「どうして俺がこんなガキの面倒をみなきゃいけないんだ?」


 若いが、自分よりはるかに背の高く大きな男神に不機嫌きまわりない様子で睨まれて、菊は思わずその小さな肩を震わせた。

 紫の鎧をまとい黒い長剣を腰に差した男神は、雷と剣を司る神様でタケミカヅチという。

 そのたたずまいは、まるで菖蒲の青い葉先のように鋭く凛々しいものの、黒い雲を常に背中へ背負っているかのようにその人相はすこぶる悪い。おまけに、今の彼はそのそばに一歩でも近づけば、たちまち稲妻でも放ちそうなくらいピリピリとした空気を醸し出している。

 菊は、逃げられるものなら今すぐにでもこの場から逃げ出したい気持ちになった。


「またまたそんなに眉間へ皺を寄せると、せっかくのかわいい顔が台無しじゃよ?」


 老人は場の張りつめた空気を和ませるためか、茶化して言った。彼はオモイカネという知恵の神だ。だが逆効果だと思った。

「誰がかわいいんだ、誰が! もう一度俺を侮辱してみろ、いくらあんたといえども脳天に雷を落とすからな」

「ふふふ、こんなキツイこと言っても、なーんも手出しせんからの。安心おし、菊ちゃん。口と態度は悪いが根はいい奴なんじゃよ」

「いい加減黙れ、このくそ爺が!」


 彼が怒鳴るとまるで辺りに大きな雷が落ちたようで、菊は思わずぎゅっと目をつぶった。


「ミカよ、怒鳴るのはやめなさい。菊ちゃんが怖がっているだろう」


 オモイカネは弟子を呆れた顔でたしなめた。

 高天原では、母神イザナミが炎の神カグツチを産み落とす際、その炎に焼かれて命を落としたため炎を使うことが禁じられている。そのため高天原では物の煮炊きに暖や灯りをとるのにタケミカヅチの雷の力は欠かせない。雷の力で神々の生活が営まれているといっても過言ではなかった。それゆえに、どんな力のある神であれ、決してタケミカヅチの機嫌だけは損ねてはならないとされている。

 だが、太古の昔から存在している知恵の神であるオモイカネは別だった。彼はタケミカヅチの剣の師匠であるから何ら怖気づくことなく気安い言葉をかけられる。菊にとってもオモイカネは昔から頼れるおじいちゃんのような存在だ。

 知恵の神は、こほんと咳払いした。


「なぜお世話をしなければならないのかと言ったな、この菊ちゃんを預ける先は、お前をおいて他にはないと思ったまでじゃ」

「はっ、いつものように俺に面倒ごとを押しつけに来ただけだろうが」


 雷の神は冷ややかに吐き捨てた。

 面倒ごと扱いされてしまい、菊はぎゅっと小さなこぶしを握る。

 そんなことを言われてまで、この人のお世話になんてなりたくない。

 意を決して顔を上げた少女の前に、年老いた姿の神はそっと緑の袖をだし、傲岸不遜な雷の神へ立ち向かおうとするのをやんわり制した。


「ミカよ、お前はあの方を支えたい、守りたいと常々言っておっただろう。この菊ちゃんのお世話をするのが、そのお前の願いにかなうだろう」


 タケミカヅチは怪訝そうに弓のように弧を描いた眉を再び寄せると、やってられないとばかりに頭を何度か振った。


「あなたの言っていることは相変わらずわけがわからない。このガキを守ることがどうして俺の積年の願いをかなえることになるんだ?」

「不詳の弟子よ、そなたも相も変わらず鈍いのう。菊ちゃんのことをその曇った眼でよおく観察せよ」


 オモイカネは、顎から胸元まで垂れ下がっている長い白ひげを撫でると、菊のほうをちらりと意味深に見やった。

 タケミカヅチは師匠相手にまた何か怒鳴りかけたが、菊が首へかけていた晴れ渡った空のように青い勾玉に気づくとはっと息をのんだ。そして、面倒ごと扱いした少女の顔をまじまじとみつめた。


「お前は、まさか」


 雷の神様はまるで自分自身の頭に大きな雷撃が落ちたかのような面持ちになると、それっきり二の句をつげなかった。

 

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