機織り

 菊が暗い洞窟で長い夢から目覚めたとき、洞窟の外からはまるで彼女の誕生を祝うお祭りでもしているかのように、それはにぎやかな騒がしいともいえる音が聞こえてきた。

 それで何をしているのだろうと興味がわいて固く閉じていた岩戸をおそるおそる開けたのだ。そしたら、大きな手に腕を掴まれ、菊はまるで百人の力にでも引っ張られているかのような強い力でたちまち外へ引きずり出された。

 洞窟の外では、見知った多くの神々がいた。 

 皆、菊の姿をみるなり、さきほどのタケミカヅチのように言葉を失い、あれほどどんちゃん騒ぎしていたのにさあっと波がひいたかのようにしんと静まり返った。


 タケミカヅチは大きな松の木陰でオモイカネと何やらこそこそ話し合った後、菊を振り返った。

 ほんの一瞬ばかり菊の姿に何か苛立つ様子をみせると、雷の神様は彼の師匠のようにこほんと一つ咳払いした。


「今日から俺があなたの護衛をすることになった。ひとつよろしく頼む」


 タケミカヅチは先程よりほんの少しばかり友好的でへりくだった態度を菊に示した。おそらく小さな女神の本性を知ったからだろう。

 菊は今、人間でいうならば十歳の少女の姿をしているが、『事故』が起きるまで本当は成人の体を保っていた。

 洞窟から引きずり出された直後、呆然としている神々の中、ただ一人オモイカネは彼女の前へ進み出で尋ねた。

「お嬢さん名前はなんという?」とまるで初対面のようななんとも奇妙なことを問われ、首を傾げながらも少女は「菊ですよ」と彼に答えた。家族にはずっとそう呼ばれていたからだ。

 それから、オモイカネが知っているはずのことをいくつか質問されて彼女はまた素直に答え、答え終わると「どうしてこんなことを尋ねるのですか?」と聞いた。まるで目の前のオモイカネは菊の知るオモイカネではないように彼女には思えたからだ。

 彼は長い顎髭を何度か撫でて思案するそぶりをみせてから、『事故』で大きなけがをしたせいで、おそらく神通力の源である神核が傷ついてしまい、『以前』と比べて体も小さくなり、記憶も体に合わせて小さい頃のままになってしまっていると菊へ告げた。

 菊は、『以前』は機織りの女神だった。オモイカネによると多くの神々が着る衣に彼女が機で織った布が使われていたそうだ。何者にも代えがたいとても重要な役目を担っていたと彼に教えられた。

 菊はオモイカネの話にもちろん衝撃を受けた。まさか自分はもう一度は大人になって、今子供返りしているなんて思いつくはずもなかったから。

「ひょっとして私はこのままなのですか?」と問えば、時間が経てば戻るだろうと返された。

 けれど、その時間はいつになるかわからないらしい。

 そして、『以前』よりもはるかに力が弱くなってしまっているから護衛をつけようとオモイカネにすすめられ、菊はタケミカヅチに引き合わされたのだ。

 『以前』はタケミカヅチと、それほど親しい仲ではなかったらしい。それゆえに、彼がどうやって生まれてきたか何の神様なのかだけは今の菊は知っているが、直に会うのはこれが初めてようなものだった。

 確かにタケミカヅチは高天原一の剣の使い手と呼び声は高い。けれど、みるからに気性が荒く、優しさや思いやりのかけらなど砂粒ほどもなさそうだ。

 彼のことを苦手だと菊は思った。それは彼女自身が朗らかでのんびりした穏やかな気性だからだろう。

 自分とは正反対といっていい性格のタケミカヅチとこれからうまくやっていけるだろうかとオモイカネへ不安げに視線を送ると、彼はタケミカヅチの後ろで、皺の刻まれた顔をさらに強く皺を寄せて親指を立てるだけだった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る