第180話 灯火消えんとして

「う……嘘でしょ? 嘘だよね!? ねぇ、ねぇってば! お兄ちゃん……嫌だよ、そんなの……うわああああああああああ!」


 イチカの脳裏に、これまで兄がかけてくれた優しい言葉が蘇ってくる。


『どうしたんだよ、そんなに泣いて? イチカも十分、速かったぞ! よく力を出し切った、お疲れ様!』


『おいおい、テストで満点取れなかったのか? 逆に言えば伸びしろがあるんだ、次頑張って100点取れれば、オレからすればそれは120点だ!』


『イチカ。親と喧嘩したらしいな……オレはイチカの言い分もしっかりと聞くぞ? ほら、どうしたんだよ……?』


 優しかった。とにかく優しかった。「ヒーローごっこを始めた」と毛嫌いしていたこともあったが、本音は嫌いなワケがない。心の支えだった。幼い頃からずっと寄り添ってくれて……不器用なところもあった。錬力術はほとんど使えないが、代わりの体術はバケモン級だった。

 自分も、暴威留ほいーるというボランティア兼ツーリング隊を立ち上げていたが、今思えば兄妹揃って「皆から慕われ、皆のためになるヒーロー」を目指していたのかもしれない。


「お兄ちゃん……カズ、お兄ちゃん……!」


 イチカは陥没した穴を見下ろす。そこにはただマンティコアが横たわっているだけで、その周りにも下にも、モニトー……いや、カズの姿は見えやしない。


「どこに……ホントに、消えちゃったの……?」


「……消えてないさ」


「……え、お兄ちゃ――」


 イチカがふと空を見上げると、そこにはうっすらカズお兄ちゃんの影が浮かび上がっていた。影は優しくイチカに声をかける。


「泣き顔は見飽きちまったぜ、イチカ……? オレの意思を受け継いでくれ。これができれば、イチカも立派なヒーローさ。オレを継いで2代目のな」


「何、言ってんだよ……! そ、そうだ! まだ治せる、ウチにはフェニックスの力が――」


「……無理だ、イチカ。残念だが……オレの身体はもう、黄泉の国に行っちまった。これはまぁ……空からのビデオメッセージみたいなもんさ。それに、永遠に続く命は存在しない。形をずっと維持できる物なんて宇宙のどこにも無いんだ」


「そ、そんな……」


 再び、イチカの目から滝のように涙がこぼれ落ちる。カズお兄ちゃんはすかさず幻影の指先で涙を拭おうとするが、その手は1滴も涙をすくうことができない。イチカはもはや喋れる様子ではない。だが、カズお兄ちゃんはあえて会話を続ける。


「イチカ……よく聞いてほしい。今のには例外が2つあるんだ。あのバケモンはまだ生きている。この勘は外れてほしいがな……あの尻尾もまだ。ホントはもっとボロボロにできればよかったんだがな……あれには下手に触るんじゃねえぞ」


「う゛、うぅ……ひっぐ……」


「例外その2。それは……オレ達の思いさ。これは消えやしない。人間の遺志が後世に語り継がれるならば、きっとそれが唯一の永久機関なんだろう。

 それじゃ……オレはそのスイッチをイチカに託す。たくましく生きて……命を燃やせ」


 そう言い残しながら、カズお兄ちゃんの幻影や声は蝋燭の火のように消えていった。イチカはそれをただ、泣きじゃくりながら見つめることしかできない。


「おい……モニトーさん、ホントに死んだんじゃ……」

「マジかよ……それじゃ、一体誰がこの街を……」


 周りから、カズお兄ちゃんが亡くなってしまったことへの絶望の声が聞こえてくる。ダメ元で空に向かって力を送ってみるが、カズお兄ちゃんが言っていた通り、この世に兄が蘇ることは無い。


「お兄、ちゃん……」


 イチカは涙をゴシゴシと手首で拭い、すっと立ち上がる。そして、陥没した道路の底を再び覗く。


「アイツが……お兄ちゃんを……」


 その瞬間である。微かに、マンティコアの身体が動いたのだ。やはり完全に仕留めきれてはいなかった、イチカは気付けば身体が自ら動き、戦闘に備えて構えをとっていた。


「……ウチは暴威留ほいーるのリーダー。そして……ヒーロー『モニトー』、奥野カズお兄ちゃんの意志を受け継いだ……奥野イチカだ……!」


「グゴ、グゴゴゴ……ワシとしたことが……かなり効いてしまったわい。だが、これでいい。この怒りのパワーが……ワシを昂らせてくれる。あの小娘も同じように……地獄へ送れる……フフフ、フヒャヒャ、アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」


「お目覚めか、クソライオン……!」


「だからワシは……ライオンじゃないと言っているだろうがァァァッ!」


 マンティコアは翼をバサバサと羽ばたかせ、再び地上に現れる。周りは絶望の叫びとどよめきで溢れ返る。だが、イチカが考えていることは1つだ。


(必ず、こいつを倒す! そしてイヤでも分からせてやる。地獄に落ちるのはお前だとなッ!)

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