま先をつぷりと入れても波紋の一つも広がらない。

 女はさらにかかとを叩きつけるように足首まで沈めたが、波も飛沫も立ちはしない。


「こちらにはいない!」

「そちらはどうだっ?」


 頭上高く井戸の入り口には三人を探す声が近づいてくる。

 女は素早く左足をヒールへと戻し、頭から回転するように顔を水面へ近づけた。

 勢いそのままつま先で壁を蹴ってヒールを引き抜いた女は二人を抱えたまま水面へと飛び込んだが、三人は濡れることなく音もなく、水の様に見えるそれを突き抜けた。

 さほど広くもない井戸の中、女はくるりと身をよじり落下方向へは頭ではなく足先を向ける。

 一呼吸も置かぬうちに着地の音。

 衝撃は女が膝で全て吸収したが、ヒールが鳴り響かせた音はそこが岩盤を掘ってできた通路であると知らせる。

 女は二人をそこへと下ろし天を仰いだ。

 丸くぽっかりと空いた穴からは五丈約15mほど先に、水面越しではなく直に暮れかけた空が見える。

 女は二人の背を押して穴の真下より移動した。通路の片方へと。


「状況、整理しない?」

「賛同する」

「はい」


 囁くような女の声に答えた二人の声も、静かな地下通路の中では少し遠くまで響く。


「あっ、その前にありがとうございます! おねーさん、強いんですね!」

「ワタシ、強い?」


 女は嬉しそうに微笑み、大きなマスクは薄暗がりの中でぎゅっと歪んだ。


「お姉さん、強いです! かっこいいです!」

「ワタシ、久地くち さきっていうの。咲でいいわよ」

「……さ、サキお姉さん」


 咲の頬は再び歪み、小さく「キュンキュンくる」と呟いた。


「僕は、愛創あいそう学園初等部四年D組、ぬま神名海みなみといいます」

「ミナミきゅんねっ!」

「私は、自身の名前を失念した」


 咲と神名海は黒目男を見つめる。


「じゃあ、目黒さんでどお?」

「構わない。では、目黒だ」

「ねえ、サキお姉さん、なんで黒目さんじゃなく目黒さんなの?」

「さっきの土俵の上で目覚める前の最後の記憶が、目黒駅近くの横断歩道を歩いているときだったから、かな」

「あっ、ぼ、僕も目黒駅にいました」

「私は……その記憶についても失念している」


 そう言いながらも目黒の脳裏では、「目黒」という単語が彼の記憶を刺激していた。


「……目黒……駅前……横断歩道を歩く赤いコートの女性……私の運転するトラックが突然操作不能となった。ハンドルは固定され、ブレーキも反応せず、車体がほのかに光を帯びていたことも視認できた。そのトラックは地球製の市販品で、光を帯びる機能はない。不具合の調査を行う前にトラックは女性へ衝突した」

「あっ、それワタシね」

「衝突後も異常な物理反応が観察され続けた。女性ではなくトラックの方がはね飛ばされた」

「ごめんね。蹴っちゃった」

「私はトラックの運転席で身動きすることができぬまま視界の変化を観察し続けた。トラックは次に道路脇に居た少年めがけて落下した」

「ワタシはそれに気づいてダッシュしたの。でもミナミきゅんをかばおうと触れたとき、光に包まれて」

「トラックが帯びていた光は、女性と少年をも包み込み、あまりの眩しさに私は目を閉じた……その後、意識を失い、目覚めたときには御霊力士と呼ばれる男の上に居た」

「じゃあ悪いのはあの光ね。あの人らが英雄召喚って言ってたやつかしら」

「その確率は高い」

「元の場所に返してくださいって言ってもやってくれなさそうよね……でもそれじゃ困る。ワタシ、絶対に帰りたいの」

「ぼ、僕もです! 僕がいないとお母さん、お腹空かしちゃうんです! お母さんは外に出られないから」

「ごめんね、ミナミきゅん。巻き込んじゃって」

「……いいんです。サキお姉さんは僕を守ろうとしてくれたんだし」

「私も、戻らなければならない……という使命感だけは覚えている。ただその戻るべき場所について、『母船』という言葉以外何も思い出せないが」

「母船……って……ねぇ、目黒さんって宇宙人?」


 一瞬の沈黙。

 神名海は咲の後ろ側へ少しずつ寄り始める。


「……異常事態だ。自身に関する記憶にアクセスできない」

「それって、アレのせいじゃなくて? ほら、ワタシたちの体に入ってきたあの霧のお相撲さんみたいなやつ。今でも気を抜くと体を乗っ取られかけるというか……」

「私の中にも居るようだ……こちらにはアクセスできる」

「アクセス?」

「……男の名は品川しながわ。職業は御霊力士。英雄召喚の人柱としてその身を捧げ……心を閉ざされた。今はこれ以上アクセスできない」

「ねぇ、ちょっとアクセスってテレパシー的な何か?」


 再び沈黙。

 神名海は完全に咲の後ろへと隠れている。


「あー、わかる。秘密にしたい気持ちも。でもさ、ここではワタシたち仲間じゃないの? 元の場所に戻りたいって目的も一緒だし、力を合わせて頑張るべきじゃない?」

「賛同する」

「じゃあワタシから明かすよ。ワタシは口裂け女。いわゆる都市伝説ってやつ? でもまぁちょっと世間に広まっているイメージは真実とは一致しないんだけどね。で、得意技は切り裂くこと」


 神名海は咲のコートをつかんでいた手を反射的に開いた。


「私が何者かは現時点では不明瞭だが、私が使える能力は『波』だ。脳波や水分へ干渉することができる」


 目黒は咲の胸元へ触れた。


「あっ……なんか体が軽くなった」

「久地咲の中に入っている精神体は三体。名前はそれぞれ、原宿はらじゅく大塚おおつか御徒町おかちまち。職業は品川と同じく御霊力士だ。彼らそれぞれについて直近のアクセスがあった精神を平坦にした。症状としては記憶障害となる。目的を見失った精神は他者への干渉が困難になる」

「ありがとね、目黒さん! つーか、なんか山手線っぽくない?」


 咲の笑い声に紛れて、神名海は突然走り出した。


「さっ、さらわないでくださーいっ!」


 井戸に続く縦穴とは反対の方向へ。


「待ってミナミきゅんっ! 目黒さんっ、あの子を追いかけて! 早くっ!」


 目黒は頷き、神名海を追いかけて暗闇の中へ。

 闇に閉ざされた地下通路を先行する神名海は何度か転びながら走り続ける。

 だが目黒は小さな『波』を発してその反響をとらえ、闇の中をつまずくこともなく走る。

 目黒の手が神名海の背中に届いたとき、金属同士が激しく打ち合う音が地下通路内の空気を震わせた。


「仲間を庇って一人残るとは殊勝なこと」


 咲に向かって刀による深い突きを放ったのは、白裃の男。

 先程三人が通ってきた井戸の中を駆け下り着地するや否や抜刀し、突進してきたのだった。

 それを受け止めた咲が握るのは、巨大な鋏。

 鋏の刃渡り部分だけを比べれば白裃男の持つ刀と遜色ない長さ、鋭さ。


荒事あらごとはワタシの担当なのよ」

「その心意気や良しッ! 白衛士しろえじ四番隊隊士、沖田おきた宗一郎そういちろうッ! いざ参るッ!」


 刀と鋏とが幾度となく打ち合い飛ぶ火花は闇の中で線香花火の如くさんざめく。


「そなた、強いな」


 沖田は不敵に笑い、突きの鋭さが更に増す。


「貴方もねッ!」


 咲は鋏で応戦しながらも少しずつ後退する。

 その表情からは笑みが消えていた。


「狂犬の二つ名は伊達じゃなくてね」


 沖田の髷が輝き始める。


「御霊剣技、白牙しらきばッ!」


 沖田の刀が二閃、ひときわ大きな金属音の直後、暮れかけた陽の明るさがわずかに届く井戸の真下に白い腕が転がった。






■ 主な登場人物


・目黒

 「英雄召喚」された黒目のみの男。自身に関する記憶はほぼないが「母船」へ帰るという目的はかろうじて覚えている。

 『波』という能力を持ち、記憶を封じることができる。


九地くち さき

 「英雄召喚」された口裂け女。赤いコートに赤いヒール、長い黒髪に、口元を覆う不自然に大きなマスク。

 刀ほどある大きな鋏を隠し持つ。身体能力が異常に高い。元の場所へ戻りたい。


ぬま 神名海みなみ

 「英雄召喚」されたハーフっぽい美少年。愛創あいそう学園初等部四年D組。怖がり。

 外へ出られない母の世話をしている。元の場所へ戻りたい。


・金裃の男

 殿と呼ばれる謎の男。若い。肩衣には大きく三つ葉葵の紋が刺繍されている。


・銀裃の男

 英雄召喚に深く関わっていそうな謎の男。殿に対して忠義の姿勢を見せる。


白衛士しろえじ

 純白裃の男たち。殿に対して恭順の意を表す百八名。


沖田おきた 宗一郎そういちろう

 白衛士四番隊隊士。狂犬の二つ名を持ち、御霊の剣技「白牙しらきば」を使う。


・御霊力士

 謎の職業。今回の英雄召喚にて人柱としてその身を捧げたのは、品川しながわ原宿はらじゅく大塚おおつか御徒町おかちまちの四名。

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