不恰好な独り言
2人しか住んでいない鬼食い屋敷には、誰が集めたのかわからない服が集められている衣装室がある。
壁が全てクローゼットになっているその部屋の中には、ドレスからスーツ、果てにはピエロの衣装のようなものまで様々な服が入っている。
大量の服が入った衣装室の空を、黒と白の何かが飛び回る。
部屋の中央に置かれた小さな丸机には、飛び回るものの正体と思わしきメイド服が小山を作っていた。
「イマル!これも置いておいて!」
「ひ、ひゃい!」
レイラから後ろを向いたまま投げられるクラシカルなメイド服を、イマルは急いで取りに走る。
だが、意識して走ったことなどないイマルには難しい作業で、メイド服を取れずにそのまま床にスライディングしてしまう。
後ろからイマル以上の質量を帯びた鈍い音が聞こえ、急いでレイラは長らく見ていなかった後ろを向く。
「あら、大丈夫?」
そう言いながら後ろを振り向くと、中央の机が横に倒れ、そのそばのメイド服の山がもぞもぞと怪しい動きをしていた。
レイラは嘆息しながらメイド服の山に右手を突っ込み、一際白く小さい塊を軽く引っ張り出す。
「ありがとうございます..レイラさん」
「もう!レイラ"さん"じゃなくて、レイラ"お姉様"って呼んでちょうだい!」
「わかりました」
イマルは転んだことがショックだったと、大きな青い目に雄弁に語らせながらレイラに大人しく掴まれたままでいる。
レイラがイマルをそのまま脇に抱え、落ちたものを綺麗に片付け始めたのを見て、手伝おうともがいてみるも、食人鬼の圧倒的な腕力には勝てず、抱えられたまま落ちたものが元の位置に戻っていく様子を見下ろすことしかできなかった。
イマルの今までの日常に、走るという行為も転ぶという行為も、ましてやこうして人に個として話しかけられるという状態もなかった。
目覚めてから、初めてなことしかないという現状に体が追いついていないイマルは、段々と釣り上げられているだけなのに目が回ってくる。
(これ..ダメかも..)
イマルは頑張って手を上げて、もう一方でテーブルと服を片付けているレイラの腰あたりを叩き、小さく声を上げる。
「あの、レイラさ..お姉様」
「どうしたの?」
「だめかもです」
何がダメなのか、主語がない文面にレイラが首を捻る。
「何がダメなの?」
イマルはその言葉に返答しようと口を開いて、もう声がうまく出ないことに気づく。
「つかれ、た」
その言葉と共にレイラの右腕の重さに更にズシリと重みが増す。
「へ?」
レイラが急な加重に驚いて右脇を覗くと、イマルの先程まで棒のように真っ直ぐに力が入っていた体から、力が抜けている。
見ようによっては死んでいるとも思えるその姿を見たレイラは、悲鳴をあげながらウィズの部屋へと走り出した。
――――――――
ダダダダと、扉の向こうから男らしい重い足音が近づいてくるのを聞いて、うつ伏せで本を読んでいたウィズはそっと開いていた厚い本を閉じた。
灯りとして小さく仕事をしていた古いベッドランプのスイッチを切ると、月光が薄らと部屋の中を照らす。
「おりゃ」
ウィズは優しく力を入れて、ずり下がっていたふわふわの布団を肩まで被せ狸寝入りの用意をする。
レイラがこうして走ってくる時は、過半数が虫が出ただのお化けが出ただのという、ウィズの興味を欠片も惹かない内容だ。
(どうせ扉を開いて起きてるか確認しにくるだけだろ。)
そう思いながら瞼を下ろし始めたその時だった。
扉からウィズの予想を遥かに飛び越える破壊音がした。
ウィズは薄く目を開けて、一応開けた人物の確認だけは行う。
扉の取手を半ばもぎり取り、扉を半壊させながら入ってきた姿は、サラサラの赤髪を振り乱したレイラの姿だった。
いつも身なりを気にしている姿からは想像し得ないほどに乱れた姿にウィズは少し驚いたが、そんな時もあるかと考えて起き上がりかけた体をまた寝かせる。
「レイラ、うるさい」
「ウィズウィズウィズ!大変なのよ!イマルちゃんを殺しちゃったの!」
冷ややかに従僕に感想を述べた部屋の主は、その言葉でやっとベッドから体を起こす。
先ほどまではよく見ていなかったが、脇に確かに白いワンピースの少女が力なく抱えられている。
ため息を吐きながら、ウィズはベッドに座り腕を開く。
「見して」
レイラはその言葉に急いでイマルをウィズが横抱きにできるように渡すと、ウィズの前に膝をついて待機する。
イマルを受け取ったウィズは長い髪を耳にかけ、手元の柔らかい温もりの首に指を当てる。
「脈はある」
ウィズの小さな声にレイラは大きく息を吐き方を撫で下ろす。
「でもなんで急に倒れたのかしら?」
レイラは甚だ不思議だと言わんばかりに手を顔に当て首を傾げる。
「レイラ、これは倒れていない」
「じゃあ何よ」
「寝てるだけだ」
返答に納得いかないという言葉を有り余るほどに表現しているレイラを見て、ウィズはため息をついて扉の横に立てられた大きな振り子時計を指差す。
「今は何時だ?」
「1時ね」
差された指を辿ってレイラが軽く答える。
「普通の人間の子供はもう寝る時間だ」
その言葉にレイラが大仰に驚く。
「夜はこれからじゃないの!人間ってこんなに早くから眠るの!?」
「そうだ。人間は体が弱いから沢山寝なくちゃならない」
人間って弱いのね..とレイラは肩を落としてイマルに無理をさせてしまったことを反省する。
レイラの主人に叱られた大型犬のように体を丸めて落ち込む姿に、ウィズは無表情にレイラの肩を叩いて慰める。
「レイラは人間にはほとんど触れたことないからしょうがないさ」
「そうかしらね..」
慰めも受け付けぬレイラの姿に、ウィズはどうしたものかと眉を下げてしまう。
ウィズ自身、レイラの人間に対する食人鬼としては常軌を逸した愛情を知っていたが、ここまで落ち込むとは思っていなかった。
落ち込むレイラの姿を見たウィズの背中に何処となく後ろめたさが走る。
「まぁ、今日は休みなよ。明日からの日中の世話は全部レイラに頼みっぱなしだし」
ウィズが必死で絞り出したその言葉に、レイラはやっと小さく首を縦に振って立ち上がる。
「明日は外へ出るの?」
「出るよ」
ウィズが軽く放った言葉に、レイラの肩に力が入る。
整えられた爪は柔いレイラの手の平に突き刺さり、皮膚が丸く抉れる。
「..ちゃんと、帰ってきてちょうだいね」
その言葉の真意を知ってか知らずか、ウィズが手を糸の括られたパペットより軽く振る。
「大丈夫、隠れるのは上手いから」
その言葉に息を詰まらせたレイラが、振られているウィズが振っている手を強く掴む。
先ほどまでのレイラのしゃなりとした姿など消し去る程の力強さで掴まれたウィズは、簡単に離せる腕の枷をそのままにジッとレイラの目を見つめる。
2人は暫くの間見つめ合っていたが、レイラが先に視線を切って下を向いてしまう。
「ウィズが捕まっちゃったら、私もうどうすればわからなくなっちゃうわ」
親と離れる子の姿を思わせるレイラの姿に、掴まれていない方の手でウィズが親御のように頭を撫でる。
「僕は帰ってくるよ」
「そんなの..!」
レイラは勢いよく顔を上げたが、ウィズの手に込める力を少し落としながらまた下を向き、わからないじゃないのと小さく喉を鳴らす。
(あの日を思い出してしまったかな)
力の抜けたイマルを見て、昔のことを思い出してしまったのだろうか。
手から伝わるいつもよりも弱気に震えるレイラの心に、ウィズは遠く昔のことを思い出し胸が締め付けられる。
暫くの間無言の空間を夜の重い空気が走った。
空気は間も無く始まる夏を予告するように重厚な響きを持って、部屋の窓を撫で付けていく。
「もし捕まっても」
不意にウィズが口を開く。
「レイラが助けてくれるだろ?」
その言葉にレイラは胸がきつく締め付けられるような感覚を味わう。
暗い裏道、欠けた煉瓦、小さなランプ、どこまでも続く赤赤赤..
瞼の裏に鮮明に浮かぶ景色にレイラは思わず口角を下げるも、直ぐにいつも通りの笑顔を貼る。
「私にそんな勇気ないわよ」
レイラの精一杯の答えに返ってきたのは、主人のそれもそうだな、という無神経なものだった。
―――――――――
レイラが部屋から出るのを見届けたウィズは、ずっと膝に抱いたままだったイマルをベッドに転がし、そのままイマルの横に寝転がる。
口を開けて寝こけるイマルは猫のように気ままな雰囲気を纏っている。
ふと、イマルの存在が目を離せば消えてしまうように感じて、ウィズはイマルを強く抱きしめる。
服を介して触れ合う皮膚は切実なまでにイマルの命をウィズに伝わらせ、柔らかな熱は2人を柔らかなベールで包むような気持ちにさせる。
ウィズは胸元にあるイマルの頭を覗きながら、独り声帯を震わせる。
「ねぇイマル、君は僕を恨むかい?」
ウィズは何時間か前に見た何も透けないイマルの暗い沼のような瞳を思い出す。
あの瞳を見る限り、前の生活はウィズが想像することが烏滸がましい程のものであっただろう。
『イマルは人間で、ウィズは食人鬼』
そんなことはウィズの煙の踊る頭でもわかっている。
「君は、僕を赦してはくれないだろうね」
腕の中で息を立てるイマルは、もう人間の元へは帰れない。
"肉"になってしまった人間を、人間は受け入れようとしない。
痛いほどに人間と接してきたウィズだからわかる。人間は、一度肉になってしまった人間を残酷なまでに..それこそ敵の如く忌み嫌う。
イマルの全てを作り、曲げてしまったのはウィズ達食人鬼だ。愛という言葉は、食人鬼が人間にかけるには少し不恰好になる。
少しでも歴史が違ったら、少しでも食人鬼が減っていたら、なんて考えることが徒労であることは知っているはずなのにウィズの頭は毎晩考えてしまう。
寝る前のゴロゴロした思考の群れに、辟易としながら目を強く瞑る。
「ねぇイマル、君がもし..僕のことを受け入れてくれるなら」
独り言を呟いているはずのウィズの喉はひどく乾き、緊張で心臓が何百年ぶりに跳ねる。
ウィズの心は教会の中で神に懺悔する信徒のように真っ直ぐに、純朴にウィズの瞳に涙を浮かばせる。
「僕に君を護らせて」
その言葉は、格好がつかないほどに震え掠れていた。
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