第197話 迷い その1
「もう疲れた。本当に……何なんだよ……」
ロドリゲスを葬った後、自分の中で抑えていた感情がドッと襲ってきた。悲しみ、苦しみ、怒り、憎しみ……ありとあらゆる感情が混ざり、その色は黒に限りなく近く、だが何と言い表せばいいのか分からないゴチャゴチャとした色。パレットの絵の具を洗う時に流しの上に生まれる、色のついた水のように……。
もはや、ユウヤは壊れているも同然だ。明くる日も明くる日も見えるのは地獄絵図。もはや「大学生」などという肩書きなど捨てているに等しかった。
溜まりに溜まった、見てすらいないオンライン授業のアーカイブ。もはや勉強どころじゃない、サークルどころじゃない、青春どころじゃない。それを他人に押し付ける気などさらさら無いが、ユウヤはもはや戦場の兵士そのものであった。
「ああ……分かった。もう、こんな世界なんて……っ!?」
絶対に考えてはいけないことが、不意に脳裏によぎる。ダメだ、投げ捨てるどころか終わらせることなんて……命を落としてまで戦ってきた仲間の決意を踏みにじる、いやそれ以上の禁忌。何をしているんだ……ユウヤは自分の頬を殴る。
だが、ユウヤにはどうしても気になることがあった。スズがかけてきた、あの言葉。
『アンタには……ざっと数えて5体は聖霊が取り憑いてるね。中でも最もヤバい影が見えるのよね。そいつがアンタの友達、身内、知り合い……すべての魂を喰らい尽くそうと。つまり破滅に導こうとしてるわ』
「やめてくれよ……やめてくれえええ! ハァ、ハァ、ハァ……いい加減消えやがれ、クソみてぇな記憶……!」
何度否定しようと、何度忘れようとしても、どうしてもこの言葉がユウヤを攻撃する。偶然では片付けられないほど、次々と仲間が倒れていくからだ。
そもそも、最初にヒビキが洗脳された状態でユウヤ達の大学に攻めてきたのも、自分がその元凶だったのか……?
自分は知らず知らずのうちに「人類」のスパイとなっていて、「ホリズンイリス一族」のために動いているのか……?
「そんな……そんな……ハハハ、アハハハハハハ……何考えてんだろ、オレは……」
もはやこのまま眠るように消えていきたい。自分が本当に元凶なら、なおさら……そんなことを考えていると、突然。空が怪しく煌めいた。
「……ん? 何だ、アレは……?」
雲を貫き、隕石の如し勢いで何かが空を駆け回っている。飛行機でも鳥でも隕石でもない。もっと恐ろしい何かが、怪しく空で踊っている。地上からはその姿を詳しく捉えることはできないが、確実に「触れてはいけない存在」であると、ユウヤはそう察した。
「アレはダメだ、確実に……」
気がつくとユウヤは両腕を身体の前で構えていた。もはや何度放ったか分からぬ必殺技、タイフーン・ストレートの合図である。
「来るなら来いよ、この異形が……吹き飛ばしてやる、何一つ残さずに」
ユウヤはそっと、風の球を空に打ち上げる。届くはずもない大空の中にいる「何か」に向かって。自分でも何をしているのか、冷静に考えれば分からないが……怪しい存在とは戦う、もはやそれがユウヤには条件付けされていた。
「潰す。敵に違いない、だってあんな動きをする存在なんて……普通はありえな――」
「そう。普通はありえない……だが我らは特別なのだ、ならばあり得るだろう?」
「あぁ……そうさ。オレらはもはや普通じゃな……え?」
空から声が聞こえる。脳にスッと入ってくるように。テレパシーとはこのことなのだろう……だが、「我ら」とは何なのか? その答え合わせをするのに、その存在が以上に降りてくるのはあまりにも早すぎた。
その姿はまるでケンタウロス。そして、どこかユウヤにそっくりな顔の男。間違いない……その正体はユウヤの父、オーディン。ジェフリー・オーディン・ホリズンイリスだったのだ。
「……なぜ、ここに……!?」
「少しは力をつけたようだな。だが、所詮は落ちこぼれ……もっと力があれば、失うものも少なかったろうに……」
「……黙れェェェッ!」
ユウヤは右手にありったけの力を込め、オーディンに殴りかかる。気付けば動いていたこの身体を止めることのできるブレーキなど存在しないだろう。
(ある程度成長はしたようだが……ぬるま湯に浸かり続けたツケは酷い有り様だ)
「……甘い」
「ぐあっ!」
オーディンは軽くユウヤの攻撃を受け止め、耳元で悪魔の囁きを告げる。
「……これが最初で最後の質問だ。こちらの勢力に戻れ、加わるのだ」
「ふざけんのも大概にしとけ……そんなの、あり得ないことだって分かってんだろ? なあ!」
「……セイレーン・サイレン。この単語に聞き覚えはないかね?」
「セイレーン・サイレン……!? 会ったのか、カナと!」
間違いない。間違いなく、これはカナの必殺技だ。もしかして、カナもやられてしまったのか? カナは、オーディンにやられてしまったのか? 信じたくない、だが非情にもそれが一番しっくりきてしまう。
「ユウヤに取り憑いている中でも最もヤバい聖霊が、大事な人達の魂を全て喰らい尽くし、破滅に導こうとしている」こと、これはやはり事実なのだろうか? これ以上皆と関わらないことが、皆を守ることになるのだろうか?
今までにないほどに、ユウヤの心は揺れ動いていた。でもそれが、世界を揺るがす決断になるなんて……。選択とは時に、冷酷なものだ。
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