不思議な食事


「イマル、これがアンタの食べる食事よ」

「ありがとう、ございます」


 この部屋だけで軽いパーティーが開けそうなほど大きな食堂で、レイラが出してくれた食事はイマルがこの10何年の間見たこともないような豪華な食事だった

 背もたれが自分の身長ほどある椅子に縮こまりながら座り、テーブルの上の食べ物を見つめてみる

 たくさん皿が並んでいる内、全て名前も分からないし味の想像もできないけれど、すごくいい匂いがする

 久しぶりに人間屋のシリアルバー特有の匂い以外の香りのする料理を見て、箱の中で忘れていた空腹が音を鳴らして戻って来る


「私はウィズ起こして来るから、好きに食べててちょうだい」


腹を鳴らして食事を待つイマルを笑いながら、レイラが食堂からいなくなる

 イマルは広い部屋に1人にされて一抹の不安が少し浮いてきたが、食欲に不安が完敗したため、食事に目を戻す

 さてさてと目の前の黒いソースがかかった肉を手づかみで食べようとして、イマルは昔人間屋で話した女性の言葉を思い出す


『マナーは...大事よ...』


 曰く、彼女はさる妓楼で見習いをしていたらしいが、奉仕のマナーがなっていない!と奉仕していた妓楼の旦那に売り飛ばされたらしい

物覚えが悪く、人間屋の店長にいつも怒鳴られていた彼女の頭に刷り込まれるほどの重要なもの...それが"マナー"...

 イマルは伸ばしていた手を引っ込めて考える


(手で食べるのは、"まなー"がなっていない?)


天国にまで来て、怒鳴られたり売り飛ばされるのは嫌だ

 イマルはテーブルに乗っているものの中に、自分が知っているものはないかと真剣に見る

レイラやウィズが見ればビーフシチューとコーンスープとサラダだが、イマルの目には黒い肉と黄色い汁と葉っぱの皿である

 私が食べれるようなものは無いのか...と半ば諦めていたイマルの視界の中に救世主が現れる


(これは...パン!)


少し遠いところに、黒いパンが籠で山になっているのが目に入った

 これだけは昔人間屋で貰ったことがある

歯が入らないほどカチカチで、美味しいとはイマルの馬鹿舌でも言えないほどに酷い味だったが、背に腹は変えられない

 好きに食べて良いと言われたのだ、奥のパンに手を伸ばしても良いだろう

自分の中でパンを食べる許可が取れたイマルは、椅子から少し伸びて籠のパンに手を伸ばす

 手に取ってみると、やはり前もらったもののように固くざらざらしているが一つ違うところがある


(緑じゃない...)


パンとはうっすら緑がかったものだと思っていたイマルは、静かに驚く

おそるおそる唾液でふやかしてから口に入れ、一口食べてみる


「うん...っ!」


口に入れた瞬間に広がる柔らかい味に、思わず声が出てしまう


(これ...パン...?)


 ほのかに香る穀物の香りと甘みが、既に飲み込んだのに口の中に残り続けている

 見た目はほとんど同じなのに、あまりにも前に食べたものとは違う味に、同じものであるのか心配になってくる

 しばらくくるくると齧られたパンを回して観察していたが、さすが天国は食べ物も最高なんだな、と結論づけてまたパンを齧る

 夢中でパンを齧るイマルの頭の中に『カビ』という言葉が無いため気づいていないが、その当時人間屋で食べたパンは、従業員が家で古くしてしまってカビがうっすら乗ったパンを投げられたもので、食べれる物の内に入るのかと言われたら絶妙なものである

だがそんなこと知らないイマルは


(死んで良かった...!)


と天を拝みながら咀嚼を続けている

 パンは手のひらに収まる程度の丸パンだが、小さなシリアルバーで食事を済ませていたイマルには十分大きく、食べ終わる間にレイラが部屋に帰って来てしまった


――――――――


「イマル〜レイラお姉様が帰ったわよ〜」


 ガチャリと扉を開けたレイラの視界に入ったものは、ひたすらにパンを小さな口で必死に食べ続けるイマル


「イマル?どうしたの?」


声をかけるも、全く聞こえていないようだ

肩でも叩いてみようか、と近づいてみるとイマルがボソボソと何か言っている

うまく聞こえず、耳を澄ましてみる


「...しい、おいしい...おいしい...」


 聞こえた内容に、レイラは思わず出そうになる笑い声を抑える

確かに人間屋の食事は肉を美味しくすることだけを考え

られていて、美味しいとは言い難い食事だろう


(でもここまで夢中になるなんてね)


 改めてイマルがパンを食べている姿を見ると、木の実を齧るリスのようで可愛らしい

レイラは上機嫌にイマルの右隣の椅子を引き、イマルが食べ終わってこちらに気付くのを待つことにした


――――――


 天上のパンの最後の一口を口に入れて、ゆっくりと咀嚼する

こんなに食べるのに夢中になったのは初めてだ

はふぅ、と息を吐いてもう一つパンを取ろうとしたところで、右からの視線に気づく


「ひうっ!」


思わずパンを持とうと伸ばしていた手を跳ねさせる


「あら、食べ終わった?」

「え、あ、うぁ」


 驚きと緊張でカラカラに乾く喉から必死に漏れた声を、レイラはふふと笑う


「イマルちゃん、このお肉も食べて良いのよ?」


手を付けられていないビーフシチューを見て、レイラが心配そうに首を傾ける


「あっ!大丈夫よ?人間の肉は使ってないもの、牛のお肉よ?牛肉、買って来たの」


ほらほら〜と楽しそうに勧めてくるレイラに、"マナー"が分からないから、とは言い出せない


(でも...汚く食べて売られたら...)


 人間屋ではシリアルバーをゴミを落とさないように、なるたけ大きな口で食べるのが"マナー"だった

さもないと怖い鬼に売られちゃうから、必死に頬張って食べた

 どうすれば...とうろうろ視線を泳がしていると、細く音を鳴らしながら、食堂の扉が開く


「レイラ、食事をくれ」


部屋に入って来たのは、耳に黄色い宝石を付けた、長く白いボサボサの髪を流している背の高い青年

黄色い瞳は寝起きのだからか伏せがちで、歩く足もどこかおぼつかない

服装も、黒いズボンに真っ白なブラウスを着ただけの緩い服装で、不思議な雰囲気を流している

その雰囲気を例えるならば、絹に包まれたダイヤのような、本質の掴めない空気である

 スープを頼まれたレイラは、「はいはい」と軽い返事をして、とことこと厨房へ歩いて行ってしまった

 ウィズはイマルの左隣の椅子をひき、肘をついてじっとイマルの手を見てくる


(この人が、ウィズ..?)


イマルの想像していた「ルームメイトのウィズ」と全く違う無機質な空気に、先ほど自分を捕まえていた人物と同一人物か疑ってしまう

 不思議な雰囲気のウィズに見つめ続けられて、イマルは動きがつい止まる

そのまましばらくして、肘をつきながら、小さくウィズが口を開く


「その肉は、そこにあるスプーン..丸いやつで掬って食べる」

「へ?」


 ウィズからの急な言葉に思わず声が出てしまった

ウィズは相変わらずイマルの手を見つめ続け、今にも眠ってしまいそうに、不安定な声を淡々と発する


「スープもそれで食べる、野菜は反対側のとげとげしたので刺して食べる」

「は、はい」


 言われた通りにスプーンを手に取り、苦戦しながらも皿の中身を少し掬ってみる

そのまま口を近づけ飲もうとすると、またウィズが口を開く


「物を食べるときは、背を伸ばしたまま食べる、口を近づけないように」


言われた言葉に、掬った中身をこぼさないように従う


「口に入れる時も入れた後も音を立てないように、ゆっくりでいいから静かに食べる」


音を立てないように慎重に口にスプーンを入れ、中身を口に入れてまた音を立てないように飲む


「イマル、口の端に付いてるからそこの紙で拭いて」


 また言われた言葉にワタワタと従うと、ウィズは満足したのか、こちらを向いたまま目を閉じてむにゃむにゃ言いながら寝息を立て始めた


「それ..繰り返す..」


繰り返す、と言われたのでもう一度慎重にスプーンに汁を取り、今度は口に一口で入れられそうなオレンジ色の半円のものも掬ってみる


(甘い..!)


 自分の目が輝いたのが自分でもわかる

口に入れたオレンジのものはほのかに甘く、歯で噛む間も無く溶けてしまった

また一口、また一口とスプーンを自分の口に運ぶ

 口に入れるたびに、ろくに働いたことがなかった自分の味覚が鋭敏になっていくのがわかる

 言いしれぬ幸福感に真綿のように体が包まれる

思わず涙が出そうになるのを必死に堪えて、また口に汁を運んでいると、笑顔のレイラが後ろから声をかける


「あら、イマルちゃん美味しい?」


 イマルは驚いた猫の様に肩を上げ、スプーンを口の中に入れたまま後ろを振り返る

レイラは先ほどとは違い、長い髪を高い所で結んで、手にはウィズの分の湯気が立ったスープ皿を両手に持っている

イマルが振り返ったことでバチっと目が合うと、レイラは首をこてんと倒してにっこり笑う


(質問に答えなきゃ?)


 質問に答える時はどうすればいいのだろうか

イマルはまた経験していないことの正解を生み出そうと考え、食事の手が止まる

この汁は世界一美味しい、それは間違いない

でもそれを伝えるためにどう話せば...


「ウィズ、今日はコーンスープとビーフシチューよ」

「ん」


 手を止めて悩んでいる間に、レイラはイマルから離れて、ウィズに給仕をし始めている

 ウィズは食事を目の前に置かれると、先ほどまでのぐだっとした姿勢が嘘のように、背筋を正してカトラリーを掴む

音も立てずにゆっくりと小さく肉を切り、口に入れ、静かに咀嚼し、白い喉の中を嚥下していく

 その動きは一種の儀式のようで、何処か異物を感じさせる


「レイラ、今日も美味い」

「あら!恐悦至極にございますわご主人様」


 ウィズは感謝の言葉に、芝居がかった口調で大袈裟に頭を下げるレイラを鼻で笑うと、一部始終を見つめていたイマルに視線を向け、顎を小さく動かす

 伝えんとする内容が分からず。イマルは小さな頭を頑張って動かす


(もしかして、ありがとうの伝え方?)


ハッと気づいた時には、もうレイラは後ろの扉から出ていきそうになっている

 急いで大きな背もたれから顔を出し、何年かぶりにお腹から声を出す


「あの!」


 扉に手をかけようとしたポーズのレイラが、大声に驚いて後ろを振り返る


「美味しい!です!」


 急な感謝の言葉に、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしながら固まる

そんなレイラを見て、イマルはつい体を強張らせる

そんなイマルを他所に、愉快そうに暫く小さく肩を揺らしたレイラが、また芝居がかった口調で頭を下げる


「感謝いたしますわ、小さなレディー」

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