第4話:見知らぬおじさんの娘の自慢話

 深夜二時。


 今晩のドレスショーを終えるばかりの登也が更衣室から居間へ戻る。するとそこにいたおじさんの顔つきは変わった。


 こちらが無言で近づくも、声を出さなかった。登也は怪訝に思う。


 おじさんの顔を上目遣いに見つめる。


 しきりに何かを言いたげに訴えたかったような視線を返した。


「そんなに僕の目をジーと見詰めなくても、何か聞かれたかったことがあったんでしたか?」


「私の大切な愛娘についての話をしたかった」


「愛娘、でしたか」


「そうだ。名前は茉奈。太平洋の島嶼に見られる原始的な宗教をマナという言葉がある。まあ、難しい話はとりあえず置いといて、その宗教上のマナといった言葉を、愛娘のマナに掛けて名前は茉奈に名付けた」


「そこまでおじさんが大切な娘さんなのでしたね」


「今晩の君との出逢いの最後の締めくくりを、その娘の茉奈に寄せた私の想いを君に熱く語り通したくなった。そのつもりだからじっくり聞いてやってくれ」といっておじさんが取り巻いた熱いオーラを、登也にその大切な娘の想いをぶつけたくなったかのように、はっきりと登也の意識の内を伝わる。


「いいですよ。今晩、僕で良ければお相手しましょう」


 そこでおじさんは椅子に座って居住まいを質した。登也もそれに倣うと向かい側の椅子の上を座る。見知らぬおじさんが一瞬だけかしこまった表情を顔に浮かべてから、朗らかな笑顔を交えて見せた。


「娘の茉奈が我が家族の元を生まれてきたのが、今から十二年前だ。君は確か十歳かな?」


「…………その通りです」


 登也はもはや、目の前の見知らぬおじさんに、自分のことは何でも知られることが、突っ込む気さえを起こさない。


「君の年齢も含めて、私が君を知ったことの全てが、夢の中でいろいろと君の口から聞かされた話ばかりなんだ。だから私が君のことを詳しく知ったんだ。私は君と向かい合ってできれば隠し事がしたくなかった。それではっきりと夢の中に君から伝えられて知ったことを忘れ去らない内に、君の自宅の前を現れたんだ」


「そうでしたか、因みにあなたの娘さんの歳は十二歳でしたか?」


「その通りだ。今の彼女の年齢を計算したら、君の二つ上かもしれなかったが、あまり君と歳の差を変わらなかっただろう」


「……そのようでしたね」


「私の一人娘はセミロングの金髪で英会話がこなせた。幼くして海外への留学経験も豊富だった。通った学校は有名なエリート校で成績は上の中で、得意なスポーツはバトミントンであった。どうだ、私が一人娘を君に自慢したかったのも分かる話だろう。国際的な美しい娘に育てたかったんだ」


「英国風な淑女というやつでしたか、憧れますね」


「もちろんそうだろ? 夢の中の君は、こんな彼女の話にも好意を寄せるぞ」といっておじさんは嬉しそうに顔をにんまりと笑った。


「できれば、あなたが自慢した娘さんを直接会って話したい気がしますけどね」


「……まあ、君とは今夜限りの付き合いになったから、私の自慢の娘を君の目に直接見せてあげられないのを惜しかった。だが、そういう一人娘を持って私が幸せなもんだったと伝えたかったんだ。何せ、彼女を話に出すと他の人々は喜んでくれた。それは綺麗だとか美しいだとか言ってくれて嬉しいものばかりで自慢の娘が……」


 それから見知らぬおじさんの娘の自慢話は三時間以上も悠々と続いて……。


 午前五時。


 冬の手前の秋の季節とはいえ、この時間帯になると、夜は明け始めてくる。


 空やあたりが窓の外から薄明るくなるまで、登也は長いことおじさんの娘の自慢話に飽きず、時折相槌を打ちつつ聞き続ける。


「……私の娘を誰もが愛してくれるのを願って止まなかった。もう朝の五時か、時間を経つのがあっという間だな。ずいぶんと話が長くなったけど、まあそんなところだった」


「これ以上おじさんがここで長居したら、家族がおじさんの姿をいなくて心配しませんか?」


「そうだったな。そろそろお別れの時刻だ」


「そうでしたか……いろんな話が聞けて嬉しいです」


「君に本音を言えば、この私の話に付き合わされて疲れるだろう。ちゃんと眠る方がいい。そろそろ潮時だから、私が自分の家を帰ろうな」


「本当に家は帰りたいでしたか? 正直寂しいです」


「昨夜、ここで起こった出来事は誰にも内緒だぞ。いいね」といっておじさんが人差し指を口元に立てて秘密の仕草をとった。登也も同じく倣って人差し指を口元に添える。


 おじさんは立ち上がって椅子に置いた上着のジャンバーを持って羽織った。玄関の前に立ってこちらを振り返った。


「君に幸あれ」といっておじさんは玄関から外の世界へ消え去った。





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